人気ブログランキング |

カテゴリ:未分類( 149 )

 

天界の村を歩く2 関東山地 富士川

d0147406_16571368.jpg
(山梨県富士川町十谷)

前回「天界の村を歩く2 関東山地 荒川」より
d0147406_09070520.jpg
(山梨県早川町茂倉 2016年撮影)
山の上に形成された山岳集落の旅は、埼玉県から雁坂峠を経て山梨県に入ります。秩父地方には山岳集落があるのに、峠を越えた山梨県側は見当たりません。山深さは変わらないのですが不思議に思います。
d0147406_12184464.jpg
(山梨県早川町茂倉 2016年撮影)
では、山梨県側はどこでみられるかというと、やはり南アルプス、2016年に富士川支流早川に沿った集落を探索しました。早川沿いには斜面上集落は多々ありますが「山の上」という点で茂倉を天界(あまさか)の村として紹介しました。http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/yamanashi_data/mogura/mogura.html
d0147406_16585501.jpg
今回は、早川以外の富士川支流に沿った集落の内、地形図から天界度の高い集落2つをピックアップしました。まず、大柳川の上流にある十谷(じっこく)を歩きます。
d0147406_16590061.jpg
南アルプス東部の源氏山・御殿山の東麓、大柳川左岸の台地上にまとまった集落が形成されています。地名は10の渓谷が落ち合っていることに由来しています。
d0147406_16595797.jpg
集落に入っていくと、山岳集落らしからぬ町家建築が現れました。
d0147406_16590816.jpg
d0147406_16303139.jpg
d0147406_17002187.jpg
しかもナマコ壁。ナマコ壁は伊豆半島に多いスタイルで、富士川沿いに山梨県や長野県に伝播したと言われています。十谷はまさにそのエリアに当たります。
d0147406_17003200.jpg
十谷では、昭和35年に古くからあったとされる温泉を掘削して柳川閣が開湯、次いで源氏荘、十谷荘、山の湯などが開湯しました。
d0147406_17005673.jpg
周辺農村の人々が利用する地元の温泉場だったのでしょうか。
d0147406_17021704.jpg
ドローン空撮。こういう画角ですと山の上にある感じが出ませんね。まだまだ修行が足りません。
d0147406_17013140.jpg
富士川を身延町まで下り、次の支流曙川上流域に入ります。このあたりも十谷から続く丘陵地で、いくつか集落が点在しています。その中から福原・古長谷地区を訪れました。
d0147406_12540740.jpg
d0147406_12531590.jpg
東へ向かって下る緩斜面にある福原集落。訪れた日は曇りでしたが、晴れたら富士山が見えるのしょう。
d0147406_06560334.jpg
古そうな民家。入母屋金属屋根の二階屋はちょっと珍しいかな。
d0147406_16294818.jpg
集落は上の方へ広がってる。
d0147406_06582751.jpg
「鰍沢警察署管内 消防組」と右から書かれてる。戦前のものでしょうか。鐘の打ち方で8つの危険を知らせています。
d0147406_16300367.jpg
古長谷集落。
d0147406_16300514.jpg
かつて草葺だったと思われる高い屋根が見られます。ここから富士山が見えたら、絵になります。

by marunouchi_no1 | 2019-04-29 20:00  

天界の村を歩く2 関東山地 荒川

d0147406_12322794.jpg
(埼玉県秩父市大滝栃本)

前回「天界の村を歩く2 関東山地 吉田川」より。
d0147406_12493393.jpg
「天界の村を歩く2」の2日目夜は埼玉県小鹿野泊、明日の奥秩父攻めに備えます。
d0147406_12462340.jpg
荒川上流、最奥の地に秩父市大滝(旧大滝村)があります。このエリアは関東山地「天界の村」のクライマックスです。まずは、荒川が二瀬ダムに堰き止められできた秩父湖を見下ろす大滝寺井・麻生集落から歩きます。
d0147406_12462511.jpg
荒川の左岸、南斜面上の寺井・麻生地区。
d0147406_12462705.jpg
d0147406_12462999.jpg
麻生加番所跡。寛永20年(1643年)幕府の役人が巡見の際、栃本の関の警備が手薄なのをみて、関より江戸側に加えて設置することになった番所だそうです。建物は名主宅を兼ねていましたが焼失し、現在の建物は幕末に建てられたもの。それ以降も番所と呼ばれていたそうです。
d0147406_12463185.jpg
集落の背後の畑地。
d0147406_12474643.jpg
お地蔵さんが並んでいます。
d0147406_12474844.jpg
集落上部から見下ろす。秩父湖の対岸奥には三峰神社とその下に形成された三峰集落があります。
d0147406_12484252.jpg
斜面の一部は石垣によって段々状に宅地化されている。
d0147406_07100729.jpg
画像は2006年のもの。建物がちょっと減ったかな。
d0147406_07110952.jpg
d0147406_07111529.jpg
寺井・麻生地区の1つ上流側にある上中尾地区(2006年撮影)。
d0147406_12475230.jpg
荒川最奥の栃本集落。武蔵国と甲斐国を結ぶ秩父往還が国境雁坂峠を越える武蔵側にあり、関所がありました。
d0147406_12475580.jpg
ドローン空撮(上2枚)。さぞ迫力あるだろうと思って飛ばしましたが、地上から撮った方が迫力あるなぁ(下)。
d0147406_12492183.jpg
斜度は20度くらいでしょうか。家々が固まっておらず、割と離れています。畑は段々畑になっておらずゼリ畑。
d0147406_12492461.jpg
栃本の関。
d0147406_12492742.jpg
秩父往還にあたる国道140号線から見下げる。
d0147406_12493055.jpg
d0147406_12502528.jpg
駐車場も一苦労です。
d0147406_12501227.jpg
栃本バス停のところの大きな家。
d0147406_12501315.jpg
名主格の家でしょうか、とにかく造りが立派です。
d0147406_12501632.jpg
d0147406_12501870.jpg
谷側の建物。円窓がある。旅館だったのかな?
d0147406_12502006.jpg
斜面上の集落を結ぶ上下方向の道が、集落全体を斜めを一直線に通ってます。
d0147406_12520856.jpg
d0147406_12521229.jpg
さて、計画ではここから関東山地最後の奥多摩を歩く予定です。しかし、明日天候が崩れるので今日のうちに南アルプス東麓を訪ねておきたい。奥多摩は家から近いので、ゴールデンウィーク最終日に改めていくことにします。

