カテゴリ:山口県( 16 )

 

海界の村を歩く 瀬戸内海 佐合島

d0147406_09090135.jpg
牛島に渡るはずだった。台風とかち合い宇部探訪に切り替えたため行けなくなった。八島だけではもの足りないので、予定外だったが佐合島を組み入れた。
d0147406_20335600.jpg
佐合島は室津半島の西岸にある佐賀港より船が出る。沖合1.9kmと肉眼で家が見えるほどの近さで、8分で渡れる。
d0147406_08554258.jpg
平生町佐賀地区の南西海上1.9km、瀬戸内海国立公園内にある島。北と南に100mを超える山があり、ほとんどが丘陵傾斜地で、平たん地は5%程度にすぎない。古くは佐郷島・佐河島とも記され、中世には京都賀茂社領があったと伝えられる。慶長5年(1600)の検地帳にも島の名がみえ、天保13年(1842)には694人、明治22年には975人の人口を数えている。今では農漁業とも衰退し、一本釣などが細々と続けられている。定年後、島に里帰りした人たちも多い。美しい海岸には自然の薬草が自生、また潮干狩や岩場でのフィッシングが楽しめ、とくに夏場は海水浴客で賑わう。(「シマダス」参照)
d0147406_08570736.jpg
d0147406_08570992.jpg
集落は室津半島を望む島の東側、弓なりの砂浜上に形成されている。意外と島外から渡ってきている人達がいる。

d0147406_20344770.jpg
海岸線の道を歩く。画像のように石垣の防波堤と一体化した民家があった。海岸線には現在はしっかりとした防波堤が築かれているが、以前は頼りなかったのか。
d0147406_09034986.jpg
d0147406_20345351.jpg
ここにも!
d0147406_20345872.jpg
とはいえ、防波堤一体型じゃない家もある。現在の防波堤との間に一定の間隔があって砂利敷きになっている。原型はどんなかたちだったのだろうか。
d0147406_20350278.jpg
d0147406_09083251.jpg
家々は板壁と桟瓦葺が基本。
d0147406_09080290.jpg
海岸線の道を集落の一番端まできた。ちょっと高い位置に覚勝寺というお寺があった。
d0147406_09080419.jpg
お寺の境内から集落へ降りる階段がある。
d0147406_09080574.jpg
この道が本来のメインストリートの横道(海岸線に平行した道)であろう。
d0147406_09080724.jpg
家々の間には空き地が目立つゆったりとした集落景観だが、明治期には975人が生活していたというから、かつては家がビッシリ建ち並んでいたのだろう。
d0147406_09080846.jpg
黒いトタン葺き屋根。この島では珍しい。
d0147406_09162681.jpg
空き地には建物の基礎石が残っているから、かつての屋敷地の区画がわかる。
d0147406_09162882.jpg
煉瓦塀のある屋敷。家も大きい。
d0147406_09163037.jpg
小学校は今やない。
d0147406_09233879.jpg
d0147406_09233911.jpg
最後にドローンを飛ばした。浜で遊んでる人達が「なんだなんだ」って感じになる。島は静かだから、ドローンの音が結構目立つ。なかなかやりにくいもんだ。
d0147406_09163178.jpg
柳井へ移動し、孫右衛門さんと夕食前に遊里を探訪しようということになった。画像は伝建地区になっている町並み。
d0147406_09163290.jpg
そこから東の方へ行くと現代の商店街があり、その裏に飲食店街がある。
d0147406_09273098.jpg
表通り側がアーケード状になっていた建物の側面。集合店舗ビルのようだ。
d0147406_09273212.jpg
古い建物を改修してスナックした店舗。なんでスナックは洋風モダンなのだろうか。
d0147406_09273362.jpg
「だったらしい」というエリア。
d0147406_09273409.jpg
古そうな総二階建てがあったけど、どうかなぁ。
d0147406_09273590.jpg
この建物後ろに長くなっていたんで、元は映画館かな。
d0147406_09283887.jpg
出ました「モザイクタイルの円柱」。これがあると旧レッドであろうポイントが上がる。
d0147406_09283938.jpg
柳井天満宮の周りのスナック街。
d0147406_09284165.jpg
あってよかった!遊里探訪は探す面白さがある。いつかまた「遊里を歩くシリーズ」復活しましょうか。
d0147406_09284251.jpg


