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海界の村を歩く 太平洋 父島(東京都)集落編

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(東京都小笠原村本村)

さて観光はこれくらいにして、本題の集落を歩きましょう。
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父島の集落は主に二見湾の周りにあります。湾の北岸に大村、北東岸に奥村・清瀬、南岸に扇浦の各集落があります。
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二見湾を空撮。おがさわら丸よる奥に見える集落が清瀬・奥村。
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小笠原村の中心集落である大村地区。
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旭山の山麓から眺める。手前が奥村の集落です。
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ペリーが小笠原に立ち寄ったことを知った幕府は、文久元年(1861)臨海丸をはけんした。絵図はその頃の奥村の裏山から二見湾を見てえがかれたもの。
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大村地区の東側。海岸から三本の通りで構成されています。小さいですね。
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大村地区の西側。この辺りに平地があって最初の集落が形成されたようです。戦後の建物ばかりですが、町割りは変わっていないのかな?
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大村地区の海岸通。目抜き通りです。
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海岸通の町並み。この建物は3泊滞在中の宿「パパスアイランドリゾートHale」。一階がレストランになっています。
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Haleの前にある小笠原生協。村内最大のショッピングセンターです。
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生協の前にもスーパーマーケット。島に人たちはどっちかで食材を調達している様子。
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生協の並びにはお土産物屋さんが並んでいます。店頭を飾っているのはサンダル。まぁ海に入りに来ている人達がほとんどだから、持ってくるの忘れて買うってか?私は帰りの船の中で使うために買いました。
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しばらく歩いて行くと小笠原村役場。
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役場の前に小笠原に関係ある⁉︎場所への距離と方向を示した集合サインがあった(こういうのなんていうのだろう)。東京が979km、沖ノ鳥島までさらに同じ位あるのがビックリです。
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役場の前で海岸通と交差する幅広の通り。そこに郵便局、警察署、総合庁舎、そして突き当たりに東京都の小笠原支庁があります。
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さらに、一本入ったところにあるのが小笠原世界遺産センター。世界自然遺産の対象となっている動植物を保護するための調査研究など取り組みがされている。その展示がありますが、とにかくマニアック。大きなスクリーンで何の映像を流しているかと思ったら、西之島(近年噴火した)の土をドローンに付けた掃除機で吸い取る映像が延々と流れていました。
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小さな教会が現れた。戦後小笠原は米軍の統制下に入りました。その中で帰島が許されたのが欧米系の住民でした。彼らは、戦前からあった教会が失われていたため、新たに建てたのがこの教会になります。
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気象庁父島気象観測所
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海岸通りの突き当たりにある海上自衛隊父島基地分遣隊。街はこのあたりで終わります。
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海岸通りから一本山側を平行する「ボニン通り」は飲食店街。夜の賑わいを取材しましたが、絵にならないので掲載はやめました。それほど小さくて静かな街です。
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和食・洋食・中華(やや離れた場所)一通りのメニューが揃っています。カラオケパブまである。
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昭和初期の大村の町並み。どの通りかわかりませんが、両方に家が建っているからボニン通りかな?木が多いですね。
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開拓時代の住居の模型。ビジターセンターに展示されています。
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大神山神社下の民家。ビジターセンターにあった古い写真にも写っていましたので、数少ない返還前の民家と思われます。
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大神山神社への参道。この階段を登り切って社があると思ったら、さらに上まで参道が続いてた。
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二見湾を望みます。湾の対岸に見える集落は扇浦。
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ガジュマルの屋敷林。かつては暴風のために植えられていたそうです。家がなくてもガジュマルがあるとそこは屋敷の跡だとか。
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大村と清瀬・奥村を結ぶトンネル。その中に大きな木戸がありました。防空壕として使用するために付けられたものだそうです。
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旭山山麓から眺めた二見。
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幕府が派遣した臨海丸による調査団の描いた絵図?。奥村から湾口を望む。
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大村から見て二見湾の対岸に扇浦という集落があります。
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明治政府は、明治9年に小笠原が日本の領土であることを各国に通知し、扇浦に内務省出張所を建てました。その時に扇浦を描いた図です。
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奥村と扇浦との間は険しいため以前は道路がなく、大村とは船で行き来していたそうです。その時の桟橋の痕跡が見られます。
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扇浦の海岸線の町並み。丘の上にも集落があります。古絵図を見ても丘の上にも集落が見えます。ほとんどがペンションで、大村地区より静かな扇浦地区に泊まるのを好む旅行者も多いそうです。
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二見湾の過去と現在。大村地区の一部に集落が見え、他は戦後埋め立てられたことがわかります。
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船で1泊、父島で2泊、4日目の朝を迎えました。これから母島に渡ります。