by marunouchi_no1 | 2019-04-29 12:00  

天界の村を歩く2 関東山地 吉田川

d0147406_11091751.jpg
(埼玉県秩父市皆野町上日野沢 立沢)

前回「天界の村を歩く2 関東山地 神流川」より

神流川は利根川の支流ですが、神流湖の南にあたる城峰山南麓は荒川水系になります。荒川の支流吉田川の谷(阿熊川・石間川)に面する城峰山山麓の標高の高い位置に数々の山岳集落が形成されています。
d0147406_18572527.jpg
秩父市吉田太田部の楢尾地区から城峰山を越えてきたらこの集落が現れました。吉田川支流である石間川の谷に面する南斜面尾根上の半納集落です。
d0147406_11002041.jpg
城峰山(1098m)は秩父地方北部の最高峰で、山頂近くにある城峰神社には平将門の伝説があります。将門が関八州を平定した後下総に敗れ、将門の兵がこの石間ヶ岳に陣を張って城を築いたことから土地の人はこの山を城峰山と呼ぶようになったといいます。
d0147406_21100230.jpg
(石間半納からみた沢戸 2007.11撮影)
 石間(いさま)の沢戸と半納は谷をはさんで互いに相対する関係にあります。周囲の山々は決して高くはありませんが、天界度はなかなかなものです。画像は半納から沢戸を眺めたもの。
d0147406_11002377.jpg
半納集落を歩きます。このように屋号の入った蔵が多いのが特徴。
d0147406_11002806.jpg
d0147406_11004631.jpg
半納が石間川沿い集落 の最奥に位置します。
d0147406_11004028.jpg
石垣と山桜が綺麗。
d0147406_18572925.jpg
隣の沢戸集落、一番高いところ。沢戸は2007年に下から上まで歩いていますので、今回は動画撮影として一番上のエリアのみ歩きます。
d0147406_18573518.jpg
やはりこの集落も蔵が多い。
d0147406_18573768.jpg
d0147406_18574180.jpg
沢戸集落を見下ろす。等高線に平行に棟を並べています。
d0147406_18593997.jpg
蔵の妻面には屋号が掲げられています。
d0147406_18594361.jpg
沢戸より半納を眺める。
d0147406_18595061.jpg
一度山を下り、吉田川の支流の内、石間川の1つ東側にある阿熊川を上ります。阿熊川の左岸尾根上の標高400m〜500mに形成された立沢集落へ。画像は南方を向いた空撮で、三角の山は武甲山です。武甲山は秩父のいろんな場所から見えるシンボル的な山で、石灰採掘により山肌が削られて異様な姿を見せています。
d0147406_18595373.jpg
立沢集落は尾根の上に家々が広く分布しています。その中でも西部の比較的家々が寄り添っているエリアを歩きます。
d0147406_19004343.jpg
d0147406_19005897.jpg
d0147406_19004702.jpg
道路から屋根の上が見える。
d0147406_19005226.jpg
高い石垣がありました。
d0147406_19010165.jpg
ドローン空撮。地図を見ると立沢に「天空のおやき」という店があります。お腹いっぱいだったので立ち寄りませんでしたが、気になりました。

by marunouchi_no1 | 2019-04-28 20:30  

天界の村を歩く 2 スタート!

d0147406_18500026.jpg
(南アルプス 遠山川:長野県)

「海界(うなさか)の村を歩く」と題して島里ばっかり歩いている万訪が「今度は山里ですか?」と思われる方も多いでしょう。サイトやブログを前からご覧の方はお分りだと思いますが、集落町並み探訪家・野村万訪の原点は「天界(あまさか)の村」、つまり山岳集落にあります。その詳細は、2003年に始めたサイト・集落町並みWalkerの「日本美集落探訪・天界(あまさか)の村を歩く」で詳しく語っていますので参照ください。
この記事をまとめたのが2007年です。その時も動画を撮りましたが、いかんせん当時は画質が悪く手ブレもひどい。あれから12年経ち携帯しやすい動画撮影の機材が整った現在、海界の村シリーズと同じクオリティで天界の村を撮りたいと思うようになりました。そろそろ海界から一旦抜け出したいという気持ちもあるのかな。
d0147406_08151657.jpg
(中央構造線と西日本)