by marunouchi_no1 | 2018-10-06 20:30 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 八島

d0147406_20521705.jpg
宇部市内の宿を後にし、室津半島先端の上関町室津へ向かう。山口県の離島は、日本海側・瀬戸内しかり、いずれも期待を裏切らない島里ばかりである。その中でも、瀬戸内の祝島は、一級品の集落であり、平郡島はそれに次ぐといっていい。そんなエリアだから、今日渡る八島と佐合島に期待の胸が膨らむ。
d0147406_20093722.jpg
d0147406_20093863.jpg
広島を拠点にしているいらかぐみの孫右衛門さんを誘ったら、快く同行しましょうということになり、上関港で落ち合うことになった。八島行きの定期船は、上関発10:00。9:30前に孫右衛門さんと合流し、室津港の道の駅で出航を待つ。
d0147406_20523619.jpg
道の駅には新鮮な魚が売っていて、とにかく安い。こんなお店が東京の地元にあったらいいなぁ。
d0147406_20525203.jpg
八島への航路から祝島を望む。あんな高い山あったっけ?と思うほど、立派な島影。島というのは遠くから眺めると大きく見える。
d0147406_23343889.jpg
高速艇だから速く八島まで30分で着いた。島の中間あたりの北斜面から平地にかけて集落が形成されている。
d0147406_20530842.jpg
上関港の南約12kmの山口県最南端に位置する。南北に細長く、中部は平地になっているため1島であるが2島の観がある。古くは屋嶋・矢嶋とも記されていた。島内からは弥生式土器・土師器は出土している。かつては北部の古浦に集落があったが、現在は八島港の周辺に集中している。明治以降、ハワイへの移住者を多く出した島としても知られている。最近まで牛の放牧が営まれていた。観光事業としてキャンプ場を設置して島の振興を図っている。(「シマダス」参照)
d0147406_23382460.jpg
海岸線の家並み。各家の壁に動物画のパネルが張り付けられている。これは、いったい何だろう。島の方に聞いてみたら、区長さんの趣味の作品だそうだ。「まだまだたくさんあるよ」とのこと。

d0147406_20083983.jpg
海岸線から小さな川沿いに集落へ入っていく。この道がメインストリートのようで、かつてお店だったような建物が何軒か見られる。
d0147406_20084333.jpg
緩やかに上りながら曲がる道。その道に沿った川と石垣。向かい合う煉瓦塀と黒板壁。見事な構図!
d0147406_20084895.jpg
煉瓦塀の家。しっかりした洋風の門を構えていて、病院だったのかな?というような佇まい。
d0147406_20085078.jpg
メインストリートを振り返る。隣の祝島とは違うスタイルであるが、こっちも負けず劣らずの一級品の町並みだと思う。
d0147406_20085692.jpg
さらに登っていくと斜度が大きくなり、視界を占める石垣の割合が増える。
d0147406_20110582.jpg
ほとんど廃屋だけれど大きく崩れていない。家の造りがいいからだろう。
d0147406_20111165.jpg
集落の上にガードレールが見えたので、見晴らしが効く道があると判断し、そこまで上った。密集度は低くゆったりとした家々の配置。どちらかというと祝島島より平郡島に近いかな。
d0147406_20111792.jpg
季節によって強い風が吹き下ろしたり吹き上げたりするのであろう。屋敷地外周を建物で囲って、庭を風から守っている。
d0147406_20112230.jpg
囲むというより挟む程度かな。海側と山側に建物を配するイメージ。
d0147406_06045451.jpg
早く手を入れないとまずそう。
d0147406_20124868.jpg
d0147406_20125252.jpg
黒板壁、銀の瓦屋根、緑の調和が実にいい。
d0147406_20125644.jpg
集落の西方、斜面の高いところにある浄慶寺。法要の行事があり島の人たちが集まっていた。
本堂の襖絵は、地元出身の画家である川口健治氏の作品で、この寺から集落を眺めた風景画が描かれていた。
d0147406_20320651.jpg
浄慶寺本堂の天井。描かれた紋は、火事により再建された時に寄進した家のもの。
d0147406_20130051.jpg
やっと祝島で見られた練塀があった。祝島では表面を漆喰で仕上げているので、この壁も本来は漆喰仕上げでしょう。
祝島で多く見ることのできる練塀は祝島だけの特徴であり、長島やここ八島にはわずかしかない。
d0147406_20134945.jpg
d0147406_20135363.jpg
しかし、なんでこんなにも立派な民家が多いのか。答えはハワイへの出稼ぎ者を多く出した島だったということだそうである。
d0147406_20135992.jpg
練塀の路地
d0147406_20140322.jpg
屋敷地を囲む付属屋の入口から庭を見る。
d0147406_20140778.jpg
集落の優れた島里という情報は全くなかった八島であったが、とても建物の質が高い、素晴らしい集落だった。
d0147406_20323104.jpg
さて、今回の八島から初ドローンを飛ばした。そこで、ちょっとしたトラブル発生。画像のように集落を俯瞰しようと山に近づいた途端に、、、山のカラスが大騒ぎに。おそらく巣に近づいたためだろう。カラスは外敵が巣に50m近づいたところで威嚇するそうで、まさにその状態になっていたのだろう。「こりゃやべー」とドローンを引き返させたところ、何事もなかったように静まり帰った。島の皆さん、お騒がせしてすいませんでした。
d0147406_20323493.jpg
佐合島へ続く

