海界の村を歩く 瀬戸内海 佐合島
牛島に渡るはずだった。台風とかち合い宇部探訪に切り替えたため行けなくなった。八島だけではもの足りないので、予定外だったが佐合島を組み入れた。
佐合島は室津半島の西岸にある佐賀港より船が出る。沖合1.9kmと肉眼で家が見えるほどの近さで、8分で渡れる。
平生町佐賀地区の南西海上1.9km、瀬戸内海国立公園内にある島。北と南に100mを超える山があり、ほとんどが丘陵傾斜地で、平たん地は5%程度にすぎない。古くは佐郷島・佐河島とも記され、中世には京都賀茂社領があったと伝えられる。慶長5年(1600)の検地帳にも島の名がみえ、天保13年(1842)には694人、明治22年には975人の人口を数えている。今では農漁業とも衰退し、一本釣などが細々と続けられている。定年後、島に里帰りした人たちも多い。美しい海岸には自然の薬草が自生、また潮干狩や岩場でのフィッシングが楽しめ、とくに夏場は海水浴客で賑わう。(「シマダス」参照)

集落は室津半島を望む島の東側、弓なりの砂浜上に形成されている。意外と島外から渡ってきている人達がいる。

海岸線の道を歩く。画像のように石垣の防波堤と一体化した民家があった。海岸線には現在はしっかりとした防波堤が築かれているが、以前は頼りなかったのか。

ここにも!

とはいえ、防波堤一体型じゃない家もある。現在の防波堤との間に一定の間隔があって砂利敷きになっている。原型はどんなかたちだったのだろうか。

家々は板壁と桟瓦葺が基本。

海岸線の道を集落の一番端まできた。ちょっと高い位置に覚勝寺というお寺があった。

お寺の境内から集落へ降りる階段がある。

この道が本来のメインストリートの横道(海岸線に平行した道)であろう。

家々の間には空き地が目立つゆったりとした集落景観だが、明治期には975人が生活していたというから、かつては家がビッシリ建ち並んでいたのだろう。

黒いトタン葺き屋根。この島では珍しい。

空き地には建物の基礎石が残っているから、かつての屋敷地の区画がわかる。

煉瓦塀のある屋敷。家も大きい。

小学校は今やない。

最後にドローンを飛ばした。浜で遊んでる人達が「なんだなんだ」って感じになる。島は静かだから、ドローンの音が結構目立つ。なかなかやりにくいもんだ。

柳井へ移動し、孫右衛門さんと夕食前に遊里を探訪しようということになった。画像は伝建地区になっている町並み。

そこから東の方へ行くと現代の商店街があり、その裏に飲食店街がある。

表通り側がアーケード状になっていた建物の側面。集合店舗ビルのようだ。

古い建物を改修してスナックした店舗。なんでスナックは洋風モダンなのだろうか。

「だったらしい」というエリア。

古そうな総二階建てがあったけど、どうかなぁ。

この建物後ろに長くなっていたんで、元は映画館かな。

出ました「モザイクタイルの円柱」。これがあると旧レッドであろうポイントが上がる。

柳井天満宮の周りのスナック街。

あってよかった!遊里探訪は探す面白さがある。
いつかまた「遊里を歩くシリーズ」復活しましょうか。
by marunouchi_no1
| 2018-10-06 20:30
| 山口県
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