「天界の村」とは何か。ふつう平地に住まうはずなのに山の中腹に住まう人々がいる。絶海の孤島に桃源郷を求め渡り開拓したのと同様、山奥の谷から駆け上った山の中腹に居を構えて開拓した集落もあるのです。それを私は「天界(あまさか)の村」と呼び、30余年前から追いかけてきました。その結果、一部の例外を除き、関東山地から紀伊山地・四国山地を経て九州山地に至る、いわゆる西日本を縦断する中央構造線周辺に「天界の村」が多く見られることがわかりました。
d0147406_18525016.jpg
(関東山地 南牧川:群馬県)

そこで今回、「天界の村を歩く2」と題し、関東山地から九州山地へ向かって、山岳集落を再び歩いて歩いて歩きまくり、このブログとYouTube 動画にて配信をしていきたいと思います。
d0147406_18540627.jpg
(南アルプス 天竜川:静岡県)

もちろん今まで通り「海界の村を歩く」シリーズも続けますが、有人島1/3を残したところで、ちょっとだけペースを落として、「天界の村を歩く2」をスタートします。
d0147406_18553148.jpg
(関東山地 峰谷川:東京都)

各山地を川(谷)ごとに紹介していきます。その第1弾は、
「関東山地〜南アルプス」
です。まずはYouTube で予告編を作成しましたのでどうぞご覧ください。
https://youtu.be/3MS5JzDVAeY

by marunouchi_no1 | 2019-04-26 20:00  

海界の村を歩く 東シナ海 多良間島

d0147406_17475270.jpg
「海界の村を歩く」での沖縄最後の島、多良間です。
d0147406_17483067.jpg
多良間島は、宮古島と石垣島のちょうど中間にあります。
d0147406_17475607.jpg
多良間島へは、宮古島からしか行くことができません。飛行機か船です。
d0147406_17480179.jpg
飛行機は琉球エアーのプロペラ機。
d0147406_17480782.jpg
1時間足らずで多良間島に到着しました。
d0147406_17493800.jpg
多良間空港。飛行機を降りるとターミナルビルまで歩いて、ビル内を簡単に通り過ぎる。飛行機降りてから3分で空港を出る。この感じが離島に来たという気分にさせてくれます。
d0147406_17485463.jpg
多良間島
宮古島の西67km、石垣島の北東35kmにある隆起サンゴ礁の島で、今なお隆起している。北側の標高34mの八重山遠見台を最高点とした円形の平坦な地形で、南へのなだらかな傾斜は沖合い300〜1000mまで延びるサンゴ礁へ続く。島の北寄りにほぼ一体化した仲筋・塩川の2集落があり、住宅や主要施設はこの地区に集中している。この周辺にみどころや史跡も多い。島全体によく整備された圃場がひろがり、ほぼ一直線の農道が島中央部を東西に走っている。主産業はサトウキビ栽培で、単位面積収穫高は沖縄一を誇っている。このほか肉用牛の生産も行われ、のどかな牛の放牧風景も見られる。島の海岸線を防潮林取り囲み、集落の抱護林御嶽を取り巻く森など貴重な植物群落が多い。また、民俗芸能が継承され、なかでも琉球王朝文化の流れをくむ豊年祭「八月踊り」(国指定無形民俗文化財)は、今や多良間島でしかみられない組踊りが奉納されるとあって注目を集めている。(「シマダス」参照)

空港を出ると迎えに来ているクルマに何人かが同乗させてもらっています。のどかだ。そして、レンタカーを頼んでいた民宿 クロスの島丸宮さんがやってきた。「沖縄の離島で最後なんですよ」と話したら「そういう方多いですね」と言われました。リゾートやレジャー施設がないので観光客はほとんど来ないそうです。泊まり客は仕事の方主体。
d0147406_17501261.jpg
前泊港。宮古島平良港からフェリーで来るとこの港に着きます。
d0147406_17501551.jpg
琉球海運のコンテナが積まれています。こういう風景も離島ならでは。
d0147406_17501979.jpg
島には集落が1箇所、以外はサトウキビ畑か牧場です。
d0147406_17502597.jpg
ムシャムシャ
d0147406_17511680.jpg
普天間港・多良間漁港。
d0147406_17512103.jpg
多良間集落の中心地。スーパマーケットがあります。
d0147406_17512758.jpg
まずは腹ごしらえ。丸宮さんの隣の店でお蕎麦を食べよう。だが引き戸が開かない。「←玄関からお入りください」と書かれている。玄関できつ脱いで上がりこむと、、、
d0147406_17513212.jpg
食堂になっていました。民宿もやっておられるみどりや旅館。
d0147406_17513834.jpg
焼きそばを食しました。太く平たい麺とスパムやピーマンが美味しい!
d0147406_17525306.jpg
多良間集落の目抜き通り。
d0147406_17525952.jpg
多良間島も宮古島や伊良部島と同様で瓦屋根の木造民家があまり見られません。昭和34年の台風で被害を受けたのでしょうか。しかし、味わい深い鉄筋コンクリート造の家並みもいいものです。画像のように日射を遮る深いバルコニーを備えた民家は沖縄ならでは。
d0147406_17530532.jpg
しっとり
d0147406_17531188.jpg
d0147406_17540312.jpg
珊瑚石による石塀。
d0147406_17541063.jpg
商店
d0147406_17541877.jpg
d0147406_17543297.jpg
やっと見つけた瓦屋根の民家
d0147406_17543816.jpg
嶺間部落公民館
d0147406_17552246.jpg
d0147406_17552879.jpg
碁盤目状の町割りなのでジグザグに歩きます。
d0147406_17553644.jpg
黄色い花が綺麗
d0147406_17554356.jpg
所々にヤギがいます。空港の駐車場にも木につながれたヤギがいました。そっちは観光用だそうです。
d0147406_17554880.jpg
ピィトゥマタウガン。塩川字の八月豊年祭を催す場所です。八月御願はここを出発して地区内の各御嶽を参拝し、豊年の感謝と祈願を捧げた後、ここに戻って余興を演じるそうです。空港のモニターに祭りの様子が流れていました。
d0147406_17562112.jpg
新しいお店?
d0147406_17562534.jpg
図書館や多良間島小学校に通じる道。
d0147406_17563355.jpg
多良間村役場。
d0147406_17563828.jpg
八重山遠見台
d0147406_17564167.jpg
右の石垣が古い遠見台。タワーは展望台。
d0147406_17571621.jpg
展望台から多良間島の北にある水納島(みんなじま)を臨む。ここは有人島ですが定期船はありません。行く際はチャーター船(往復3万円)で渡るしかない。しかも、海が荒れたら渡れません。今日の天候では無理です。
d0147406_17572095.jpg
多良間の集落。平らですね。
d0147406_17572434.jpg
また風雨が強まってきました。ドローンを飛ばしたかったなぁ。そして終わっちゃった。なんか寂しいです。いずれまた、水納島目指して訪れる日が来るかな。