by marunouchi_no1 | 2018-10-06 20:00 | 山口県  

海界の村を歩く 日本海 蓋井島

d0147406_20545096.jpg
昨夕、孫右衛門さんと柳井で夕食をご一緒した後、一気に150km走って下関市豊北町神田まで移動した。角島大橋の袂近くのペンションに泊まり、早朝から活動開始。
d0147406_20535839.jpg
角島は日本海に浮かぶ島だが、2000年に架橋されたため今は離島ではない。北前船の寄港地でもあったらしく、集落に期待した。
d0147406_20540104.jpg
角島灯台。明治9年に建てられたわが国の名灯台の一つ、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による最後の作だそうでで、日本海では初めての洋式灯台だとか。
d0147406_20551600.jpg
角島の港。さすがに日本海に面する本州の曲がり角みたいなところにあるため風が強く、ドローンは飛ばせない。
d0147406_20540610.jpg
角島灯台が花崗岩でできていたが、集落の方も石垣が特徴である。
d0147406_20541035.jpg
続く煉瓦塀
d0147406_20541467.jpg
ただ、集落的にはあまり面白くはなかった。橋で渡れると評価が下がる。
d0147406_20561394.jpg
角島大橋。絶大な観光名所で、朝から多くの人たちが見物に訪れていた。
d0147406_20561850.jpg
角島からやや南へ移動したところにある矢玉という町を歩く。何の前情報もなかった町だが、空中写真で見て密集度に魅かれた。
d0147406_20562353.jpg
表通りは普通なれど、
d0147406_20562632.jpg
そこから一歩入るとこんな路地が続く。漁村として栄えたのであろう。
d0147406_20563159.jpg
加藤味噌醸造所
d0147406_10002898.jpg
川を挟んだ左側の一角、すごい密集度でしょ。ここを歩いてみたかった。
d0147406_20570589.jpg
川沿いはこんな感じ。
d0147406_20570865.jpg
中はこんな感じ。割と整然と区画されてたので、古い町ではないのでしょう。
d0147406_20571264.jpg
豊浦室津の町を歩く。この町も北前船の寄港地だった港町。
d0147406_20571874.jpg
海岸線に沿った一本道。
d0147406_20572247.jpg
古そうな民家を発見。
d0147406_20585626.jpg
なまこ壁を発見。
d0147406_20590032.jpg
なまこ壁の家の表側。
d0147406_20590567.jpg
ポツポツと古い家が見られる。
d0147406_20590840.jpg
そして、鏝絵の家が数軒あった。
d0147406_20591100.jpg
d0147406_20595130.jpg
港町として栄えたということかな?
d0147406_10070519.jpg
吉見港 13:30発の船で蓋井島へ渡る。「ふたおいじま」と読む。
d0147406_10070602.jpg
昨日の瀬戸内海は穏やかだったが、さすが日本海、波は高い。
d0147406_10070735.jpg
高速艇で40分。日本海の響灘に浮かぶ蓋井島に着いた。
d0147406_10143308.jpg
下関市吉母の北西約6kmの響灘にある。けわしい岩石海岸が続き、東南部の湾頭にある砂浜から山の斜面となっている。古代の集落遺構が発掘された筏石遺跡や、土器などが出土した遺跡もある。昭和10年代には、下関要塞の要として蓋井島砲台が構築された。国の重要有形民俗文化財に指定されている「山の神の森」では、7年目ごとに山の神の神事が催される。島の周囲は水産資源に恵まれ、定置網や一本釣りなどで、アワビ、サザエ、イカ、ブリが水揚げされている。神功皇后がこの島の水を「よき水」とほめられ、その後は蓋で覆ったことから、島名がついたといわれている。(「シマダス」参照)
d0147406_20595517.jpg
この島の特徴は、なんといっても赤瓦で、空中写真で見た時から行ってみたいと思っていた。日本海に浮かぶ山口県の島は皆赤瓦である。
d0147406_20595810.jpg
港から上がってくるメインストリート
d0147406_21000216.jpg
赤瓦と銅板の緑青がいい感じだ。
d0147406_21000521.jpg
d0147406_21014594.jpg
割と家々の配置が規則正しい。雛壇状に宅地化されているからか。壁に鶴亀の鏝絵があった。
d0147406_21005116.jpg
そそり立つ民家
d0147406_21005539.jpg
鮮やかな赤
d0147406_21005912.jpg
屋敷構えは外周に建物を巡らす中庭型。斜面だし、吹き付ける風が強いのであろう。
d0147406_21010441.jpg
この日も風が強くドローンは飛ばせなかった。
d0147406_21010857.jpg