by marunouchi_no1 | 2019-11-25 20:00 | 東京都  

海界村をの歩く 太平洋 父島(東京都)名所編

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(東京都小笠原村父島)
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小笠原諸島、行きたくてもなかなか行くことができない東京。竹芝桟橋から父島二見港までちょうど24時間かかります。最低でも現地に3泊して5日必要。しかも出港日が6日毎でズレていくから、連休に合わせていい具合に予定を組むことができない。
昨年も11月に計画し旅費も払い込んだのに、直前で仕事のトラブル。泣く泣くキャンセルして半額払い戻しされませんでした。今年はなんとか実行できそうです。
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父島
東京の南南東約1000kmにある小笠原諸島最大の島。2016年7月に就航した新造船おがさわら丸」で東京から24時間。1639年オランダ船によって初めて発見されたと言われている。ほかにも1543年のスペイン船発見説、また文禄2年(1593)信州深志城主の小笠原貞頼の発見・上陸という説もある。寛文10年(1670)に阿波国のミカン船が母島に漂着、のちに父島を経て帰国したことから、幕府は5年後に島谷市左衛門らを派遣し、実測図などを残している。長崎に渡来したドイツ人医師ケンペルは、この無人島の記録を著書「日本誌」(1727)で紹介している。また、天明5年(1785)には経成学者林子平の地理書「三国通覧図説」にも記された。19世紀に入るとイギリスやロシアの捕鯨船・探検船が来航している。実際の開拓は天保元年(1830)ナサニエル・セーボレーら5人の欧米人と20人のハワイの人々の入植によるもの。嘉永6年(1853)にはペリーが来航している。文久元年(1861)幕府は小笠原島の帰属を諸国に通告、外国奉行水野忠徳を臨海丸で派遣している。翌年には八丈島から30人数人が入植、国内外の事情により全員が一旦引き揚げるものの、明治9年には日本領と確定し、再び入植が始まった。戦前は野菜・花栽培、カツオ・マグロ漁などが主に意図まれていた。戦時中は海軍飛行場などが造られ、昭和19年には住民のほとんどが本土へ強制疎開、戦後21年にはアメリカ軍統治下で欧米系住民120人余りの帰島が認められたが、ほかの住民は昭和43年の日本返還まで帰島が帰島が許されなかった。昭和47年に国立公園指定され、平成23年6月には世界自然遺産として登録された。世界的にも珍しい動植物が多く、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれ、ダイビングなどのマリンスポーツやホエールウォッチングなどの拠点としても注目を浴びている。(「シマダス」参照)