by marunouchi_no1 | 2019-02-17 20:00  

北海道 くじ引き紀行

d0147406_12152094.jpg
今回は、北海道での新たな発見を期待する旅。札幌から出発して4日間ビッチリ、行き先をクジで決め移動し続ける旅です。
d0147406_12152028.jpg
やり方は、北海道放送の大人気番組だった「水曜どうでしょう」の「カントリーサインの旅」の真似です。娘がこの番組の大ファンで、一度やってみたいというので企画しました。画像のようなカントリーサイン(行政区境の国道の脇に立っている)が現在176ヶ所ありますが、その画像をチップにして袋に入れてよくかき混ぜ、エイヤッと取り出すだけ(島が出たらパス)。
d0147406_12152146.jpg
これが、カントリーサインのチップの山です。
d0147406_12495380.jpg

d0147406_13322236.jpg
この公園は、北海道放送本社の横にあるもので、「水曜どうでしょう」の前後枠で出てきます。水どうマニアには聖地的な場所でして、旅はここからスタートです。
d0147406_12495390.jpg
1回目に出たのは、なんと松前!北海道の最南端。最短距離で305km。ガックリする一方で、なんとなく嬉しくなってくるのはなぜでしょう。途中、大火復興の街である岩内と江差の商店街を組み入れます。走りっぱなしでも6時間半かかる。さぁ、しゅっぱーつ!
d0147406_13322268.jpg
札幌から定山渓・中山峠・羊蹄山の麓を走って、日本海に出ます。
d0147406_13322266.jpg
積丹半島の南側付け根にある岩内の街を歩きます。岩内は1954年の大火により中心市街地が全焼しました。今見る街は、その後の復興期のものです。
d0147406_13322321.jpg
防火建築帯のような復興の街ならではの町並みを期待しましたが、北海道の他の街とさほど変わらないようです。まぁ、北海道で大流行した看板建築がそもそも隣地からの延焼を防ぐ目的の防火建築ですからね。
岩内より渡島半島の日本海側を南下して行きます。寿都〜熊石間は遠回りになるので、より直線的に走れる噴火湾側の長万部・八雲を経由しましょう。
d0147406_13322329.jpg
江差町田沢町の民家。
d0147406_13322487.jpg
江差の商店街。江差の古い町並みは、海岸線に沿った低い場所にありますが、丘の上にその後の時代の街が形成されています。
d0147406_23060602.jpg

d0147406_17482452.jpg
松前到着18:30、札幌出てから8時間。日没の早い北海道ではもう暗い。ここで、2回目のクジ引きだ。
d0147406_17575084.jpg
うわぁ、札幌の隣町の江別が出たぁ。今来た道を戻らねばならない。
d0147406_00335138.jpg
今日そろそろどこかで一泊したいが、近くの函館では明日がしんどいので、東室蘭まで戻ります。
d0147406_20595032.jpg
江別は煉瓦の町。かつて仕事がらみで来て以来です。名所という名所は一切行かない今回に旅ですので、大通りの商店街をチョロッと歩くだけ歩いておきましょう。
画像のような片流れ屋根の看板建築は北海道のスタイル。屋根の雪を後ろへ落とすため。
d0147406_20595079.jpg
さて、3回目のクジは?浦臼?どこ?ぶどうのマークとは、まさか十勝?
d0147406_22093968.jpg
割とすぐ近くだった。ふーっ。
d0147406_22094023.jpg
浦臼町は、ぶどう栽培とワイン造りの街です。画像のような洋館の店もあり、
d0147406_22094005.jpg
このような軟石による立派な蔵もある。
d0147406_22094105.jpg
ワインで栄えたのでしょうか。
d0147406_22094103.jpg
手打ち蕎麦屋さんが一軒だけあった。うまかった。
そして、4回目は?
d0147406_22094252.jpg
中札内村とは、どこだ?
d0147406_22094230.jpg
十勝だ。帯広のやや南。
d0147406_22094295.jpg
途中、岩見沢の街を歩く。
d0147406_23060638.jpg

