海界の村を歩く 太平洋 父島(東京都)集落編
(東京都小笠原村本村)
さて観光はこれくらいにして、本題の集落を歩きましょう。
父島の集落は主に二見湾の周りにあります。湾の北岸に大村、北東岸に奥村・清瀬、南岸に扇浦の各集落があります。
二見湾を空撮。おがさわら丸よる奥に見える集落が清瀬・奥村。
小笠原村の中心集落である大村地区。
旭山の山麓から眺める。手前が奥村の集落です。
ペリーが小笠原に立ち寄ったことを知った幕府は、文久元年(1861)臨海丸をはけんした。絵図はその頃の奥村の裏山から二見湾を見てえがかれたもの。
大村地区の東側。海岸から三本の通りで構成されています。小さいですね。
大村地区の西側。この辺りに平地があって最初の集落が形成されたようです。戦後の建物ばかりですが、町割りは変わっていないのかな?
大村地区の海岸通。目抜き通りです。
海岸通の町並み。この建物は3泊滞在中の宿「パパスアイランドリゾートHale」。一階がレストランになっています。
Haleの前にある小笠原生協。村内最大のショッピングセンターです。
生協の前にもスーパーマーケット。島に人たちはどっちかで食材を調達している様子。
生協の並びにはお土産物屋さんが並んでいます。店頭を飾っているのはサンダル。まぁ海に入りに来ている人達がほとんどだから、持ってくるの忘れて買うってか?私は帰りの船の中で使うために買いました。 しばらく歩いて行くと小笠原村役場。
役場の前に小笠原に関係ある⁉︎場所への距離と方向を示した集合サインがあった(こういうのなんていうのだろう)。東京が979km、沖ノ鳥島までさらに同じ位あるのがビックリです。
役場の前で海岸通と交差する幅広の通り。そこに郵便局、警察署、総合庁舎、そして突き当たりに東京都の小笠原支庁があります。さらに、一本入ったところにあるのが小笠原世界遺産センター。世界自然遺産の対象となっている動植物を保護するための調査研究など取り組みがされている。その展示がありますが、とにかくマニアック。大きなスクリーンで何の映像を流しているかと思ったら、西之島(近年噴火した)の土をドローンに付けた掃除機で吸い取る映像が延々と流れていました。
小さな教会が現れた。戦後小笠原は米軍の統制下に入りました。その中で帰島が許されたのが欧米系の住民でした。彼らは、戦前からあった教会が失われていたため、新たに建てたのがこの教会になります。
気象庁父島気象観測所
海岸通りの突き当たりにある海上自衛隊父島基地分遣隊。街はこのあたりで終わります。
海岸通りから一本山側を平行する「ボニン通り」は飲食店街。夜の賑わいを取材しましたが、絵にならないので掲載はやめました。それほど小さくて静かな街です。
和食・洋食・中華(やや離れた場所)一通りのメニューが揃っています。カラオケパブまである。
昭和初期の大村の町並み。どの通りかわかりませんが、両方に家が建っているからボニン通りかな?木が多いですね。
開拓時代の住居の模型。ビジターセンターに展示されています。
大神山神社下の民家。ビジターセンターにあった古い写真にも写っていましたので、数少ない返還前の民家と思われます。
大神山神社への参道。この階段を登り切って社があると思ったら、さらに上まで参道が続いてた。
二見湾を望みます。湾の対岸に見える集落は扇浦。
ガジュマルの屋敷林。かつては暴風のために植えられていたそうです。家がなくてもガジュマルがあるとそこは屋敷の跡だとか。
大村と清瀬・奥村を結ぶトンネル。その中に大きな木戸がありました。防空壕として使用するために付けられたものだそうです。
旭山山麓から眺めた二見。
幕府が派遣した臨海丸による調査団の描いた絵図?。奥村から湾口を望む。
大村から見て二見湾の対岸に扇浦という集落があります。
明治政府は、明治9年に小笠原が日本の領土であることを各国に通知し、扇浦に内務省出張所を建てました。その時に扇浦を描いた図です。
奥村と扇浦との間は険しいため以前は道路がなく、大村とは船で行き来していたそうです。その時の桟橋の痕跡が見られます。 扇浦の海岸線の町並み。丘の上にも集落があります。古絵図を見ても丘の上にも集落が見えます。ほとんどがペンションで、大村地区より静かな扇浦地区に泊まるのを好む旅行者も多いそうです。
二見湾の過去と現在。大村地区の一部に集落が見え、他は戦後埋め立てられたことがわかります。
船で1泊、父島で2泊、4日目の朝を迎えました。これから母島に渡ります。
by marunouchi_no1
| 2019-11-25 20:00
| 東京都