おがまるパック」というので往復の船代と宿がセットになっているツアーを押さえました。往復共に2等寝台、宿は父島の同じところに3連泊です。
父島の集落は二見湾に面してありますが、大きいのは湾の北側にある大村・清瀬・奥村と南にある扇浦です。他にも小集落が点在しています。
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私を乗せたおがさわら丸は、水曜日の11:00に竹芝桟橋を出航します。
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天気がいいぞ!とはいえ同じ東京でも1000km離れているから、あまり関係はないです。
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船内に航路付近の通過予定時刻が掲示されてます。東京湾から外洋に出て、伊豆諸島の島々の東側を順次通過していく。
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伊豆七島とはこの角度からみたモノだと思わずにいられないほど綺麗に七島が並んでいました。そして、三宅島と御蔵島のあたりで日没です。
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展望ラウンジで小笠原限定のレモンチューハイをいただきます。これが結構美味しい!
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日が変わってデッキに出ると生暖かい。飛行機で沖縄に降り立った時の気分が、船で味わえるのは新鮮です。
水平線には変わった形の島が並んでいました。そこはもう小笠原諸島、聟島(むこじま)列島です。
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そして父島列島が見えてきた。左から弟島、兄島、父島。父島列島は男性、母島列島は女性の名前が付いています。
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24時間丸一日して11:00父島二見港に到着です。港には各宿の人たちが出迎えてくれます。
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宿は「パパスアイランドリゾートHale」という街のど中心にあるけれど、とっても居心地の良さそうな建物。
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早速、Hale1階のレストランで腹ごしらえです。海鮮丼には南の島で採れた新鮮なお魚がいっぱい。
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宿の目の前は、小笠原諸島で最も大きなショッピングセンター「小笠原生協」です。飲み物を買いましたが、メッチャ高いのにびっくり!運送代が高いのでしょう。
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父島の集落を歩く前に、まずは島の観光名所を一周します。ここはウェザーステーション展望台へ上がる途中にある二見湾を見下ろせる場所。手前が中心集落の大村地区、湾の奥に見えるのが奥村地区です。いずれも沖縄のような白い街という印象。
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ウェザーステーション展望台の近くにある戦跡のひとつ。通信施設だったかな。
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ウェザーステーション展望台。ここは隣の兄島・西島・南島から遠く50km離れた母島まで見わたせる見晴らしの良い高台で、断崖絶壁の頂点にあります。父島近海には12月から5月まで、ザトウクジラがやってくるそうでホエールウォッチングの場所、そして夕陽の絶景スポットでもあります。
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二見湾から見て島の反対側にある宮ノ浜。太平洋戦争では、特攻兵器「震洋」(小型 特攻ボート)の基地でもありました。実際に出撃はなかったそうですが。
浜の向かいに兄島、その間の兄島瀬戸に面しています。この湾内の水面は静かですが、兄島瀬戸に近づくと潮の流れが速いので、海に入る人は要注意。
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浜には色々な形をした珊瑚の小石がたくさん見られます。
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兄島と兄島瀬戸を望む長崎展望台。
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枕状溶岩の断面が現れた擁壁。円形の枕を積み重ねたような形をしていて、境目がガラス質になっています。
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国立天文台VERA小笠原観測所。青森県三沢、鹿児島県入来、沖縄県石垣島、そして小笠原父島の4箇所に電波望遠鏡があり、この四ヶ所を使って半径約1000kmの大きな望遠鏡が形成されているんだそうです。人は三沢にいて、遠隔操作で動かしています。
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島の東海岸真ん中辺りにある初寝浦展望台。ものすごい風だ。
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島の周回道路(夜明道路)から初寝浦展望台へいく途中に戦跡があります。外壁には銃弾を受けた穴が空いている。
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戦前の鉄筋コンクリート造で、入口や窓に分厚い鉄扉が付いていたであろうことが、残っているバカでっかい丁番から想像できます。
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ここも軍事施設の跡。悲しいかなたくさん落書きが描かれている。だれか書き始めると記念に描くのか。描く道具なんてそこらにないから、あらかじめ用意してたってことか。
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壁は一枚半積みの煉瓦造です。
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道端の綺麗な植物。私は植物に興味がないから調べようともしないけど、きっと固有種なんでしょうね。
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ヤシの木って大きな実がなっているイメージでしたが、普通のやつはこういう小さい実がいっぱいなのだそうです。
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宇宙航空研究開発機構小笠原追跡所。種子島で打ち上げられたロケットは5分後に小笠原諸島上空を通過するそうです。その追跡確認のための施設です。電波望遠鏡と違ってここの敷地には入れません。
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北袋沢地区の農村。小笠原村で一番大きな農地だそうです。盆地のようになっている北袋沢地区は他と比較して気温が低い。
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八ッ瀬川に沿った遊歩道を小港海岸まで歩いていきます。
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小港海岸。湾になっていて海も穏やか、とても静かな場所です。
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村内バスはここまで来る。東京都最南端のバス停がありました。
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初日は観光名所を巡るだけ。明日は集落中心に歩きます。

by marunouchi_no1 | 2019-11-24 06:00 | 東京都  

天界の村を歩く2 関東山地 多摩川

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(東京都奥多摩町留浦奥)

前回「天界の村を歩く2 南アルプス 大井川」より

動画  https://youtu.be/iUru1qtLms4
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GW8日間を使って、群馬県南牧村から埼玉県、山梨県、長野県、静岡県と、関東山地・南アルプスの山岳集落を巡りました。途中1日雨に降られたため、家から一番近い奥多摩をカットし、後日行こうと思っていましたが、やはり残しておくのは気持ちが悪いので、GW最終日に疲れた身体にムチ打って出かけることにしました。 画像は、「天界の村を歩く1」(2007年)で始めて出会った時の写真。東京にも一級品の天界の山岳集落があったんだと感動したことを覚えています。
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今回は、空撮と歩き動画撮影が目的です。
峰谷川は多摩川の支流で、現在は奥多摩湖にそそぐ川ですが、その流域の集落は都内最奥部の集落ということになります。背後には2000m級の関東山地の山々がそびえ、谷は相当に深く感じます。奥多摩湖に近いエリアでは谷底に見られる集落も、峰谷川をさかのぼっていくと山の天辺に立地が移動していきます。そこには峰と奥という2つの集落があります。
文字通り一番奥にある奥集落を空撮しました。
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この建物、2007年に見た時はちゃんとしていた印象ですが、無住になってしまったのか、バルコニーが崩れかなり痛んでいるようです。
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蔵は健在。
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奥多摩の集落はどこへ行っても、このような河原の丸石で築いた石垣が美しいです。
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立派な出桁造りの2階屋。奥集落は、秩父地方に共通するバルコニー付きの切妻平入り2階屋が多いです。入母屋草葺屋根のカブト造りは見られません。
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奥集落から眺めた峰集落。
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峰集落は奥集落の手前にあり、最下部で標高650m、最上部で標高950m、なんと標高差300mの集落です。私の知る限り日本最大の「天界の村」と思われる徳島県一宇村の大宗赤松集落が標高差390m(標高350m~740m)でさすがに及ばないものの、有名な東祖谷山村の落合集落が標高差250mですから、こちらは優に超えています。
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峰集落
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上の2枚の写真は2007年年のもの。
集落内に建つ民家は、峰集落が山梨県から奥多摩地方に分布するかぶと造りであるのに対して、奥集落にはありませんでした。いずれも養蚕のために生まれた民家形態ですが、切妻平入り2階屋はいずれにもあります。
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以上、峰集落の町並み。
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峰地区の下、留浦集落。これだけの小さな集落ですが、この町並みは素晴らしい!
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奥多摩周遊道路を走って、多摩川の支流・秋川水系の檜原村へ。秋川の流域では、北秋川と南秋川の上流に日当たりのよい斜面にへばりつく集落が多くみられますが、最も谷から高いものは北秋川最奥の倉掛集落だと思います。斜面にへばりつくというよりは登り切った尾根の上にあるため土地は緩やかであり、見晴らしがとても良いです。
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尾根上に立地している様子がわかるでしょうか。
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かつてに産業は不明です。炭焼の集落だったかもしれません。現在の世帯数は少なく、農地も荒れています。
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立派なコンクリート塀で囲まれた屋敷がありました。
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なぜこんな山の天辺にまで上ったのか、現在では不思議に思うほどの立地です。