d0147406_23060713.jpg
渋いでしょ。元々店舗系の建物じゃなさそうですが。
d0147406_23060781.jpg
栗山村の小林酒造。煉瓦建築群があるというので立ち寄りました。
d0147406_23060826.jpg
スバラシイ。やはり開拓の時代に建てられた建物含め、北海道の歴史的建造物の良さは煉瓦ですな。
d0147406_23060806.jpg
小林酒造の事務所。銀行建築のようなインテリアでした。
d0147406_23060951.jpg
アレェ、これって水曜どうでしょうのオープニングに出てくるキャラクターでは、、、^_^
d0147406_23060947.jpg
日が暮れない時間に間に合ったぁ。中札内村のピョウタンの滝。ここで、5回目のクジを引く!
d0147406_23061097.jpg
中川町って、またどこだかわかんない。貝殻みたいなのはアンモナイトのようだけど、アシカみたいなのがいるからオホーツクかな?
d0147406_23061007.jpg
やっちまいました。道北です。また、300km越かぁ。これ、ヤラセしてませんからね。
d0147406_23321922.jpg
帯広泊。豚丼食った後、夜の飲食店街を巡る。
d0147406_23322018.jpg
いやぁ、賑やかです。
d0147406_23322073.jpg
ブルーライン系の通りがたくさんあります。入り口だけビルっぽいけど、入ると長屋みたいな。画像のは、ちょっと作り込んだ感がありますが、いいじゃないですか。
d0147406_23322110.jpg
帯広の夜がこんなに賑やかだとは知りませんでした。
d0147406_08552037.jpg

d0147406_23322161.jpg
帯広を朝早く出発。さぁ北へ向かって走るぞ!上士幌町の気球たち。
d0147406_23322228.jpg
糠平湖畔を走っていた旧国鉄士幌線の廃線跡。
d0147406_23322299.jpg
橋梁がいくつも残っていますが、中でもここ「タウシュベツ川橋梁」は美しい。
d0147406_23571340.jpg
大雪越えて高速道路経由して、名寄国道を北上します。途中、士別という街に入ると、面白そうだぞ。
d0147406_23571403.jpg

d0147406_23571495.jpg
本州では一般に国道は旧市街を避けてバイパス化しているものですが、北海道の場合、旧街道がそもそも幅広なので、バイパス化することは基本的にありません。このように看板建築が幅広の国道に面して並び、商店街となっています。そして、雪を後ろへ落とすため、屋根は後ろに向かっての片流れになり、必然的に正面の看板は高くなります。
d0147406_23571544.jpg

d0147406_23571513.jpg
国道の一本裏が夜の飲食店街。ゲートが店の集合サインになっています。
d0147406_23571603.jpg
こんな集合店舗街もありました。栄えていたんですね。
d0147406_23571671.jpg
そして、走り続けること6時間、着きましたよ中川町。道北のかなり北部です。
d0147406_23571703.jpg
中川駅前。何にもない。
d0147406_23571768.jpg
天塩川の下流域。空が広いですね。
d0147406_23571811.jpg
橋の袂にあるドライブインという名の食堂でランチ。
d0147406_00084689.jpg
そして、中川町エコミュージアムセンターに行ってみた。これが凄い!
d0147406_00084634.jpg
中川町は化石の発掘場所として超有名な地でした。いくらでも掘り出されているという感じ。カントリーサインの絵はアンモナイトと恐竜だったんですね。
エコミュージアムで6回目を引く。流石に道南が出ると引き直した。
d0147406_00084641.jpg
出たのが、中頓別という隣の行政区。しかし、隣町まで1時間近くかかる。北海道は広いです。
d0147406_00084773.jpg

d0147406_00182733.jpg
中頓別町の中心市街地まで行く気がしないので、カントリーサインのすぐ近くで7回目!
d0147406_00084735.jpg
ドン!ヒエー!道東が出たぁ( ̄∇ ̄)
d0147406_00084812.jpg
ようし、今宵の宿は網走にしよう。網走まで走るんだ。もう無茶苦茶です。
d0147406_00084874.jpg
オホーツク海だ。今朝、帯広に居たのになぁ。
d0147406_00084806.jpg
オホーツクの町=流氷の町で有名な紋別を歩く。
d0147406_00084959.jpg

d0147406_00084964.jpg
帯広とまではいきませんが、ここはこれで夜賑わうんでしょうね。
d0147406_00182770.jpg
夜の網走。網走刑務所は、かつては北海道旅行の華でしたが、富良野人気ですっかり観光客が減ってしまった。北海道内の旅のルートが変わってしまったんですね。街もホント寂れている。
d0147406_00182818.jpg
美幌です。これが、なかなか大きな街。札幌や帯広のように都市計画されていていました。
d0147406_00182867.jpg

d0147406_00182997.jpg
味わい深い遊里がありました。
d0147406_00182986.jpg

d0147406_00183043.jpg

d0147406_00183071.jpg
なんかいいでしょ。北海道の町並みの良さががわかるようになってきた。
d0147406_00183171.jpg
こんなオサレっぽいカフェもある。
d0147406_08552060.jpg

