(宮城県気仙沼市大島)
東北三陸の島旅、2日目は気仙沼からスタートする。
今日の目的地は東北地方最大の島である陸前大島(気仙沼大島)である。今晩の宿を島内の国民休暇村としたので、島へはゆっくり渡れば良い。まずは、大島の東側に横たわる唐桑半島から探訪することにしよう。
半島北東にある海中公園・巨釜の上の駐車場から見たリアス式海岸。ここは3.11の震源地に最も近い場所である。押し寄せた大津波がしぶきを上げて断崖にぶつかったであろう様を想像する。
西岸にある鮪立集落の全景。マグロ漁で財を成した御殿が建ち並ぶ集落だ。以前訪れているのでDataBaseを参照されたい。
唐桑半島は丘陵地形で、丘の上に集落が点在する景。唐桑半島ではあまり古い建物を見かけない中、画像の古民家があった。長屋門と寄棟の直家だ。
中井地区の町並み。
入母屋赤瓦が特徴である。
中井地区の理容所大畠。いい感じの看板建築だ。
陸前大島に渡る前に陸前高田・大船渡界隈の気仙大工のつくった集落の取材に向かう。
陸前高田の気仙川河口の水門。津波が来た時に閉鎖する。陸前高田のかさ上げ工事は、すでにベルトコンベアが撤去されていた。かさ上げされた上の市街地建設はこれからだ。
陸前高田市小友町の気仙大工左官伝承館。移築された気仙大工のつくった古民家が屋外展示されている。
そして、大船渡市野々前。この地域に分布する気仙大工による集落のひとつである。
匠の技が素晴らしい。
ところが、野々前を取材していたら、お巡りさんがやってきて職務質問された。最近、空き巣があったそうである。物騒な事件も多いゆえやむなしだが、いい感じはしない。
気仙沼に戻ってきた。これから午後一番のフェリーにクルマを乗せて、陸前大島へ渡ろう。
「海界の村を歩く」シリーズでは、基本的に本土と橋で繋がっている島は、もはや離島ではないので対象としていない。実は、陸前大島はもうすぐ大橋が開通する予定である。震災の時に孤立した経験から、念願の橋建設が急ピッチで行われた。今回の取材は、離島のうちにと慌てて計画されたわけである。
陸前大島宮城県北東部の気仙沼湾内、本土から航路距離7kmに位置する東北地方最大の島。島内には縄文時代の磯草貝塚や浦の浜遺跡があり、『三代実録』(901年)や『延喜式』(927年)に大島神社が記されている。古くは「薬師島」いわれた。海岸線は出入りが激しく、北部には235mの亀山がそびえており、全島が一望できる。風光明媚な自然は陸中海岸国立公園と海中公園に指定されている。亀山リフト、国民休暇村のプールやキャンプ場、海中公園のグラスボートなどの観光施設も整備され、多くの観光客が訪れる。周辺の海は水産資源に恵まれ、沿岸漁業とワカメ・カキなどの養殖が盛んで、基幹産業となっている。(「シマダス」参照)
上記の「シマダス」の解説文では、観光の島・養殖の島というイメージであるが、震災によるダメージは大きく、以前より賑わいも大きく失われてしまったようだ。
さて、島の集落を見ていこう。画像は要害地区の板倉。シンプルながらデザイン的に良くできている。
要害集落の町並み。
長崎集落の町並み。赤い屋根で統一されている。
亀山山腹から大島南方を眺める。丘陵地形に赤い屋根の集落が点在しているのがわかる。
島北端の外浜集落。
外浜集落と唐桑半島との間の大島瀬戸。3.11大津波の際は、気仙沼で流れ出した油に引火し、火の海になったという。地獄絵図のように恐ろしかったと言われている。
翌日、陸前大島を後にし、仙台より南の陸前浜街道(国道6号線)沿の町を歩いた。
画像は、亘理の町並み。このエリアの特徴であるなまこ壁が見られる。
南相馬市の原ノ町。旧街道沿いの蔵造り系の町並みと映画館の建物が残っていた。
そして更に南下し、浪江町の街を通る。大津波で被災した福島第一原発の避難区域が解除された浪江町であるが、旧街道沿いの商店や住宅は皆無住の状態だった。
そして、帰還困難区域は常磐自動車道と国道6号線バイパスのみが通行可能。バイクや自転車はNGでクルマのみが通れる。沿道の町は、2011.3.11で時間が止まっていた。