by marunouchi_no1 | 2018-10-06 20:00 | 山口県  

企業城下町を歩く 宇部

企業城下町を歩く 宇部(山口県)
d0147406_18050935.jpg
鹿児島県トカラ列島の旅から早2ヶ月。しばらく仕事と論文執筆で忙しくしており、今年最後の旅となった。10月初めの三連休に瀬戸内海西部の島々を予定していたが、またもや台風。一時は断念しかけたものの、台風の進行が早まり、なんとかなりそう。というわけで、旅に出た。
d0147406_20572733.jpg
最終便で山口宇部空港に降り宇部市内に泊。台風が通過する10/6は宇部市内を巡ることとした。
宇部といえば「宇部興産」の企業城下町。ひさびさに「企業城下町を歩く」テーマだ。
d0147406_06543243.jpg
山陽本線に宇部駅があるが街はそこにはなく、宇部の中心市街地は宇部線の居能駅から宇部岬駅の間にある。その中心駅が宇部新川だ。
d0147406_06553513.jpg
宇部市街の海沿いはすべからく宇部興産グループの工場である。宇部新川駅から海へ向かう大通り=興産通りは、国道190号線を越すと宇部興産専用道路となり、工場の中を行く。画像は工場群の入り口にある、宇部興産本社。
d0147406_18051326.jpg
宇部興産専用道路を進むと迫力ある工場群に!
d0147406_21020182.jpg
どんどん進んでいくと遮断機が現れた。しかし線路がない。臨港鉄道ではなく貨物車を重連したトラックが勢いよく走っている。この先、厚東川の河口を渡る橋があって西岸の工場エリアへいけるのだが、どうやら入ったらダメか。怒られそうなので引き返す。
d0147406_06590749.jpg
宇部新川駅前には数軒のビジネス旅館があって、周りが夜の飲食店街となっている。
d0147406_06591167.jpg
海へ向かう通りの背景は常に工場。
d0147406_06591573.jpg
そこから東へ向かって商店街が続く。ちょっとしたアーケード街=銀天街があったがまたすぐに屋根がなくなった。
d0147406_06591856.jpg
アーケード街の周りは夜の飲食店街。「人来夢」と書いてなんと読むのかな、ジンライム?
d0147406_07005854.jpg
中央町三丁目商店街(銀天街の一本南側)。おや?宇部市街は戦災にあっているのに古い家が残ってる。
d0147406_11115932.jpg
戦災都市概況図。なるほど、宇部新川駅の南側が焼けていない。
d0147406_07010295.jpg
宇部中央銀天街のアーケード。さっき途絶えたアーケードは本来ここへ続いているものだった。
d0147406_07010518.jpg
銀天街は非戦災地区と戦災地区をまたぐように形成されている。かつてはデパートもあったそうだが、随分前に閉店して、現在は活気のないシャッター商店街。
d0147406_07010910.jpg
ヒストリア宇部。昭和15年地区の旧宇部銀行館の建物で、設計者は村野藤吾。
d0147406_07011310.jpg
やっぱ村野さん、妙な装飾がある。階段があって小さな窓?元は夜間金庫かな。
d0147406_07023525.jpg
さらに東へ進むと「新天町ハミングロード」というアーケード街が現れた。さっきの銀天街より道幅が広く賑わっている。
d0147406_07023916.jpg
その新天街の主軸から枝状に別れた小さなアーケード街があるぞ!