d0147406_00272688.jpg
8回目は訓子府町。これも直ぐそば。
d0147406_08552154.jpg
そして、最終日に行ける範囲で9回目を引いたら、
d0147406_08552149.jpg
新篠津村が出ました。札幌のそばだ。これなら、行きたかった留萌に寄れる。
d0147406_00272759.jpg
北海道の道央を横断して留萌へ。
d0147406_00272764.jpg
留萌で、やっと北海道らしい海の幸をいただきます。
d0147406_00272886.jpg
留萌の夜の飲食店街。
d0147406_00272866.jpg

d0147406_00272967.jpg

d0147406_00272993.jpg

d0147406_00273054.jpg
渋い町並みがたくさんある。
d0147406_00320593.jpg

d0147406_00320631.jpg
再び日本海を拝む。礼受けの鰊漁場。
d0147406_00320636.jpg
そして、最終地である新篠津村に到着。カントリーサインの建物はここだったんダァ。
d0147406_08553059.jpg
カントリーサインくじで行った行政区を順次塗りつぶしていきました。
d0147406_00320717.jpg
この図で、赤がクジ引きで出た場所、黄色は立ち寄り地です。全走行距離は、4日間で2250km。実によく走りました。















by marunouchi_no1 | 2017-08-25 12:00  

復興の街を歩く 八幡(福岡県)

d0147406_00385274.jpg
(八幡 祇園町銀天街)
北九州はわが国の近代化とともに工業で発展した地域です。一方、門司、小倉、八幡の市街地は、第二次世界大戦時に空襲によってほぼ全面的に街が焼失しており、戸畑、若松は一部に戦災を受けています。
d0147406_00385306.jpg
(八幡 戦災都市概況図)
今日は、戦災を受けた八幡を中心に、黒崎・戸畑の街も歩いてみました。
d0147406_00385390.jpg

d0147406_00385427.jpg
八幡は戦災復興の街として、見事な中央街路樹の大通りやサークル交差点が計画されました。
d0147406_00385542.jpg
ダイナミックな都市計画だけではなく、戦後の町並みを彩る建築も多くみられます。特に村野藤吾の作品が並んでる。いや「並んでた」かな。近年、八幡図書館がなくなってしまいました。市民会館も解体直前です。福岡ひびき信用金庫は健在!
d0147406_09142400.jpg
中央街路樹のさくら通りに並行して一本西側を通っているのが、祇園町銀天街というアーケード。「祇園町」「銀天街」というと北九州市内のどこに行ってもありますね。
d0147406_19165225.jpg

d0147406_19165277.jpg
いわゆる戦災復興の象徴というべき商店街で、終戦直後に形成された闇市を起源に持つと思われます。
d0147406_19165340.jpg
さてさて、ここからが面白い。アーケードに面していくつもの「市場」がくっついてる。
d0147406_19165307.jpg
このような木造屋根の市場がブドウの房のようにアーケードにぶら下がっているんです。
d0147406_19165498.jpg

d0147406_19165418.jpg

d0147406_19165594.jpg
面白いですね。市場の中の営業している店は1、2軒しかなく空きスペース目立ちますが、戦後の闇市を思わせる空間です。
d0147406_19165599.jpg
八幡の隣街を歩きます。黒崎から。駅前は放射状に街路計画されていて、アーケード街が形成されている。
d0147406_19221051.jpg

d0147406_19221039.jpg
まぁ、お馴染みの空間。
d0147406_19412728.jpg

d0147406_19412726.jpg
そして、練り歩いていると出ました、アーケードにぶら下がった市場。
d0147406_19412867.jpg

d0147406_19412837.jpg
どこも肉屋さんくらいが残って営業している程度ですかね。
d0147406_19412917.jpg

d0147406_19412908.jpg
スナック街の横丁ビル。
d0147406_19413005.jpg
八幡の東隣にあたる戸畑。ここにも駅前からアーケード街が形成されています。整形街区に斜めの通りが交わるので、このような不思議な空間が生まれる。
d0147406_19413018.jpg

d0147406_19413140.jpg
渋いでしょ!






by marunouchi_no1 | 2017-06-09 23:53  

戦災のない長崎

d0147406_21281109.jpg
(長崎市築町)
テーマが多岐にわたってしまいスイマセン。長崎はそれほど濃いもんで。今度は長崎の非戦災地区のレポです。

d0147406_21281287.jpg
画像は長崎の戦災都市概況図です。長崎は6回の空襲を受けましたが、大きかったのはもちろん原爆でした。赤丸が原爆によって建物が全焼全壊した区域、次の輪が全壊区域です。爆心地は浦上にある現平和記念公園。たった1つの爆弾ですよ、本当痛ましい。

d0147406_21281227.jpg
これは中心市街地をアップにしたもの。長崎は北から伸びる台地が海に突き出していて「長い崎」となっていたからその名がついたんですが、その台地の部分までが全壊で、台地の東側のエリアは半壊または一部損壊の区域になっています。

d0147406_21281325.jpg
この図は戦災復興地区の図。赤いライン内が戦災復興地区です。つまり、それ以外はあまり戦災を受けていないということ。広島とは大違いです。なぜそうなったのか。それは、長崎の得意な地形にあります。長い崎を作った標高200m級の山からの尾根線が盾になって、東側の市街地を原爆から守ったのです。

d0147406_22372367.jpg
台地の先端にある県庁前からそのエリアを歩きましょう。

d0147406_22372430.jpg
この絵は江戸時代の全く埋め立てとかしていないころの長崎の絵です。台地の上に町があって、低地は海か湿地帯。

d0147406_22372466.jpg
南蛮貿易のころの絵図。県庁前から現在の大波止交差点へ向かって下ったあたり、古い県庁の建物が残っている場所が船着場だった。向こうに出島が見えます。

d0147406_22372583.jpg
県庁前から築町へ下る坂道は古くからのもので、現在は江戸町商店街となっています。

d0147406_22372547.jpg
坂道の町並み。これは戦前か戦後かわかりませんが、

d0147406_22372668.jpg

d0147406_22372622.jpg
坂を下りきった交差点に建つこの2つの建物は、明らかに戦前でしょう。戦災を免れたんだ。

d0147406_22402336.jpg
下の画像のラーメン屋に入った。マーラー担々麺うまかった!

