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海界の村を歩く 東シナ海 諏訪之瀬島

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(鹿児島県十島村諏訪之瀬島)

吐噶喇の各島では、フェリーが隣の島を出港すると放送が流れ、皆それを合図に準備に取り掛かる。隣の島を出たぞ!港へ行くぞ!という具合。それを知らずのんびりしていたら「行きますよ」、慌てて支度し港へ向かった。
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小宝島発5:50→悪石島→平島→諏訪之瀬島着9:10と移動する。
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船の汽笛が鳴り、諏訪之瀬島に着くぞという時、船の後ろにイルカが現れた。
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悪石島〜平島〜諏訪之瀬島の海域は、高い確率でイルカに会えるという。まだ4回チャンスがあるので、今度はバッチリ撮ろうと思う。
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諏訪之瀬島切石港。離島では、船を降りると必ず宿の方が出迎えに来てくれているものだが、今晩お世話になる「民宿やまき」の方が居ない。それもそのはずで、乗降タラップを設置する作業をされていた(画像の黄色い人)。
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諏訪之瀬島
十島村の中で2番目に大きい。島の中央に799mの御岳があり、今なお噴煙をあげる活火山の島である。『日本書紀』の白雉5年(654)に「吐火羅国の男二人、女二人、舎衛(きえ)の女一人、風にあいて日向に流れ来たり」とある舎衛は諏訪之瀬島ではないかとの説がある。十島村の中でももっとも激しい活火山を抱くこの島は、過去何回となく大噴火を起こした。文化10年(1813)噴火はひどく、東村と西村の50戸あった人家は潰滅し、200余人の人々は悪石島・中之島へ移住した。中之島では在番が一部の人々を平島や臥蛇島・口之島に移し、ただ1人の死者も出さなかった。『拾島状況録』によると明治28年当時、旧墓地跡に埋没を免れた墓石若干あって、その1つには安政6年(1777)の年代と肥後市郎右衛門の名があったという。おそらく郡司墓であろうが、諏訪之瀬島も他と同じように肥後氏の勢力が強かった。諏訪之瀬島の本格的な開拓は明治期に入ってからで、奄美大島の藤井富伝らが明治9年7月の踏査経て、同16年4月に27人の有志を得て入植したことに始まる。翌17年10月の大噴火被災など幾多の困難を経て同28年には36戸に増えた。島の主神は八幡神で明治の入植後八幡神社が再興された。主峰の御岳のほかに村落近くの根神山などの旧名称が残っており、沖縄・奄美の影響を受けた信仰がしのばれる。現在の住民は奄美大島からの移住者の子孫と、安住の地を求めて移住してきた県外出身者で構成される。県外者は一時ヒッピー(他の住民からはパンヤンとも)といわれたことがあるが、現在はこうした新しい住民が中心となったユニークな島づくりが進められている。北西部の溶岩台地には手つかずのマルバサツキが自生し、春になれば一面赤とピンクのお花畑と化す。(「シマダス」参照)
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御岳火口の空中写真。現在、噴火警戒レベル2で立ち入り禁止になっている。この噴火口を見に行こう思ったのか、先日遭難騒ぎがあった。2日間捜索して見つかったそうだ。良かった良かった。
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民宿やまき。寄棟屋根の下見板張り。ここでまず「おや?」と思ったことがある。屋根材だ。小宝島では南西諸島お得意の金属折板屋根だったが、ここ諏訪之瀬島ではほとんど見かけない。そのかわり、シート防水材で屋根を包んでいる。この家もそうだ。
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なぜか。聞いてみれば答えは簡単かもしれないが、推察してみた。おそらく、御岳に関係しているのではないか。つまり、折板では火山灰が積もってしまうのであろう。シート屋根は真っ平らで、こっちのほうが厄介といわれている雨の日に積もった灰も、乾きさえすれば風で飛ばされ易い。さて、正解は如何に(答えはこのページの後半を参照)。
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諏訪之瀬島は緑が豊かである。
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海岸のごろた石を使った石垣があった。私がみた限り、この島ではここだけかな。
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このお宅は中々良い屋敷構えをしている。主屋と附属屋が下見板張りの板壁+白いシート防水屋根で統一されており綺麗だった。
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この集落景観が諏訪之瀬島の代表といえそうだ。
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諏訪之瀬島簡易郵便局。この左隣に十島村出張所がある。ここで明日のフェリーの切符を購入する。
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すわのせゲストハウス。コテージ形式の宿で自炊もできる。
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榊戸原(さかきどばる)牧区。視界が開けて気持ちのよい牧場だ。
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集落に戻って宿でランチをし、クーラーの効いた部屋で一服。猛暑は凄まじいもので、とても1時間半以上は続けて歩けない。午後は、集落から西海岸へ向かい、元浦港と飛行場滑走路を見に行く。
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十島村立諏訪之瀬島小中学校。門の脇に伝統的な草屋根のあずま家が復元されていた。
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草葺のあずま家から学校を臨む。
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これは御岳の火山灰だろう。諏訪之瀬島は桜島周辺のような灰まみれの集落ではなかったが、やはり降灰対策は大変そう。
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手書きの道しるべ。小中学校で作ったのかな。心が和む。
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西海岸の元浦港。遠くに見える島は平島。
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海岸まで一気に降りてきたのは楽だったが、丘上の集落へ戻るのはしんどそう。強烈な日射の中、上りは相当キツかった。
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空港滑走路の下のトンネル。ここで一服。
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飛行場への道が分岐している。
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途中に九州電力の発電所がある。
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諏訪之瀬島飛行場の滑走路。バブルの時、ヤマハリゾートが南西諸島のいくつかの島をリゾート開発しようとした。諏訪之瀬島もその一つで滑走路まで建設された。
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折角造った滑走路は使われておらず、Hマークのついた緊急時のヘリポートとして使われているだけ。ここからの眺め、特に夕陽が素晴らしいという。
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御岳もここからよく見える。下の写真は噴火した時のもの。2013年の写真であろうか。
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さて、屋根の問題。民宿の方に聞いてみた。
不正解✖️。答えは錆びないからで火山灰とは関係ないそうだ。
屋根材はルーフィング、いわゆる瓦葺きとかの下地に施す防水シートで、単に瓦を葺いていないだけである。金属折板葺きは錆びて長持ちしないという。そして、ルーフィングの上にはコールタールが塗られている。綺麗なのは、毎年補修しているからだそうだ。
ところで、小宝島は金属折板屋根だった。奄美地方は金属折板が主流だから、奄美から供給されたのであろうとのこと。小宝島は奄美大島からの方が近いから。小宝島と悪石島との間には、渡瀬線という生物境界線があるが、文化もここで切り替わっているのであろうか。
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諏訪之瀬島を後にし、いよいよ悪石島へ。
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ところで最新の台風情報。恐れていた台風12号は幸運にも東へ向かった。吐噶喇を避けるようにカーブしている。本州直撃は心配だが、この旅の心配はこれでなくなった。最後まで行けるか!



by marunouchi_no1 | 2018-07-26 08:40 | 鹿児島県  

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