d0147406_07024369.jpg
期待通りの飲食店街。戦災復興系のアーケード街には、このような飲食店街が枝状にある場合が多い。新天町は戦災地区である。
d0147406_07024569.jpg
新天町の洋食屋さんでランチ。落ち着いたいいお店だった。
d0147406_07024870.jpg
新天町を東へ抜けるとアーケード商店街はない。町の雰囲気が変わる。
d0147406_07042371.jpg
どう変わるのかって、、、
そう、遊里なのだ。レッドかブルーかわからないが、カフェー系の建物あり。
d0147406_07042515.jpg
これは強烈でしょ!
d0147406_07042726.jpg
旅館もあった。
d0147406_07043022.jpg
そして極め付けはコレ。google mapの空中写真であやしいと思って行ったらありました。「一丁街酒場」という長屋形式の夜の飲食店街。つまりは、かつてのブルーラインでしょう。
d0147406_07043267.jpg
いきなりこういう一角が出てくるから面白いですね。ここから東へ行くと炭鉱町宇部の発祥のエリアになるようです。
d0147406_06532361.jpg
さてJR宇部線の南側の市街地探訪は終わりました。ここからは、北側です。画像は、宇部新川駅の東側にある渡辺翁記念会館。村野藤吾設計の劇場で国の重要文化財です。
d0147406_06532767.jpg
玄関の壁のレリーフを見ると、ハンマーやツルハシを持った男の像だ。炭鉱町だった宇部を象徴する坑夫の像。
d0147406_06533084.jpg
宇部新川駅から北方向へ歩いていく。最初に歩いた商店街とは異なり、古い住宅地である。戦災にあっていないので、明らかに戦前の住宅といえる。
d0147406_06533614.jpg
起伏があって坂を上る。坂の石畳も古そう。
d0147406_06534259.jpg
桃色をした煉瓦塀。なんで桃色?
この煉瓦、宇部では「桃色煉瓦」と呼ばれ、石炭を燃やして残った灰を土に混ぜて作ったものだそうだ。
d0147406_21295713.jpg
琴芝駅から北へ行った丘上の住宅地。ここはロケでも使われる桃色煉瓦の小道である。
d0147406_21300029.jpg
企業城下町宇部おわり。

by marunouchi_no1 | 2018-10-05 20:00 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 柱島(山口県)

d0147406_14485878.jpg

(倉橋島大向から見た柱島)
ANA 羽田→岩国 朝一番の便で岩国に入り、柱島群島の黒島と柱島を歩く予定です。
d0147406_14485960.jpg

滑走路で出力最大!さぁ飛び立つぞと加速を始めたが、、、いきなりの失速。計器故障か何かで離陸を断念してしまいました。一度駐機場に戻るが復旧できず、機種変更になってしまいました。あぁあ2時間遅れ。予定していた黒島は岩国港10:00発に乗らなければ行くことができないのに、もうダメです。諦めて柱島オンリーに切り替えです。
d0147406_14485902.jpg

時間調整で山陽道の宿場町だった柳井市の大畠を歩きます。すると今度は熱っぽくなってきた。気候の変わり目で、昨晩掛け布団を蹴飛ばして寝たせいでしょうか。岩国駅前の薬屋で熱に効く漢方薬を購入します。
d0147406_14490029.jpg

