(東京都小笠原村父島)
小笠原諸島、行きたくてもなかなか行くことができない東京。竹芝桟橋から父島二見港までちょうど24時間かかります。最低でも現地に3泊して5日必要。しかも出港日が6日毎でズレていくから、連休に合わせていい具合に予定を組むことができない。
昨年も11月に計画し旅費も払い込んだのに、直前で仕事のトラブル。泣く泣くキャンセルして半額払い戻しされませんでした。今年はなんとか実行できそうです。
父島
東京の南南東約1000kmにある小笠原諸島最大の島。2016年7月に就航した新造船おがさわら丸」で東京から24時間。1639年オランダ船によって初めて発見されたと言われている。ほかにも1543年のスペイン船発見説、また文禄2年(1593)信州深志城主の小笠原貞頼の発見・上陸という説もある。寛文10年(1670)に阿波国のミカン船が母島に漂着、のちに父島を経て帰国したことから、幕府は5年後に島谷市左衛門らを派遣し、実測図などを残している。長崎に渡来したドイツ人医師ケンペルは、この無人島の記録を著書「日本誌」(1727)で紹介している。また、天明5年(1785)には経成学者林子平の地理書「三国通覧図説」にも記された。19世紀に入るとイギリスやロシアの捕鯨船・探検船が来航している。実際の開拓は天保元年(1830)ナサニエル・セーボレーら5人の欧米人と20人のハワイの人々の入植によるもの。嘉永6年(1853)にはペリーが来航している。文久元年(1861)幕府は小笠原島の帰属を諸国に通告、外国奉行水野忠徳を臨海丸で派遣している。翌年には八丈島から30人数人が入植、国内外の事情により全員が一旦引き揚げるものの、明治9年には日本領と確定し、再び入植が始まった。戦前は野菜・花栽培、カツオ・マグロ漁などが主に意図まれていた。戦時中は海軍飛行場などが造られ、昭和19年には住民のほとんどが本土へ強制疎開、戦後21年にはアメリカ軍統治下で欧米系住民120人余りの帰島が認められたが、ほかの住民は昭和43年の日本返還まで帰島が帰島が許されなかった。昭和47年に国立公園指定され、平成23年6月には世界自然遺産として登録された。世界的にも珍しい動植物が多く、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれ、ダイビングなどのマリンスポーツやホエールウォッチングなどの拠点としても注目を浴びている。(「シマダス」参照)
「おがまるパック」というので往復の船代と宿がセットになっているツアーを押さえました。往復共に2等寝台、宿は父島の同じところに3連泊です。
父島の集落は二見湾に面してありますが、大きいのは湾の北側にある大村・清瀬・奥村と南にある扇浦です。他にも小集落が点在しています。
私を乗せたおがさわら丸は、水曜日の11:00に竹芝桟橋を出航します。
天気がいいぞ!とはいえ同じ東京でも1000km離れているから、あまり関係はないです。
船内に航路付近の通過予定時刻が掲示されてます。東京湾から外洋に出て、伊豆諸島の島々の東側を順次通過していく。
伊豆七島とはこの角度からみたモノだと思わずにいられないほど綺麗に七島が並んでいました。そして、三宅島と御蔵島のあたりで日没です。
展望ラウンジで小笠原限定のレモンチューハイをいただきます。これが結構美味しい!
日が変わってデッキに出ると生暖かい。飛行機で沖縄に降り立った時の気分が、船で味わえるのは新鮮です。
水平線には変わった形の島が並んでいました。そこはもう小笠原諸島、聟島(むこじま)列島です。
そして父島列島が見えてきた。左から弟島、兄島、父島。父島列島は男性、母島列島は女性の名前が付いています。
24時間丸一日して11:00父島二見港に到着です。港には各宿の人たちが出迎えてくれます。
宿は「パパスアイランドリゾートHale」という街のど中心にあるけれど、とっても居心地の良さそうな建物。
早速、Hale1階のレストランで腹ごしらえです。海鮮丼には南の島で採れた新鮮なお魚がいっぱい。
宿の目の前は、小笠原諸島で最も大きなショッピングセンター「小笠原生協」です。飲み物を買いましたが、メッチャ高いのにびっくり!運送代が高いのでしょう。
父島の集落を歩く前に、まずは島の観光名所を一周します。ここはウェザーステーション展望台へ上がる途中にある二見湾を見下ろせる場所。手前が中心集落の大村地区、湾の奥に見えるのが奥村地区です。いずれも沖縄のような白い街という印象。
ウェザーステーション展望台の近くにある戦跡のひとつ。通信施設だったかな。
ウェザーステーション展望台。ここは隣の兄島・西島・南島から遠く50km離れた母島まで見わたせる見晴らしの良い高台で、断崖絶壁の頂点にあります。父島近海には12月から5月まで、ザトウクジラがやってくるそうでホエールウォッチングの場所、そして夕陽の絶景スポットでもあります。
二見湾から見て島の反対側にある宮ノ浜。太平洋戦争では、特攻兵器「震洋」(小型 特攻ボート)の基地でもありました。実際に出撃はなかったそうですが。
浜の向かいに兄島、その間の兄島瀬戸に面しています。この湾内の水面は静かですが、兄島瀬戸に近づくと潮の流れが速いので、海に入る人は要注意。
浜には色々な形をした珊瑚の小石がたくさん見られます。
兄島と兄島瀬戸を望む長崎展望台。
枕状溶岩の断面が現れた擁壁。円形の枕を積み重ねたような形をしていて、境目がガラス質になっています。
国立天文台VERA小笠原観測所。青森県三沢、鹿児島県入来、沖縄県石垣島、そして小笠原父島の4箇所に電波望遠鏡があり、この四ヶ所を使って半径約1000kmの大きな望遠鏡が形成されているんだそうです。人は三沢にいて、遠隔操作で動かしています。
島の東海岸真ん中辺りにある初寝浦展望台。ものすごい風だ。
島の周回道路(夜明道路)から初寝浦展望台へいく途中に戦跡があります。外壁には銃弾を受けた穴が空いている。
戦前の鉄筋コンクリート造で、入口や窓に分厚い鉄扉が付いていたであろうことが、残っているバカでっかい丁番から想像できます。
ここも軍事施設の跡。悲しいかなたくさん落書きが描かれている。だれか書き始めると記念に描くのか。描く道具なんてそこらにないから、あらかじめ用意してたってことか。
壁は一枚半積みの煉瓦造です。
道端の綺麗な植物。私は植物に興味がないから調べようともしないけど、きっと固有種なんでしょうね。
ヤシの木って大きな実がなっているイメージでしたが、普通のやつはこういう小さい実がいっぱいなのだそうです。
宇宙航空研究開発機構小笠原追跡所。
種子島で打ち上げられたロケットは5分後に小笠原諸島上空を通過するそうです。その追跡確認のための施設です。電波望遠鏡と違ってここの敷地には入れません。北袋沢地区の農村。小笠原村で一番大きな農地だそうです。盆地のようになっている北袋沢地区は他と比較して気温が低い。
八ッ瀬川に沿った遊歩道を小港海岸まで歩いていきます。
小港海岸。湾になっていて海も穏やか、とても静かな場所です。
村内バスはここまで来る。東京都最南端のバス停がありました。
初日は観光名所を巡るだけ。明日は集落中心に歩きます。