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海界の村を歩く 東シナ海 悪石島

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(鹿児島県十島村悪石島)

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フェリーとしま2は通常週2便だが、シーズには3便運航する。7/末もそうで、鹿児島港出港7/25の臨時下り便は諏訪之瀬島港を7:20に発つ。フェリーに乗り込んだら運航を委託されている中川運輸株式会社のカウンターのスタッフが、一つ前の便と同じではないか。つまり彼は、二泊三日の航行を終えて夕刻鹿児島に戻るや否や交替することなく、再びその日の23:00に出港し二泊三日の仕事に就いていることになる。これはかなりの重労働である。今話題の「働き方改革」とやらはどうなっているのだろう。
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諏訪之瀬島を出てすぐイルカの群れが水面ジャンプを繰り返していた。気がついたときは遠く離れていて撮影できなかった。まだあと3回チャンスがある。そのかわりにカツオドリが沢山飛んでいる。船の周りにまとわりつくトビウオを狙っているのだ。トビウオを見つけるやいなや急降下して仕留める。
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悪石島が見えてきた。逆光で雲がかかっているから、なおさら悪そうだ。
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WELCOME 看板は奇祭ボゼの絵。悪石島はとにかくボゼボゼなのだ。毎年旧暦の盆にボゼ祭りが催される。今年のツアーも発売と同時に完売となった模様で、観光客が少ない吐噶喇列島にあって、唯一これだけは人気がある。
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民宿二本松のおかみさんが出迎えてくれた。そして背中には「悪」の字。反してとっても親切な方だ。
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悪石島
トカラ列島のほぼ中央、諏訪之瀬島の南約20kmにある島。その名の通り断崖絶壁に囲まれているが、別名「美女とネズミと神々の島」ともいわれる。仮面神ボゼに象徴されるだけでなく、島内各所に神がまつられるまさに神々の島だ。うっそうと茂った亜熱帯性の樹木群は、大切に保護され、「神山」として聖地の扱いをされる。港のそばの海中には温泉があり、少し林の中に踏み入ると天然の砂むし温泉もある。港には、夏場は特産物になっているトビウオの天日干しがいっぱいに広がるなど、のどかな海村の風景も垣間見せてくれる。八幡神社所蔵の須恵器片など、定住の始まりは古代まで遡り、陶器片には青磁を始め中国系や北九州、薩摩、琉球など各地のものがあって中世〜近世期の交易の広さがしのばれる。江戸時代は悪石島詰御在番衆として鹿児島侍が駐在した。古くは女神山の麓に東の村があったという。聖地のひとつオキンヤマには秋葉・金比羅・霧島の神とともに「島建世建の御大将」を祀る。この御大将は墓地入口にも石を建てて祀っており「奉無縁供養造立、貞享二年」(1685)と刻字してある。墓地は近年の改築以前は他に類を見ない見事な墓地で、年貢船下島時に購入した山川石の墓石群が立ち並び、しかも寛永18年(1641)の碑文始め元禄・宝永・享保・寛延など江戸前期から中期の年代がみえ、近世の活動を物語る記念碑でもあった。かつては養徳寺と大奥寺の2寺があったが、幕末には養徳寺1寺だった。那覇からの学童疎開船「対馬丸」が近海で撃沈され、その慰霊碑が建立されている。(「シマダス」参照)
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悪石は海岸線に全く平地がない。だから、集落は海抜170mくらいの山の上にある。丘の上という生易しいものではない。
一旦集落の中にある民宿へ行き、荷物を置いて行動開始。まだ10:00だから、クルマを借りてメインの集落(上集落)以外の島の名所を巡る。
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悪石島の玄関であるやすら浜港。後ろの山の斜面を見ていただきたい、道路が登って行ってるのがわかるはず。集落は尾根を越えてもっと高い位置にあるのだ。
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港からすぐ近くの斜面上にある浜集落。住んでいる家が3軒確認できる。下から入って行くとガジュマルのゲートがあり、そこをくぐると人家があった。
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右手に一軒、左手は空き家のようだ。門の代わりに二本の棒を立てて領域を示している。家は下見板張りにルーフィング防水の白い屋根。
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上から見下ろしたところ。
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その上の集落。ごろた石の石垣だ。
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ここにも敷地の領域を示す二本棒があった。
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浜集落から西海岸を北へ走らせる。「左は温泉」とサインが出ているように、この先に連続して「海中温泉」「湯泊温泉」「砂むし温泉」がある。一昨日の小宝島の熱湯露天風呂で懲りたので、入る気がしない。
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湯泊温泉。この中で着替えて、海岸の露天風呂に入るのであろう。営業は夕方から。
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広場みたいになっているのはキャンプ場。岩場の下に砂むし温泉がある。岩場の上では蒸気が上がっている。
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島の南西部にある大麦牧場。
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その先にある荷積(ちょんぼい)岬。斜面の歩道が崩落していて下っていけなかった。
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島の南東部根上山岬。ここらも周囲が牧場になっている。
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島の最高峰御岳(584m)。山頂近くの無線中継所までクルマで上がることができる。東から雲が駆け上がってくる。ガスってなければ、吐噶喇全島から屋久島・奄美大島まで見えるという。