そして、岩国港より柱島へ向かいます。ところが、島は大雨だぁ。ていうか土砂降り。まずは今宵の宿、堀岡旅館に駆け込んで荷物を置く。夕方の土砂降りの中、とても探訪する気持ちになりませんが、やらぬわけにはいきません。
岩国港の南東約26km、広島・愛媛の県境に位置する柱島群島の中心島。多島海の美しい景観を誇り、一帯は瀬戸内海国立公園に指定されている。古くは、忽那七島の一つに数えられ、水軍史上有名な忽那七島水軍の本拠地として、西暦1000年頃から300年以上にわたって栄えた。太平洋戦争時、柱島近海は「柱島泊地」とされ、日本連合艦隊の停泊地となっていた。昭和18年には柱島沖合で戦艦「陸奥」が謎の爆発で沈没する事件も発生している。現在の基幹産業は農水産業で、岩国や広島に新鮮な魚や野菜、ミカンなどが出荷されている。また、四季をつうじて釣り客や観光客が訪れ、海洋性保養地として注目されている。(『シマダス』より)
d0147406_14490124.jpg

でもでも、集落は良いではありませんか。石積みと緑が綺麗。
d0147406_14490212.jpg

d0147406_14490200.jpg

d0147406_14490312.jpg

このあたりの島は、花崗岩でできているので石材には苦労しません。
d0147406_14490484.jpg

段々畑の中に集落が形成されているような村。普通の漁村であれば低いところに家々が集まっていて、平地がなくなれば斜面上を駆け上がっていきますが、
d0147406_14490598.jpg

d0147406_14585877.jpg

この柱島の集落は密集しておらず、余裕を持って家々が建っている。
d0147406_14585983.jpg

漁村というより農村なのでしょうか。何れにしても集落の中に緑が沢山あるから、自然と人工物の調和がいいのです。
d0147406_14590024.jpg

雨は小降りになってはきたものの、風邪の熱が出てきてあぶら汗、、、まずいぞ。全部を歩けず引き上げることにしました。身体を守ってやむなしです。
d0147406_14590158.jpg

翌朝、体調の悪化は免れた。岩国で買ったクスリが効いてくれたのでしょうか。良くはなっていないけど、まぁいいでしょう。ちょっと消化不良だけど、柱島を撤退です。

by marunouchi_no1 | 2016-10-16 14:23 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 浮島・野島(山口県)

d0147406_13293848.jpg

本土と大橋で繋がっている周防大島(屋代島)の東安下庄の朝です。鏡のように静かな水面。
d0147406_13293817.jpg

d0147406_13293811.jpg

周防大島の中ほど北岸にある日前港から、浮島(うかしま)に渡ります。
◇浮島
屋代島中央部の北約5km、瀬戸内海国立公園に指定された島。江ノ浦、樽見、楽ノ江の3集落がある。北にある無人島・頭島とは昭和40年に農道橋で結ばれている。中世末期に水軍宇賀島衆の根拠地で、弘治元年(1555)厳島合戦には陶晴賢軍にくみして毛利氏側の村上水軍と戦い、全滅して無人島となったという。その後、天和元年(1681)に開拓が始められた。明治・大正期には出稼ぎg盛んになり、ハワイへの移民を輩出している。現在、主な産業は農漁業。南北に平地丘陵が開け、ミカンが栽培されている。漁業は、イワシ網、タチウオ釣り、底引き網などが盛んで、特に天日干しのイリコが味・品質とも天下一品と評判である。また近年、フグも養殖されるなど、まさに魚の宝庫の島である。(「シマダス」参考)