d0147406_22402415.jpg

d0147406_22402456.jpg
おおっ、やはりありますね。大正から昭和初期かな。

d0147406_09181048.jpg

d0147406_09181063.jpg
ここにも市場がありました。戦災復興期に生活を支えた市場。だいたい、戦災を受けたエリアと免れたエリアの境界線にあります。

d0147406_09181117.jpg
築町には蒲鉾屋さんが多い。

d0147406_09181109.jpg
江戸時代に築かれた石垣。この下は海あるいは湿地帯でした。

d0147406_09181266.jpg
中島川の東側を歩きます。

d0147406_09181252.jpg
東西にのびる東古川町。町家が割と残っている。

d0147406_09181387.jpg
長崎では川より小さく側溝より大きなものを「えご」と言います。その脇の道を「えごばた」というそうです。

d0147406_09181370.jpg

d0147406_09181344.jpg

d0147406_09181465.jpg
東西の道は、一方は中島川の石橋に、一方は寺町のお寺の山門に通じています。

d0147406_09354185.jpg
そこを南北に貫く道が中通りで、商店街になっている。この商家は中通りに正面向いているので、南北の軸の方がメインの通りだったということでしょうか。

d0147406_09354155.jpg
美味しそうなお饅頭屋さんがあった。思わず買ったべ歩き。

d0147406_09354199.jpg
中通りをまっすぐ行くとシーボルト通りにぶつかります。シーボルト通りも賑わった商店街です。そのシーボルト通りを東へ行くと、小倉まで通じる長崎街道になります。

これから、市街地を原爆から守った山に上ります。山といっても長崎では住宅地が広がっている。あまりにも高低差があるので、バスで中腹まで上ってから歩いて下りてこようと思います。

d0147406_09354219.jpg
中央橋から立山行きのちょっと小ぶりのバスに乗り、浜上町というバス停で降りました。長崎の街と港が一望です。こんな高いところまで、下から街が駆け上がっているのです。

d0147406_09354244.jpg
浦上方面を眺める。写真じゃなかなか高さが伝わりませんが、天界の住宅地です。

d0147406_09354342.jpg
中腹の道路のバス停で降りて、この急階段を下って家に行く。大変だなぁ。

d0147406_09354347.jpg

d0147406_09354479.jpg
尾根の東側に広がる天界の住宅地=立山町。下の町がさっき歩いた非戦災地区です。

d0147406_09354498.jpg

d0147406_09354518.jpg
斜面に建つマンションに上って、外廊下から山側を撮る。まだ上へと住宅地は広がっている。

d0147406_09421398.jpg
山岳集落ならぬ山岳住宅地。クルマの入れないエリアがこれだけ広がる都市あるいは集落というのは、他に見たことありません。

d0147406_09421427.jpg
下からクリマで上って来られる道が一本あって、ここから先は階段っていう場所に「斜面移動システム」という乗り物がありました。乗れる人は専用のカードが必要。

d0147406_09421456.jpg
吊り下げ式のおひとりモノレールです。いやぁ、大変な町だなぁ、長崎は。

これにて、西彼杵→五島→長崎旅を終えます。








by marunouchi_no1 | 2017-05-06 21:05  

Panasonic Lumix Lx100

d0147406_18273333.jpg


現在のカメラは、常用の静止画と動画用がコンデジ Canon G7xで、Sony α7は静止画のオプション的にオールドレンズを付けており、この2台を持って歩いています。したがって、当然Canon G7xの使用頻度は多く、電源オンオフの度にレンズが出たり入ったりします。ところが、Canon G7xのレンズカバーは開閉式で使いやすいのですが、その特殊な機構のために、レンズに着いたホコリをブロアーで吹き飛ばそうとすると、レンズ筒内に入ってしまいます。
d0147406_18181372.jpg

(他サイトから拝借)
わかりますか。レンズの周りの隙間から筒内にホコリが入りそうでしょ。もちろん筒の胴体部分のホコリもそう。レンズが伸びる時に筒内が負圧になるので、ホコリを吸ってしまうのです。
静止画では気になりませんが、動画で逆光気味に斜めから日が差すとホコリに光が反射して目立ってしまいます。レンズフードがつけられればいいのですが、Canon G7xにはつけられません。最近の動画撮影では、手で日差しを遮って撮っているので、時たま手が写ってしまっています。
d0147406_18181314.jpg

じゃぁクリーニングに出せばいいじゃないか、ということになるわけですが、レンズの機構ごと取り換えになり、2万円以上かかります。今年の1月に修理したのに、もう我慢できないくらいホコリが入ってしまっていて、また修理に出しました。3回修理で新型が買えてしまいます。
d0147406_18181316.jpg

