(新潟県粟島浦村)
能登半島の沖にある舳倉島から輪島港へ戻ったのが16:25。まだ日が沈むまで時間があるので、能登島の集落をクルマで回りましたが、めぼしいものがないのでスルーしました。ここから新潟県の三条まで350km移動します。
三条のホテルを早朝に発ち、下越地方岩船港に9:00着。35km沖合に浮かぶ粟島へ渡ります。
粟島
新潟市の北方63km、村上市岩船港の北西35kmの日本海にある島。島全域が「瀬波笹川流れ粟島県立自然公園」に指定されている。ほとんどが山地と丘陵で、島の中央には最高峰265.6mの小柴山をはじめとする山並みが南北に連なっている。傾斜が比較的ゆるやかな東側に内浦、急斜面の続く西側に釜谷の2集落がある。対馬暖流の影響を受け、気温の日較差が少ない海洋性の気候で、積雪は少ないが季節風は強い。島内から縄文遺跡が発見されており、その頃から人が住んでいたと思われる。「万葉集」に詠まれ、帆船時代には佐渡や山形県飛島へ向かう北前船の風待ち・潮待ち港となり、年間1000隻もの船が寄港して島は賑わった。周囲に高良場があり、昭和初期からタイの大謀網漁業が主産業となっていたが、昭和40年代の離島ブームでタイ釣りと自然を中心にした観光業が盛んになり、今では漁業と並ぶまでになった。もともと漁師たちの磯料理だった「ワッパ煮」は曲げワッパに焼いた石を入れ小魚を炊き上げるもので、それはそれはおいしい。(「シマダス」参照)
粟島へのフェリーは、お盆真っ最中の時期でもあり、満員御礼。室内はいっぱいで、デッキのベンチで1時間25分。
粟島港の景。島への帰省客ばかりではなさそう。新潟県のレジャー地としてとっても人気があるのですね。
粟島にはフェリーターミナルのある内浦と島の反対側にある釜谷の2つの集落があります。フェリーに接続したコミュニティバスは、島の北端をグルッと周って釜谷に向かうもので、観光名所に立ち寄ってくれます。ただし北回り便は要予約。
島の西海岸。急峻な景勝地が続きます。粟島は日本海を震源とする地震で都度隆起しています。1964年の新潟地震、今年2019年の山形県沖地震でも隆起し、その前まで水中にあった岩が水面から顔を出すようになりました。
釜谷集落です。急峻な地形に中にあるわずかな平地に集落が形成されています。
奥行の短い密集系漁村集落。昭和40年代の離島ブームで観光業が盛んになったそうですが、釜谷には民宿が多くあります。家々はその時代のものが多いのでしょうか。
港から山の上の神社へ向かう縦道。 総二階建てがほとんどで、古めの建物は下見板張り。
神社境内からの眺望。
縦道を下り、主に三本通う横道を歩きます。
狭隘な道に玄関を構える。
建物の中を貫く半パブリックな道。建物内の廊下ですが、閉じる扉も付いていないので、誰でも通れます。
蔵が現れました。漆喰装飾が施されていたので、隣の空き地含めて比較的大きなお屋敷だったのでしょうか。
一番下の横道。この右手の擁壁が高く丸石(ごろた石)積みなので、おそらくかつての海岸線でしょう。
段差はほぼ一層分。このなまこ壁の家の中を半パブリックな道が貫通しています。
現在の海岸線の道から。
バスで内浦へ移動。釜谷方面からの内浦集落の入り口にある粟島浦村資料館に立ち寄ります。島の模型があり、山がちであること、集落がわずかな平地に形成されていることがよくわかります。
上の写真は釜谷 集落。
上の写真は内浦集落です。
内浦で空撮。
おおっ!細長く切妻屋根が並ぶ独特の景観だ。このような集落形態は、新潟県の海岸線沿いに多く見られます。
いやいやお見事!
内浦集落の南端から入ります。丸石の石塀が美しい。
資料館にあった古写真。集落の中央を縦断する目抜き通りでしょう。
短冊状敷地の側面の通り。
目抜き通りの町並み。この三つ子は古そうだ。
北端の一角になまこ壁のエリアがありました。瓦の色が赤茶混じりで味わい深かった。