d0147406_13293967.jpg

浮島航路は、観光客など全く相手にしていない小さな船で、日前港の船着場の案内もわかりづらいものでした。
d0147406_13293948.jpg

浮島には大きく2つの集落があります。南にある江ノ浦集落から歩きます。
d0147406_13294043.jpg

d0147406_13294003.jpg

と言っても、集落は小さく、サクッと歩き終わってしまいました。
d0147406_13294059.jpg

d0147406_13294189.jpg

港であと1時間半を潰すのも辛いので、島の北にある樽見集落へ行ってみよう。帰りの船はそこから乗ればいい。
d0147406_13294101.jpg

江ノ浦から樽見まで3km強、日陰が多くて助かります。
d0147406_13415911.jpg

途中に小さな楽ノ浦という集落がありますが、その外れに水田が広がっていました。島の米として重要ですね。
d0147406_13420072.jpg

樽見集落。向こうに見えるのは橋で繋がっている頭島(人家はありません)。
d0147406_13420015.jpg

港の水産加工場に海産物を引き入れるクレーン。
d0147406_13420105.jpg

島のクルマにはナンバーが付いていません。いいのかなぁ。
d0147406_13420165.jpg

d0147406_13420126.jpg

集落を歩きます。とても小さなもので、海岸線に沿って一列あるだけ。
d0147406_13420212.jpg

特徴的なのは、石を板状に加工したものを使った造形。これは石垣の上に並べられた干場のようなもの。ちょっと珍しいかも。
d0147406_13420205.jpg

d0147406_13420218.jpg

こっちは、防風用の柵。こういうのは竹垣や生垣だったりしますが、片持で立てられた石板というのは初めて見ました。
d0147406_13420273.jpg

周防大島に戻って、かつて訪れたことのある集落を再訪します。周防大島の南にあり橋でつながれている沖家室島。本浦地区は帆船時代の瀬戸内航路の重要な港でした。
d0147406_13523692.jpg

d0147406_13523611.jpg

本浦地区。歴史を知らなければただの漁村と思って通り過ぎてしまいそうな集落です。
d0147406_13523622.jpg

d0147406_13523776.jpg

でも、こうして歩いてみるとちょっと違う。
d0147406_13523701.jpg

d0147406_13523724.jpg

洲崎地区も同様。
d0147406_13523805.jpg

d0147406_13523876.jpg

d0147406_13523919.jpg

洲崎地区の町並み。港町の風情を感じます。

さぁ、ここから西へ一気に100km走ります。14:30発の船に間に合うか!
d0147406_14191148.jpg

間に合いました、防府市三田尻港。とんでもない場所に船着場がある。大津島に渡った時の徳山(周南市)同様に工場地帯の真っ只中です。
d0147406_14191185.jpg

◇野島
防府市の東南14.8kmにある島。小型底引網漁を中心とした沿岸漁業を主産業とする。慶長年間(1596~1615)に祝島の僧が入植したという説と、鎌倉末期に富海の一族が開拓したという説がある。瀬戸内海国立公園に指定されている美しい自然を残すこの島には、海水浴場や磯釣りの名所があり、多くの観光客が訪れている。また、伝統行事として矢立神社の神舞神事や野島盆踊り、子供たちによる野島太鼓がある。また、上下水道も完備されて潤いのある豊かな生活が維持されている。(「シマダス」参考)

大津島の直ぐ南にある野島は、周南市ではなく防府市にあるため、別の港から渡ることになります。これだから、島旅は効率が上がらない。。。
小さな島の割に定員数が多い立派な渡船でした。でも午後の下り便はガラガラでした。野島には野島という1つの集落しかありません。
d0147406_14191284.jpg

日差しは最高潮で、日傘なしではとても歩いていられない。日傘がないので黒い雨傘をさして歩きます。島の人たちから怪しまれているのがわかります。
d0147406_14191303.jpg

猫ちも暑さにのびてます。
d0147406_14191339.jpg

集落はほぼフラット。
d0147406_14191416.jpg

かつての海岸線だと思われる横道=メインストリートが町並みの見どころ。
d0147406_14191468.jpg

石垣と舟板壁の家
d0147406_14191542.jpg

この通りにやってるかやっていないかわからないお店が数軒面しておりました。
d0147406_14191554.jpg

一番端にあった建物。ちょっと不思議。
左右対称の洋風。教会でしょうか。
d0147406_14244224.jpg

上りの渡船は満席でした。海水浴場があるのかな。もちろん地元山口県の旅行客でしょうが、人気があるようです。





by marunouchi_no1 | 2016-07-22 13:12 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 祝島(山口県)