by marunouchi_no1 | 2019-05-05 22:30 | 東京都  

ぶらり東武東上線・西武池袋線を歩く 大山〜東長崎

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東京の戦前に開発された郊外住宅地の商店街を歩くシリーズは、池袋エリアにやってきました。
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現在の埼京線の池袋〜赤羽間は、赤羽線、その前は山手線でした。板橋駅旧中山道と交わった場所に駅があり、旧中山道とそこから別れる古い道に商店街があります。戦前に宅地化された郊外住宅地の中の商店街。
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駅周辺は戦災地区なので、今までじっくり歩いていませんでしたが、今日はじっくり歩きます。まず、駅前にディープな飲食店街!旧ヤミ市でしょうね。
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旧中山道
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そこから滝野川の住宅地へのびる「きつね塚通り」なかなかいいね。レトロ看板建築が見られます。
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おお、面白い建物があるある!
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いい町並み見つけたと思って、あとで自分のサイトのデータベース見たらちゃんと取材していました。しかも、全て同じアングルで写真撮っている。ホント忘れちゃってるわ。
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旧中山道を北上していきます。
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旧板橋宿の仲宿から分岐する旧川越街道を進み、山手通りを渡ると大山の商店街:遊座大山に入ります。
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裏の飲食店。
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旧中山道板橋宿から分岐した旧川越街道は、江戸時代より物資の輸送でも重要な役割を果たしていました。一方、東武東上線は、1914年(大正3年)に東上鉄道として池袋~川越間が開業したもので、都内の私鉄では最も古い路線でもあります。
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大山駅は、1931年(昭和6年)に旧川越街道との交差地点に開業、同時に周辺の宅地開発が進行し、戦前から旧川越街道沿いに自然発生的に商店が並ぶようになりました。
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終戦後にはヤミ市が駅周辺や商店街中央部にできて多くの人が集まるようになりました。ヤミ市は一時期100軒を越えたといわれます。高度経済成長期の大山駅は、乗降客数で池袋を除いて東上線で第一位を続けるほど繁栄したそうです。
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アーケードの隙間の向こうに何かあるぞ!
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戦後のヤミ市のような飲食店街:すずらん通りがありました。
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線路沿いに伸びています。
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旧川越街道に沿って形成されている商店街は、山手通りから現在の川越街道(国道254号線)までの約1.1km、ちょうど中間に大山駅があり、駅から西側が全天候型アーケードになっています。
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雁行した看板建築。
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一度池袋に戻り、西武池袋線にスイッチします。池袋から一駅の椎名町で降りる。
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すずらん通り商店街という長さ100m程度の可愛いアーケード街。
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西武池袋線は、前身の武蔵野鉄道が1915年(大正4年)池袋~飯能間に開業、椎名町駅は路線の開通より遅れること大正13年6月にオープンしました。関東大震災後の東京郊外の宅地開発のためです。
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すずらん通り商店街と平行した「仲通り商店街」
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西の東長崎駅周辺の十字会商店街とつながる「サミット通り商店街」
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長崎十字会商店街。
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そして最後は、東長崎駅北口にある長崎銀座。



