
(長野県大鹿村釜沢)
前回「天界の村を歩く2 南アルプス 富士川」より
やってきたのは南アルプス西部にある伊那市長谷(旧長谷村)、ここから中央構造線に沿って、南アルプスと伊那山脈の間を南下していきます。旧長谷村は天竜川の支流・三峰川水系の谷が刻んでいますが、この後訪れる大鹿村・旧上村・旧南信濃村に比較して谷が広く緩やかな丘陵地が多いように思います。丘陵地上の集落のうち、黒川谷最奥の黒河内集落を訪ねます。
黒河内集落。

河原の丸石を積み上げた石垣。

各家はあまり大きな主屋ではありませんが、蔵を脇に備えています。ほとんどの蔵が漆喰が落ちてしまっています。本来は右のようにナマコ壁でしょうか。

蔵の位置は右左法則性はなさそうです。ナマコ壁の代わりの金属板の腰巻。

棟方向を主屋と平行にした蔵。この平入りの形態は、遠山郷(旧上村・旧南信濃村)の古い民家に共通していると思われます。

蔵が主屋と棟方向を変えながら、同一屋根で覆っている民家。珍しいですね。

一旦山を下り伊那市街で1泊した後出直し、旧長谷村から大鹿村へ分杭峠を越えました。
上の画像は、大鹿村を縦走する中央構造線の図。天竜川の支流・小渋川の刻んだ谷は地滑り地域で、1961年の集中豪雨では甚大な被害を受けました。
小渋川の支流・塩川谷の北側、南斜面に形成された梨原集落と沢井集落を歩きます。画像は梨原。

標高1000〜1100mに分布しています。

家々は集中しておらず、畑地を挟んで離れています。

集落の最上部に城郭のような石垣を築いた屋敷がありました。

この家は、かつて梨原集落の名主を勤めた家だったそうです。


梨原集落から上流側隣にある沢井集落。標高1000〜1200mに分布しています。

この集落も梨原同様に家々が畑地の中に点在している形態です。

集落の中程にナマコ壁の蔵を備えた大きな屋敷がありました。

梨原の旧名主家と同様に、この地域らしい上層民家の主屋が残っていました。無住になってしばらく経っている様子です。

屋根勾配の緩やかな元板葺き切妻妻入の主屋。

大きな2階屋。

集会所の前の掲示板に「大鹿歌舞伎 春の公演」のポスターが貼られていました。大鹿村は農村歌舞伎が有名ですが、ちゃんと続けられているのですね。

弘法大師ゆかりの伝説のある古木「逆イチョウ」(大鹿村指定天然記念物)へ向かう道。人の家の前庭を横切る感じです。

逆イチョウの前の神社。
沢井集落を歩き終わったところで、梨原・沢井集落を空撮するためドローン飛ばしました。ところが急に雨が降り出した。慌てて帰還させたら、数分後に土砂降り。危ない危ない。

小渋川上流部の沢戸集落。土砂降りのため、クルマの窓からパシャ!

上蔵(わぞ)集落。「公園場」という上蔵集落を俯瞰するビュースポットにて。大雨で残念です。

雨は止む見通しがなさそうなので上蔵を見た後、飯田市街のホテルへ引き揚げました。ところが、地形図を見直したら小渋川の最奥にもう1つ天界の村があるではないか!
翌日、旧上村を取材した後、もう一度大鹿村へ向かいました。
小渋川最奥の釜沢集落。小渋川の谷へ下る南斜面上に形成されています。小渋川はこの集落の下で二股に分かれてており、それぞれの谷の先には南アルプスの主峰を拝む事ができます。
画像は烏帽子岳(2726m)・小河内岳(2802m)。

こちらは赤石岳(3131m)。

釜沢最上部にある屋敷。

釜沢の町並み。

南アルプスは前衛の山があるためかなり上流にまで入らないと姿を現しません。そのような場所にあり、主峰の稜線を眺める釜沢集落は素晴らしい立地と思います。