そこで、新たにPanasonic Lumix Lx100を購入しました。G7xより大きいけど、レンズのホコリは入らなそうですしフードがつけられます。大変評価が高いコンデジですが、モデル末期で中古も安くなっていました。
早速、ライカ調のフードを付け、Olympus Penに付けていた本皮ストラップを移植しました。中々かっこいいでしょう。
d0147406_18181412.jpg

早速筆下ろし。昨日は隅田川の花火大会でした。連写機能も速く、その中からナイスな1枚。
d0147406_18181404.jpg

d0147406_18181510.jpg

マイクロフォーサーズであり、レンズも明るいので、コンデジながら結構ボケます。
d0147406_18181520.jpg

d0147406_18181601.jpg

レンズはLeica Vario-summilux 1/1.7-2.8 35mm
換算で24mm〜75mm。良さそうでしょ。
d0147406_18181622.jpg

d0147406_18181682.jpg

ただ、風景の印象はG7xの方がいいかなぁ。
d0147406_18273469.jpg

そこで、緑や青が映える「風景モード」に設定し、都知事選投票のついでに近所を歩いて撮ってみました。広角は十分。
d0147406_18273559.jpg

d0147406_18273689.jpg

緑もコントラストも良さそう。
d0147406_18273683.jpg

d0147406_18273644.jpg

d0147406_18273713.jpg

カラーとモノクロモード。この画像はアプリでアオリを取ってます。
d0147406_18273709.jpg

d0147406_18273839.jpg

d0147406_18294020.jpg

d0147406_18294075.jpg

d0147406_18294105.jpg

d0147406_18294127.jpg

スタンダードモードより風景モードの方が、彩が良くなるみたい。
d0147406_18315814.jpg

d0147406_18341897.jpg

d0147406_18341930.jpg

d0147406_18341980.jpg

悪くはなさそうです。茶色の発色は好き。緑やピンクはG7xの方がいいかなぁ。
今度、動画も含めて、ちゃんと比較してみたいと思います。
d0147406_23501591.jpg






by marunouchi_no1 | 2016-07-31 17:38  

海界の村を歩く 太平洋 津堅島(沖縄県うるま市)

沖縄本島周辺の離島を歩く旅の2日目。昨日は辛うじて小雨で迎えてくれた琉球の梅雨空は、「ごめんね梅雨だし」とでも言わんばかりに、どしゃ土砂降り。「今日やめよ」というもう一人の自分にムチ打って宿を出る。
d0147406_09161604.jpg

昨日歩いた久高島から北方に眺められた津堅島へ行く。しかし、渡船の出る港は異なっていて、勝連平敷屋港となる。港を出て約30分で津堅港に着岸。
d0147406_10062488.jpg

港から眺める集落は、島としてはちょっと異様である。
d0147406_21382537.jpg

近づいてわかった。並ぶ家々は鉄筋コンクリート造の二階建て民家。
d0147406_21382528.jpg

フラットな陸屋根が二階に深いテラスを形成している。
津堅島は、沖縄戦時下に沖縄本島を守る要塞として激戦地となり、戦後は昭和24年まで全島民が沖縄本島の南風原地区に強制移住させられていた歴史がある。
d0147406_21382665.jpg

戦時下で焼けてしまったからなのか。赤瓦の木造民家は少なく鉄筋コンクリート(RC)造の民家が多い。
d0147406_21382688.jpg


d0147406_21382669.jpg

注目すべきは、平屋のRC造民家で、軒が深く玄関を正面センターに構えた形態は、ほとんど木造の在来民家と同じ構成である。これこそ正常進化形と言ってよいだろう。
(写真がわかりづらくて恐縮だが上下を見比べてほしい)
d0147406_21382604.jpg

防風対策から敷地の外周をコンクリート塀や付属屋で囲った家があった。そのコンクリート壁に妙な窓が、、、
d0147406_21382679.jpg

クルマのフロントガラスを利用して嵌めた窓。中にヒマワリの造花が飾ってあった。
d0147406_21382721.jpg

切石の石塀の残る屋敷
d0147406_21523024.jpg

島の店
d0147406_21523090.jpg

カラオケ屋さんまである^_^
d0147406_21523081.jpg

島の地下は貴重な水源になっている。ここは鳩が見つけた泉という伝説があることから「ホートゥガー」という名がついた。
d0147406_21523122.jpg

津堅島は「ニンジンの島」と呼ばれる。昭和56年に土地改良事業が完了し、全体が大きな農地になっていた。
d0147406_21523198.jpg

本島に戻る。勝連半島からは海中道路と呼ばれる道があって、幾つもの島が結ばれている。
その中から浜比嘉島に渡る。
d0147406_21523151.jpg

浜比嘉島は浜と比嘉という二つの集落があることから、この名がついた。その一つ浜集落を歩いた。
d0147406_21523180.jpg


d0147406_21523240.jpg


d0147406_21523284.jpg

そして、海中道路で繋がった最奥地の離島、伊計島。
d0147406_21523267.jpg

リゾート開発も進行した島であるが、集落は意外にも素朴。
d0147406_21560511.jpg

d0147406_21560592.jpg

土砂降りはますます力を増してきた。もう集落探訪は続行不可能。耐えられず切り上げ、早めの便に切り替えて東京に戻った。
d0147406_21560523.jpg


by marunouchi_no1 | 2015-06-13 08:56