by marunouchi_no1 | 2017-03-04 18:30 | 東京都  

ぶらり京浜急行線を歩く 立会川〜大森

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いよいよわが家から徒歩圏内。京浜急行沿線を歩きます。
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京急沿線の商店街をGoogleマップで物色していたら、立会川に面白そうな街区がある。川に沿って細かな敷地がビッシリと並んでいる。コレは間違いなくヤミ市系だ。
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北品川駅。品川駅の南に北品川駅があるから事情知らない人はおやっと思うことでしょう。そもそも、品川駅品川区になく港区高輪にある。旧東海道品川宿がその南にあり、宿場は大きく北品川と南品川に分かれています。北品川が北品川駅から新馬場駅まで、南品川は新馬場から青物横丁駅までです。
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このお蕎麦やさんの前からいつも旧東海道を散歩します。今までスルーしていましたが、戦後テーマだと引っかかってくるね。
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こういうのも引っかかり出した。
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この金物屋さんは有名な戦前の看板建築。
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さすが、歴史のある旧東海道品川宿。戦後目線で歩いても面白いですなぁ。
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ついつい戦前にも目がいっちゃう。
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郵便局ってこんな可愛かったっけ。
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やっぱバリエーションありますね。
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鮫洲駅前の看板建築長屋。途中の家がなくなってた。
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さて、立会川の商店街ですが、やはりヤミ市と関係があるようです。
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第一京浜国道を横切って商店街が続いてました。
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立会川駅から平和島駅までは京急で移動。駅下の商店街。看板建築が高架ギリギリ。
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平和島駅前の商店街。擬石です。
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平和島駅と大森駅との間にある入三銀座商店街。駅近くでもないのに商店街がある。
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JR東海道本線大森駅南の線路沿いにあるバラック街。
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だんだん減ってるけど、まだまだ健在。店はやってるのかなぁ。何棟かがスーパーマーケットの加工場になっていました。
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池上通りの看板建築。戦前の様式が入っている時代のもの。
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大森駅西側の山王小路。全てヤミ市の面影です。





by marunouchi_no1 | 2017-02-18 18:30 | 東京都  

ぶらり中央線・西武新宿線を歩く 東中野〜野方

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JR東中野駅は、1906年(明治39年)甲武鉄道柏木駅として開業、1917年(大正6年)中央線東中野駅と改称されました。
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東中野駅の駅舎は古いレールを曲げ架構でできていて古めかしい。
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駅前には「駅前飲食店会:ムーンロード」なる夜の飲食店街があります。
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かつてはかなりの店が軒を連ねていたのでしょうが、今や空き地が目立っているし閉鎖している店もある。再開発を待っているのかな。
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さて、山手通りを超えて東中野銀座商店街を北西方向へ歩いていきます。
東中野駅から北西に延びるこの道は、江戸時代末期から青梅街道と早稲田通り(旧昭和通り)を結ぶ主要な道でした。通り沿いの商店には、東京の商店街よろしく看板建築が見られますが、特徴は擬石の見事なものが複数あること。
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これら擬石系の看板建築は、戦前にも見られますが、ここのものは戦災地区だから戦後のものなのでしょうか。
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覆輪目地の擬石もあります。途中で東に折れ、上落合銀座を中井方面へ歩きます。
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すると、またまた見事な擬石仕上げがある。
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戸袋に嗜好を凝らすのが面白いですね。
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昭和初期から昭和30年代まで、東京の神田川・妙正寺川流域には300軒を越える染色関連業が集積し、京都・金沢に並ぶ三大産地として知られていました。今でも「落合・中井」界隈には、その技術を受け継ぎ、新しい染色を提案する職人・作家たちが集まっているといいます。
西武新宿線中井駅の開業も1927年(昭和2年)と上記の染色業発展の歴史と重なっており、武蔵野の農村が宅地化し、商店街が形成されていったと考えられます。ちなみに、中井駅周辺と上落合銀座は戦災に遭っているため、戦災復興の町並みとなります。
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沼袋駅の北口に広がる商店街も農村が宅地化した感じの街。
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昭和戦後のあっさり系看板建築の町並み。
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そして、野方までやってきました。北口の商店街を歩いたら、なんか見覚えがある。前にも歩いていたんですね。
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南口はごちゃごちゃした街。
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野方文化マーケットなるヤミ市から発展した市場がまだあります。
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屋根の架構面白いと写真撮ってたら、店のおばさんに珍しがられました。

