(大分県別府市鉄輪温泉)
別府。
国際的な温泉保養地として超有名であり、その巨大な温泉街は「泉都」と呼ばれています。源泉数は2100箇所で全国の源泉のなんと1/10、総湯量も全国一。歴史を語れば何ページも書き下ろすことになりますのでwiki などに任せるとして、受け売りになりますがポイントだけおさらいしましょう。
柴石温泉が平安時代から、別府温泉と鉄輪温泉が鎌倉時代から、浜脇温泉も八幡朝見神社の門前町として栄えました。江戸時代に入って瀬戸内からの湯治船が集まって賑わうようになると、街道沿いの亀川温泉などが開かれます。
そして、文明開化。明治4年に別府港が整備されると大阪からの航路が開かれて益々多くの人々が訪れるようになり、湯治場から温泉都市へと発展します。明治44年の別府駅が開業、明治45年の大阪商船の大型船「紅丸」の就航を契機に、駅と港の間に商店や飲食店・娯楽施設が建ち並ぶ歓楽街が形成されました。
温泉街といえば歴史的な観光地。そしてかつての観光地には「遊里」がつきもの。別府が巨大な「泉都」であれば、別名「遊都」と呼んでも良いでしょう。今回の旅は、その遊里に着目し、別府の深い処を端から端まで歩こうと思います。
大分空港からリムジンバスに乗り別府へ向かいます。終点は別府駅ですが、その手前の亀川駅で下車します。
東に別府湾を、西に温泉の源となっている火山由布岳・鶴見岳の連山を臨み、その裾野から海岸にかけて南北約8kmにわたって広がる泉都。その最も北に位置するのが亀川温泉です。
駅前広場を出て国道を渡り、「亀川温泉」のゲートをくぐります。
海岸線に沿った旧街道沿いに町が形成されています。ここで町並みの特徴をキャッチ。大小・色とりどりの丸石を使った石塀が共通して見られます。由布岳・鶴見岳連山から別府湾に注ぐ河川の川原の石でしょうか。
浜田温泉。↑の建物は現在の浜田温泉の正面に建っている浜田温泉資料館で、旧浜田温泉の建物を原位置に復元したものです。
建物の前で動画撮影していると、管理の方が出てきて早速説明を始めてくれました。旧建物は湯気や老朽化でボロボロだったそうで、この温泉を愛していた方が自費を投じて復元されたそうです。奇特な方がおられるのですね。湯船や床の仕上げはオリジナルだそうです。
旧街道に沿った亀川の街は、国道とJR日豊本線を斜めに横切り、さらに南へと延びています。↑は「亀川筋湯温泉」で狭い旧街道から面しており、引きもなくイキナリ入るようになっています。右が男湯、左が女湯で、脱衣所が道から丸見えです。
旧街道に沿った亀川四の湯の町並み。
亀川四の湯温泉。公園の奥に洋風の共同浴場が建っています。周りには旅館だった?らしき建物が見られました。
四の湯温泉の背後の崖地。街は崖を駆け上がっていますが、この建物は旅館だったのかな?
路線バスで亀川から鶴見岳の山腹に広がる鉄輪温泉へ。鉄輪温泉のバス停まで行かず、手前の「みはらし坂」で降りました。鉄輪温泉が一望できます。
熱の湯通り。「別府石の古い石畳」と解説が書かれていました。そうか、色とりどりの石は別府石という地のものだったんですね。
富士屋旅館。国登録有形文化財。
鉄輪温泉の目抜き通り「いでゆ坂」。右手は別府石の石垣石塀。
「鉄輪銀座通り」の町並み。やたらカフェが多い。昼飯食べたいんだけど食堂がないなぁ。
平田川沿いの道。至る所で蒸気が上がっています。ものすごい湯量だ。
配管に硫黄が付着して鍾乳洞のようになっている源泉。迫力あるなぁ。
平田川にある「谷の湯温泉」。ここも外から中が丸見え。
旅館の手摺のデザイン。斜めの羽目板は珍しい。
「湯けむり通り」の町並み。道の真ん中に排水溝があって、湯けむりが上がってる。
鉄輪温泉、初めて歩きましたが良い町並みでした。
さて、ここから本題に入ります。冒頭に説明しました駅と港の間に形成された繁華街・歓楽街を歩きます。⭐︎の場所がポイント!
