企業城下町を歩く 宇部(山口県)

鹿児島県トカラ列島の旅から早2ヶ月。しばらく仕事と論文執筆で忙しくしており、今年最後の旅となった。10月初めの三連休に瀬戸内海西部の島々を予定していたが、またもや台風。一時は断念しかけたものの、台風の進行が早まり、なんとかなりそう。というわけで、旅に出た。
最終便で山口宇部空港に降り宇部市内に泊。台風が通過する10/6は宇部市内を巡ることとした。
宇部といえば「宇部興産」の企業城下町。ひさびさに「企業城下町を歩く」テーマだ。
山陽本線に宇部駅があるが街はそこにはなく、宇部の中心市街地は宇部線の居能駅から宇部岬駅の間にある。その中心駅が宇部新川だ。
宇部市街の海沿いはすべからく宇部興産グループの工場である。宇部新川駅から海へ向かう大通り=興産通りは、国道190号線を越すと宇部興産専用道路となり、工場の中を行く。画像は工場群の入り口にある、宇部興産本社。

宇部興産専用道路を進むと迫力ある工場群に!

どんどん進んでいくと遮断機が現れた。しかし線路がない。臨港鉄道ではなく貨物車を重連したトラックが勢いよく走っている。この先、厚東川の河口を渡る橋があって西岸の工場エリアへいけるのだが、どうやら入ったらダメか。怒られそうなので引き返す。

宇部新川駅前には数軒のビジネス旅館があって、周りが夜の飲食店街となっている。

海へ向かう通りの背景は常に工場。

そこから東へ向かって商店街が続く。ちょっとしたアーケード街=銀天街があったがまたすぐに屋根がなくなった。

アーケード街の周りは夜の飲食店街。「人来夢」と書いてなんと読むのかな、ジンライム?

中央町三丁目商店街(銀天街の一本南側)。おや?宇部市街は戦災にあっているのに古い家が残ってる。

戦災都市概況図。なるほど、宇部新川駅の南側が焼けていない。

宇部中央銀天街のアーケード。さっき途絶えたアーケードは本来ここへ続いているものだった。

銀天街は非戦災地区と戦災地区をまたぐように形成されている。かつてはデパートもあったそうだが、随分前に閉店して、現在は活気のないシャッター商店街。

ヒストリア宇部。昭和15年地区の旧宇部銀行館の建物で、設計者は村野藤吾。

やっぱ村野さん、妙な装飾がある。階段があって小さな窓?元は夜間金庫かな。

さらに東へ進むと「新天町ハミングロード」というアーケード街が現れた。さっきの銀天街より道幅が広く賑わっている。

その新天街の主軸から枝状に別れた小さなアーケード街があるぞ!

期待通りの飲食店街。戦災復興系のアーケード街には、このような飲食店街が枝状にある場合が多い。新天町は戦災地区である。

新天町の洋食屋さんでランチ。落ち着いたいいお店だった。

新天町を東へ抜けるとアーケード商店街はない。町の雰囲気が変わる。

どう変わるのかって、、、
そう、遊里なのだ。レッドかブルーかわからないが、カフェー系の建物あり。

これは強烈でしょ!

旅館もあった。

そして極め付けはコレ。google mapの空中写真であやしいと思って行ったらありました。「一丁街酒場」という長屋形式の夜の飲食店街。つまりは、かつてのブルーラインでしょう。

いきなりこういう一角が出てくるから面白いですね。
ここから東へ行くと炭鉱町宇部の発祥のエリアになるようです。さてJR宇部線の南側の市街地探訪は終わりました。ここからは、北側です。画像は、宇部新川駅の東側にある渡辺翁記念会館。村野藤吾設計の劇場で国の重要文化財です。

玄関の壁のレリーフを見ると、ハンマーやツルハシを持った男の像だ。炭鉱町だった宇部を象徴する坑夫の像。

宇部新川駅から北方向へ歩いていく。最初に歩いた商店街とは異なり、古い住宅地である。戦災にあっていないので、明らかに戦前の住宅といえる。

起伏があって坂を上る。坂の石畳も古そう。

桃色をした煉瓦塀。なんで桃色?
この煉瓦、宇部では「桃色煉瓦」と呼ばれ、石炭を燃やして残った灰を土に混ぜて作ったものだそうだ。

琴芝駅から北へ行った丘上の住宅地。ここはロケでも使われる桃色煉瓦の小道である。

企業城下町宇部おわり。