by marunouchi_no1 | 2017-02-18 18:30 | 東京都  

ぶらり東急大井町線・池上線を歩く 戸越公園〜池上

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東急沿線攻めが続きます。大岡山で終えた翌週末は、大井町線の戸越公園駅からスタート。ちなみに、東急沿線であれば、目黒線の武蔵小山、西小山、池上線の戸越銀座などが町歩きでは有名ですが、すでに終わっているのでデータベースを参照ください。
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東急大井町線戸越公園駅は、1927年(昭和2年)目黒蒲田電鉄大井町線(大井町・大岡山間)の開業と同時に蛇窪駅として開業、1936年(昭和11年)に戸越公園駅と改称されました。鉄道の開通と共に周辺農村の宅地化が進行、駅から南北へ延びる道路が整備され、現在の戸越公園中央商店街・宮前商店街と戸越駅前南口商店街が形成されています。
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現在の商店街の町並みには、擬石をあしらった看板建築が多くみられます。
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庇に銅板を使うもの、ローマン瓦を使うものなど混在しているので、戦前から戦後にかけて建てられた町家だと思われます。戦後が歴史を持ち始めている今、50年以上前の町並みとして光始めているといえるでしょう。
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駅南側の商店街です。
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なんだ空中に人がいる!
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商店街のイメージキャラかい。でもよく作ったなぁ。
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隣の中延駅まで歩き、ここから池上線の荏原中延駅まで続くアーケード街を北上します。
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東急大井町線中延駅は、1927年(昭和2年)目黒蒲田電鉄大井町線(大井町・大岡山間)の開業と同時に開業、一方東急池上線荏原中延駅も同年に開業しました。両駅を結ぶ330mに及ぶアーケード街=中延スキップロード(中延商店街)は、鉄道が敷設される以前の農村集落時代からの古い道で、周囲の住宅地とともに形成されました。
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アーケードがかかる前からの看板建築も見られます。
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アーケード街と荏原中延駅からさらに北へ延びる商店街はともに、昭和初期から戦後にかけての町家が残るもので、昭和レトロを味わえます。
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荏原中延駅の北側にある商店街の裏街=夜の飲食店街。武蔵小山駅前にもありましたね。ディープです。
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長原駅。長原駅周辺も歩きましたが、残念ながらあまりなかった。
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久が原駅。ここまでくると環七というより、環八に近いよ。テーマから外れてきてるぞ!
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もう一見してわかる戦後のあっさり系看板建築。
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そして、池上駅へ。本門寺の門前町を歩きます。
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大本山長栄山大国院本門寺は、古くより池上本門寺と呼ばれ、日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつ、七大本山のひとつにも数えられていました。東急池上線池上駅から本門寺へ続く通りは本門寺の門前町として発展、雰囲気のある商店街を形成しています。
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???なんか怪しいぞ。裏に回ると、、、
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夜の飲食店街だぁ。
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寺社の参拝は徒歩時代からの観光。まぁ、周辺の工業もあると思うけど、色街はあるもんだ。
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寺と新呑川との間には関連の深い寺院が集まっており、橋の南側には出桁造りの寄棟屋根の古い商家があります。
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by marunouchi_no1 | 2017-02-12 18:30 | 東京都  

復興の町を歩く 本所・徒蔵(東京都)

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(本所)
戦災復興の町を歩くと必ず出会うのが、いわゆる看板建築。延焼防止の防火対策と陸屋根への憧れから誕生した木造町家の様式です。各地の復興の町で出会うこの様式が、どのように発展して来たのか、歩く程に気になってきました。
そこで、戦前戦後の看板建築を対比すべく、全国一の看板建築密集地帯と言って良い台東区御徒町と蔵前の間=通称「徒蔵(かちくら)」と、合わせて未探訪の本所:両国・押上間を歩こうと思います。
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大江戸線両国駅からスタート。清澄通りを北上しながら、蔵前橋通り・春日通り・浅草通りを往復です。結構時間かかりそう。
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まずは横網町公園から。関東大震災の時にこの公園に避難した3万8千人は、大火に飲まれ犠牲となったという痛ましい場所。東京都慰霊堂(大正5年:伊東忠太設計)が、震災の犠牲となった方々の魂を鎮めています。
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東京都復興記念館。同じく伊東忠太により設計され昭和6年に完成開館しました。東京は、震災からわずか22年後の第二次世界大戦の大空襲で再び焦土と化します。その戦禍の中でも、本所エリアは酷くほぼ全域が戦災を受けました。
この公園に来ると気持ちが沈みます。しかし、22年間に2回まっさらになった東京。その復興魂はすごいとしか言いようがありません。その町を見ていきましょう。
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戦災地区:本所・蔵前橋通り北側の町並み
右の町家は看板建築じゃないけど、擬石が見事。戸袋に凝るのは戦前の銅板時代から変わりませんね。
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戦災地区:本所・蔵前橋通り北側の町並み
看板の真ん中だけが高くなっているのはなぜでしょう。こういうのは大抵切妻妻入です。屋根の棟の高いところを隠すため。結果的に左右対称になっている。
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蔵前橋通りから南に入る通り
モダニズム系額縁型とでもいいましょうか。それでもわずかな軒先に瓦を使うのはなぜ?
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清澄通りの町並み。可愛らしいですね。
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春日通り北側の町並み
背後にスカイツリーが迫ってる。
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春日通りから北へ入った通り
戦後のあっさりした看板建築。
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以前、ローマン瓦は戦後と聞いたことがありますが、、、
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吾妻橋
浅草通り(スカイツリーの南側の東西に走る通り)には目ぼしい町並みはありませんでした。
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向島1丁目の非戦災地区
非戦災地区に入ると一気に木壁が増える。
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向島1丁目。スカイツリーとの対比が面白い。
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向島1丁目の三ツ目通りの町並み
出桁造りの町家が数軒見られました。
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隅田川を渡ります。最近、「かちくら」と呼ばれる御徒町と蔵前の間のエリアを歩きます。このあたりの非戦災地区は何度も歩いていますが、今日は戦災地区に着目して戦後の看板建築テーマで歩きます。
上の空中写真で、濃い黒のエリアが非戦災地区(瓦がグレーのため)ですが、そのエッジを戦災地区と非戦災地区を行ったり来たりしながら、浅草橋スタート。
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浅草橋5丁目の戦災地区
いきなり取り扱いに苦労する建物に遭遇。戦災地区なんでおそらく戦後だと思うんですが、デコラだなぁ。
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その裏。サイドカーと町並み、ナンジャ。
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浅草橋5丁目の非戦災地区
この通りの反対側は戦災を受けている。エッジに残る戦前の銅板看板建築。
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浅草橋5丁目の非戦災地区
非戦災地区に入ると外装が金属になるなぁ。
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鳥越1丁目の非戦災地区 おかず横丁の入口
銅板と擬石看板建築が迎える。
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鳥越1丁目の非戦災地区 おかず横丁の町並み
屋根裏部屋(ほとんど三階)の看板建築と金属が多い!
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鳥越1丁目の非戦災地区 おかず横丁の町並み
擬石は装飾のあるものが見られる。こうなると戦前だと決めつけてしまう。
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小島1丁目の非戦災地区
ここも金属だぁ
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鳥越1丁目の非戦災地区
???
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小島1丁目の非戦災地区
やっぱ金属系だぁ。銅板じゃなくスレート板だけど。戦前からスレート板が使われていたのか。
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佐竹商店街は戦前からある古い商店街です。そこに昔の写真があった。明治40年代はさすがに看板建築はなく、出桁造りの町家が並んでいる。
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昭和11年で看板建築が並んでる。擬石や銅板が見える。
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三筋二丁目の戦後の看板建築

