
宇部市内の宿を後にし、室津半島先端の上関町室津へ向かう。山口県の離島は、日本海側・瀬戸内しかり、いずれも期待を裏切らない島里ばかりである。その中でも、瀬戸内の祝島は、一級品の集落であり、平郡島はそれに次ぐといっていい。そんなエリアだから、今日渡る八島と佐合島に期待の胸が膨らむ。
広島を拠点にしているいらかぐみの孫右衛門さんを誘ったら、快く同行しましょうということになり、上関港で落ち合うことになった。八島行きの定期船は、上関発10:00。9:30前に孫右衛門さんと合流し、室津港の道の駅で出航を待つ。

道の駅には新鮮な魚が売っていて、とにかく安い。こんなお店が東京の地元にあったらいいなぁ。

八島への航路から祝島を望む。あんな高い山あったっけ?と思うほど、立派な島影。島というのは遠くから眺めると大きく見える。

高速艇だから速く八島まで30分で着いた。島の中間あたりの北斜面から平地にかけて集落が形成されている。
上関港の南約12kmの山口県最南端に位置する。南北に細長く、中部は平地になっているため1島であるが2島の観がある。古くは屋嶋・矢嶋とも記されていた。島内からは弥生式土器・土師器は出土している。かつては北部の古浦に集落があったが、現在は八島港の周辺に集中している。明治以降、ハワイへの移住者を多く出した島としても知られている。最近まで牛の放牧が営まれていた。観光事業としてキャンプ場を設置して島の振興を図っている。(「シマダス」参照)
海岸線の家並み。各家の壁に動物画のパネルが張り付けられている。これは、いったい何だろう。島の方に聞いてみたら、区長さんの趣味の作品だそうだ。「まだまだたくさんあるよ」とのこと。
海岸線から小さな川沿いに集落へ入っていく。この道がメインストリートのようで、かつてお店だったような建物が何軒か見られる。

緩やかに上りながら曲がる道。その道に沿った川と石垣。向かい合う煉瓦塀と黒板壁。見事な構図!

煉瓦塀の家。しっかりした洋風の門を構えていて、病院だったのかな?というような佇まい。

メインストリートを振り返る。隣の祝島とは違うスタイルであるが、こっちも負けず劣らずの一級品の町並みだと思う。

さらに登っていくと斜度が大きくなり、視界を占める石垣の割合が増える。

ほとんど廃屋だけれど大きく崩れていない。家の造りがいいからだろう。

集落の上にガードレールが見えたので、見晴らしが効く道があると判断し、そこまで上った。密集度は低くゆったりとした家々の配置。どちらかというと祝島島より平郡島に近いかな。

季節によって強い風が吹き下ろしたり吹き上げたりするのであろう。屋敷地外周を建物で囲って、庭を風から守っている。

囲むというより挟む程度かな。海側と山側に建物を配するイメージ。

早く手を入れないとまずそう。
黒板壁、銀の瓦屋根、緑の調和が実にいい。
集落の西方、斜面の高いところにある浄慶寺。法要の行事があり島の人たちが集まっていた。
本堂の襖絵は、地元出身の画家である川口健治氏の作品で、この寺から集落を眺めた風景画が描かれていた。

浄慶寺本堂の天井。描かれた紋は、火事により再建された時に寄進した家のもの。

やっと祝島で見られた練塀があった。祝島では表面を漆喰で仕上げているので、この壁も本来は漆喰仕上げでしょう。
祝島で多く見ることのできる練塀は祝島だけの特徴であり、長島やここ八島にはわずかしかない。

しかし、なんでこんなにも立派な民家が多いのか。答えはハワイへの出稼ぎ者を多く出した島だったということだそうである。

練塀の路地

屋敷地を囲む付属屋の入口から庭を見る。

集落の優れた島里という情報は全くなかった八島であったが、とても建物の質が高い、素晴らしい集落だった。

さて、今回の八島から初ドローンを飛ばした。そこで、ちょっとしたトラブル発生。画像のように集落を俯瞰しようと山に近づいた途端に、、、山のカラスが大騒ぎに。おそらく巣に近づいたためだろう。カラスは外敵が巣に50m近づいたところで威嚇するそうで、まさにその状態になっていたのだろう。「こりゃやべー」とドローンを引き返させたところ、何事もなかったように静まり帰った。島の皆さん、お騒がせしてすいませんでした。

佐合島へ続く