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やすら浜・荷積岬を見下ろす。ここから集落を俯瞰する写真が撮りたかった。
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宿に戻ってランチを済ませ、島の主要な生活の場である上集落を歩く。悪石島の主産業は畜産で、島の各所に広大な牧場も見られるが、集落の中にも牛舎がいくつもある。
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いきなり不思議な場所が出現。ガジュマルの森に抱かれるように建物がすっぽりおさまっている。
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悪石島の観光キャッチコピーは「神々の訪れる島」。随所に神聖であり不思議な場所がある。この建物の入口にしめ縄のようなものがあったから、ここも神聖なる神の場なのだろう。
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道がいくつも分かれている集落の中心と思われる場所にある民家。民宿を営んでいる広い建物で、白いルーフィング屋根が折り重なっていて綺麗である。
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その隣に瓦の家があった。諏訪之瀬島の民宿の方が「吐噶喇列島はルーフィング屋根と便利瓦が多いよ」と言っていた。「便利瓦」とは何だろうか。彼曰く「屋根の形状の難しい場所にも対応できる形になっているところから、そう呼ばれている」のだそうだ。この家の瓦は普通の桟瓦だと思う。
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乙姫様と呼ばれる場所。
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ガジュマルの森の家。
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屋根はシンプルな入母屋ルーフィング葺、壁は下見板張り。これらも、生物境界線である渡瀬線を越えた隣の小宝島と違うのか。小宝島は、屋根は金属折板葺、壁は木板縦張りが多かった。ますます渡瀬線の文化境界線説が濃厚になってきた。明後日の宝島(最も南で奄美大島に近い)でダメ押しだ!
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また違う形態の神の場所だ。鳥居があって奥に樹林を背景とした社殿がある。板森神社という。
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牛を見かけなかったが、牛舎であろう。
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集落の中心エリアに戻る。鬱蒼とした鎮守の杜みたいな場所であるが、鳥居はない。樹木のトンネルを潜って入っていくと奥が広場のようになっている。ここは「テラ」と呼ばれる神域で、島の祭事が行われる場所。ボゼが作られる場所でもある。ここは最後に行くことにしよう。
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「テラ」の入口のある通り。石垣が続いていて、最初の広い民家のところに通じている。
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擁壁や塀が何でできているか確認できないほど植物に覆われている。
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公共建築は鉄筋コンクリート造。港の生コンプラントで生成されたのだろう。画像は、十島村立へき地診療所
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十島村立悪石島小中学校。
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九州電力悪石島発電所。
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コミュニティセンター(地元ではコミセンとよばれている)と簡易郵便局。コミセンの中に十島村悪石島出張所がある。フェリーのチケットは出港前日の16:00までにここで購入しておかなければならない。
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戦後本土復帰後の昭和30年代はじめに朝日新聞に連載され反響を呼んだルポルタージュ「美女とネズミと神々の島」記念碑。神々とネズミは見なかったが、実は美女を複数見かけた。
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(民宿二本松より)
再び宿に戻り一休みして、日差しが和らいだところで、先程パスした「テラ」に行ってみる。
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日も傾いたので暗くてちょっと入るのが恐い。ボゼが出てきたらどうしよう。
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広場のようになっていて、真ん中で段差があり、その上段に建物が一つポツンと建っている。隣は古い墓地や祭壇のようなものがある。どこからともなく、笛のような音が聞こえてくる。いかにも聖域という場所だが、同時にボゼが出てきそうで気色悪い。
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ボゼ祭りは、毎年旧暦7月16日に行われる。祭りの前夜は、島の男衆による踊りが行われる。本番の当日は男衆による盆踊りの後、太鼓の合図で仮面神のボゼが現れる。赤土のついたボゼマラと呼ばれる棒を持った来訪神であるボゼは、死霊臭漂う盆から、人々を新たなる生の世界へ蘇らせる役目を負っている。
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ボゼの仮面はこの「テラ」の中で作られ、「テラ」の中で土に返される。画像はかつて使用した仮面の残骸だ。
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朝の十島村放送。フェリーとしまが、定刻より早く小宝島を悪石島へ向かって出港したことが伝えられた。海が凪で早く運航しているようだ。
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悪石島を後にし、いよいよ列島最北端の口之島へ向かう。


by marunouchi_no1 | 2018-07-26 20:00 | 鹿児島県  

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