さて、まとめてみますか。戦前と戦後の看板建築比較して何が違う?
銅板は戦前、モルタル吹き付けは戦後というのは言えそう。しかし、擬石は戦前からあり戦後まで使用されている模様。装飾を取り除いたモダニズム系の擬石看板建築は戦後の特徴ですが、戦前から見られる模様。ただし、古典様式が若干でも入っているものは戦前かなぁ。そして、金属は戦前の可能性が高い。
こんなところでしょうか。まぁ、研究者の論文でも読めば答えが書いてあるんでしょうけど、自分で見つけるのが楽しいもんで。




by marunouchi_no1 | 2017-02-11 22:02 | 東京都  

ぶらり東急東横線を歩く 中目黒〜大岡山

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午前中井の頭線を制覇し、午後は東急東横線です。こうなるともう止められません。
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中目黒駅は上目黒あって、丘の上は高級住宅街。目黒川沿いはもともとは水田で後に中小工業地帯であった所に、いわゆる中流サラリーマンや一人暮らしのOLが住むようなマンションが多く建てられました。周辺に芸能事務所が多く、高級住宅街には芸能人も住んでいるため、近年は隠れ家的な有名店、人気店が多く進出しているそうな。
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中目黒の商業の中でも駅前の再開発ビル「ゲートタワー」の足もとから西へ延びる「目黒銀座」が古くからの商店街で、戦前の出桁造の町家も残っています。この町家、前に取材している。もうないだろうと思ってたが、まだあった。素晴らしい!
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目黒銀座、変わったようで変わっていないですね。いい!
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そして、オサレなレストランもある。
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ずずずいっと歩くと祐天寺の商店街につながっている。
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東急横浜電鉄が丸子多摩川駅・神奈川駅間を開業したのは大正15年(1926年)で、目蒲線と相互乗り入れし、目黒駅・神奈川駅間の直通運転が開始しました。昭和2年(1928年)渋谷駅・丸子玉川駅間が開業、直通運転も開始され東横線と改称されました。
祐天寺駅界隈は、その名のごとく、浄土宗の寺院・祐天寺が近くにあり、関東大震災後の郊外移住も相まって、周辺農村が鉄道開通した昭和初期より急速に宅地化されました。
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祐天寺駅周辺の商業地は、いくつもの商店街によって形成されており(東側で四つ)、住宅地の日常雑貨・食料を提供しながら発展しました。
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町並みとしては、古くからの道に面して商店街が形成されており、昭和初期以降の出桁造り町家や擬石・モルタル系看板建築が多く残っていました。
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どんどん行きます。
学芸大学駅は、昭和2年の開業時は碑文谷駅、昭和11年に青山師範学校(今の東京学芸大学)が移転してきたのを契機に青山師範駅に改称、以降大学名の改称に合わせて駅名も改称されました。当時は、郊外に学校を誘致することで、朝夕の通勤客を増やし、かつ学園都市として住宅地を開発するのが一つの流行でした。
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東京学芸大学は、昭和39年に現在の小金井に移転したましたが駅名が残っっています。乗換駅でもないのに急行停車駅となっているのは、急行運転設定時、この駅周辺が市街地と郊外の境界となっていたことが理由とされており、周辺は古くからの繁華街でもありました。
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そんな背景のある商店街は、駅の両側に広がっており、道幅の狭い路地の繁華街を形成しています。
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建物は、当然ながら昭和初期からのものですが、狭い界隈性が魅力です。
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隣の都立大学も同様で、昭和2年開業時は柿の木坂駅でしたが、昭和6年の府立高等学校(現在の首都大学東京)の誘致により府立高等駅になり、以降学校の改称と共に駅名も変わっていきました。平成3年の都立大の八王子移転後も駅名は変わっていないません。
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駅近くには、「都立大学名店会館」という建物があります。学生時代を近くで過ごした私は、前からその存在が気になっていました。
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自由が丘の自由が丘デパートやヒカリ商店街と同様、終戦後の闇市移転によって生まれた建物です。初めてはいったぁ。
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旧都立大学のキャンパスへ向かう通りの町並み。
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都立大学駅の東側の町並み。もうやめてくれと痛い足が言うものの、心はもう一ヶ所!
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私が大学生時代を過ごした大岡山です。
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大岡山商店街。そういえば一角に怪しい飲屋街があったはず。
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ヤミ市系のバラック街。空き地が増えており、もう直ぐなくなるかな。
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そして、極め付けはコレだ!大岡山地下飲食街。おそらくヤミ市移転のために建てられたにちがいない。
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東工大生なら一度はこの地下で飲んだことがあるはず。ディープな空間である。
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by marunouchi_no1 | 2017-02-04 19:00 | 東京都  