まずは、JR日豊本線のガード下の「べっぷ駅市場」から。昭和41年の鉄道の高架化に伴って造られた「南高架商店街」が前身おだそうです。
時代的に古いものではありませんが、どことなく闇市系の昭和な香りがする。
店舗が入居していない区画では、賑わい途切れないように色々ディスプレイされています。
駅前から北方へ移動します。北浜の春日通り(東西方向)。別府タワーが背後にそびえる町並み。
「仲間通り」の「北部旅館街」です。ここはかつて「行合町」と呼ばれた遊郭だったそうで、昭和33年の売春防止法が施行された後、旅館街に転業して現在まで続いています。一泊2000円から3000円の超格安旅館ばかりですが、ドヤではないし、連れ込み宿(昔のラブホ)なんでしょうか。
ありました!モザイクタイルのタタキと丸柱のカフェー建築だ!戦後レッドラインの証し。
海に向かって歩いていくと大きな建物が現れた。「山田別荘」という昭和初期の建物だそうです。別府石の石垣も素晴らしい。
そして国道10号線にそそり建つ「別府タワー」。東京タワーを設計した内藤多仲によるタワーシリーズの一番最初の建築で、昭和32年(1957年)竣工しました。
今見ても新鮮なデザインだなぁ。
駅前通りの南側へ。駅前通りから中浜通りにかけてが商店街と歓楽街です。
「別府やよい商店街」のアーケードから入っていきます。
やよい商店街の一本東側を並走する「ソルパセオ商店街」アーケード。
かつての楠本町通り。
物販店が並ぶアーケード街の裏は飲食店街です。この構成は全国共通ですね。「八坂レンガ通り」は歩行者専用のスナック街・飲み屋街でした。
そして有名な「竹瓦温泉」。
明治12年(1879)創設で、現在の建物は昭和13年(1938)のもの。立派な建物です。竹瓦温泉の前の竹瓦小路は、「わが国最古のアーケード」と言われています。ほんとかな。
繁華街・歓楽街の中心部である流川通り(東西方向)のかつての様子。
主軸の楠本町通りの東側はスナック街。古い地図でもその様子が伺えます。
「妙見川通り」は極細の路地ですが、川を暗渠化した通り。
中浜筋の町並み。
やよい商店街の南端付近。そこに怪しげな路地が、、、
???
西法寺通り梅園温泉付近の町並み。
その途中に怪しげなエリアがある。画像右側方向。
土管の煙突!
その怪しげなエリアを入ってみます。さっきアーケードから覗いた路地の先でした。 2階建ての長屋が建て込んでいる。これこそ戦後闇市飲食店街のようだけれど、別府は戦災を受けていません。どういう経緯でこの街が生まれたのか。謎ですが実に魅力的です。
楠銀天街=楠本町通り+アーケード
別府駅前通りからここまで離れると人通りも少ない。
かつては映画館が建ち並ぶエリアの商店街で、さぞ賑わったことでしょう。
そのエリアを探索していたら、これまた怪しげな旅館が出現。今や営業はしていなさそうですが、意匠に色気を感じます。
うーむ、遊里の匂いが、、、
これはスナック街だ。しかも古そう。映画館の周りにはブルーラインの街があったりしますが、そうなのかな。この辺は空き地が多く見られましたが、かつてはこういう街が広がっていたのでしょうか。
そして、別府の最南端までやってきました。楠銀天街を抜け、しばらく静かな街を歩いて朝見川を渡ると、浜脇温泉です。最初に記したように浜脇は、鎌倉時代に開かれた八幡朝見神社の門前町であり、戦後まで遊郭、つまりレッドラインでした。以前歩いた時から建物が減ったかな?でも無住ながらかろうじて遊里の面影を残していました。
JR日豊本線東別府駅。国の登録有形文化財になっている駅舎。ここで、「遊里を歩く 別府編」のレポを終わりますが、どうぞ動画も見てやってください。