ぶらり井の頭線を歩く 池ノ上〜永福町

戦前の郊外町歩き、気持ちが乗ってきました。井の頭線です。
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井の頭線は、昭和8年に渋谷・井の頭間が開通したました。その前の地図を見ると、沿線は東京郊外の農村集落。鉄道が開通し、関東大震災の復興も相まって、沿線は急速に宅地化されていきました。そして、古い道と鉄道が交差する場所に駅ができる。商店街は、その古い道を軸に駅から周囲に延びるように形成される。そして、昭和初期の町並みが出来上がりました。
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池ノ上駅から南北へのびる商店街は、井の頭線が敷かれる前からあった農村の中の古い道。そこに駅ができて周辺の住宅地が開発され、古い道沿いに商店街が形成された模様。
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井の頭線の開通が昭和8年ですから町並みはそれ以降に形成されたもので、戦災にもあっていないから古い家は昭和初期ということになります。
銅板看板建築や擬石看板建築はその頃のものでしょう。
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駅近くの古本屋と飲食店
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出桁造りや銅板看板建築、擬石看板建築などが見られます。商店街のすぐ後ろは閑静な住宅地でした。
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東松原駅は、微地形の谷筋を南北に通う古い道に駅ができたようで、その道に形成された商店街もクネクネしています。
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戦前戦後は判別できませんが、擬石やモルタル系看板建築が昭和さを醸していました。
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駅のすぐそばに煉瓦外装の二重看板建築がありました。落ち着いた珈琲専門店です。
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商店街の脇の路地。農村時代からの用水路でしょう。
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大谷石が使われている石垣や石塀。関東大震災後の昭和初期に宅地化された証。
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一歩入ると閑静な住宅街。歴史を重ねる住宅地ならではの町並みでした。

井の頭線沿線では、下北沢を忘れてはいけません。でも、以前歩いていますのでスルーします。行かれていない方は是非!
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浜田山駅で下車し、浜田山、西永福と歩きましたが、取り上げるほどじゃないかな。ここでは、永福町を紹介します。
杉並区永福の町名の由来は、子授けの御利益で有名な永福寺によります。井の頭通りに面する永福町駅は甲州街道高井戸宿から大宮八幡宮へ向かう古い道との交差部に造られました。駅から南、永福寺や高井戸方面へ向かう商店街はまさにこの道に形成されています。しかし、北側の商店街は大宮八幡宮へ向かうではなく、途中から分岐していた道をベースに直線的に整備されました。現在、この商店街では電柱の地中化工事が完了し(平成14年完成)、空が広くとても気持ちの良く、多くの人が訪れています。
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建物は整備されてからのモノなので、戦前戦後の看板建築や北側斜線で斜めになった屋根の建物が並びます。
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商店街の入り口にある大勝軒。有名なラーメン屋さんで、昼の行列ができていました。
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駅前のシブい建物。
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甲州街道へ通じる通りに形成された商店街。この手の看板建築があるから北側より古そうだ。
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そして、通りの脇を入ると閑静な住宅街。




by marunouchi_no1 | 2017-02-04 18:30 | 東京都