日本の離島集落を巡る旅も、いよいよ横綱の登場です。山口県柳井市の沖にあるハートの形をした祝島は、「練塀」と呼ばれる大変美しい石積み壁・塀の景観が見られる島里。2003年に、古い町並みを紹介するサイトを立ち上げていた人達が集まろうということになって、この祝島に集結しました。そして、島を離れた後、みんなで上関の町並みを歩いている時に、各サイトを統合するグループを結成しようということになりました。
d0147406_08294598.jpg

(画:Kさんこと岸本信夫画伯)
そのグループが、13年を経た現在も続いている町並みWeb集団「いらかぐみ」です。私もその時以来の再訪となります。町並みの迫力はよくわかっていますので、今度はどんな刺激を受けるのか楽しみです。
d0147406_08294564.jpg

柳井からのびた半島の先端にある上関町室津に着きました。すぐ目の前に長島があって、上関の街が見えます。互いの街は大橋で繋がれていて、帆船時代の重要な港でした。
d0147406_08374329.jpg

2003年時もいらかぐみのみんなで歩いた街。しかし、こんなに目立つ四階楼だけど、あったっけ?
d0147406_08374350.jpg

室津の町を歩きます。町家が並んでる。明らかに漁村ではない港町の形態です。
d0147406_08374469.jpg

棟と棟の間に不思議な外装があった。鋭角な入り角になっていて、腰板が化粧されている。面白いです。
d0147406_08542902.jpg

d0147406_18415994.jpg

いい町並みですが、ことごとく覚えていない。あの時、街のガイドさんに案内されて歩いた、つまり自分で考えて歩いていないので、記憶に薄いのかもしれません。あるいは単に年齢からくるものか。
d0147406_08543035.jpg

格子を留める銅の鋲が綺麗でした。こういう繊細な格子も上方と行き来する北前船がもたらしたものなのでしょうか。
d0147406_18415966.jpg

傷んでいますが、古い瓦屋根。神社の境内から。
ここから先は斜面上の集落になり、岬の尾根線を越えて反対側の海岸線まで下りています。
d0147406_18420057.jpg

d0147406_18420018.jpg

海峡の対岸、上関の街を歩きます。この特徴ある菱形窓の付いた町家はさすがに覚えてた。この家の脇から斜面を登る方向に街が展開します。
d0147406_18420056.jpg

d0147406_18420135.jpg

この斜面上の街も尾根線を越えて反対側の海岸線まで下りていました。
d0147406_20360952.jpg

さて、上関港より祝島に渡ります。高速艇で20分。船は柳井港が始発で、室津⇨上関⇨蒲井⇨四代⇨祝島と幾つかの港に立ち寄っていきます。
結構混んでる。
d0147406_20360997.jpg

◇祝島
上関港から南西16kmの波高い周防灘の東端にポッカリと浮かんでいる周囲12kmの島。祭祀が行われていたらしい巨石群もあり、古来行き交う航行安全を守る神霊の鎮まり給う島として崇められてきた。このことは都にも広くしられていて、「万葉集」にも登場する。今から、1000年以上前から伝承されている無形文化財「神舞神事」も四年に一回行われている。江戸時代には岩見島と呼ばれていた。かつては冬期に酒造杜氏として各地で出稼ぎをすることで知られていた。主産業は農漁業。ビワ、ミカン、サヨリ、タイなど特産品も豊富で、現在ブランド化を進めている。独特な石垣をめぐらせた町並みが美しい島である。

d0147406_20402845.jpg

祝島港の船着場から早速集落内の道に入る。いきなり練塀です。
d0147406_20402855.jpg

集落を貫く横道はメインストリート
d0147406_21482587.jpg

横道からある家の屋根の下をくぐって、細い縦道に入る場所あり。密集系漁村といえばそうですが、集落全体にグレード感があります。繁栄した集落に共通する何か。
d0147406_21482667.jpg

漆喰で作られた猫ちゃん。職人さんが遊びでこしらえたのか。
d0147406_21482620.jpg

横道をどんどん進む。こういう練塀の無い空間が珍しく感じます。
d0147406_21482649.jpg

d0147406_21482744.jpg

d0147406_21482734.jpg

窓が漆喰で埋められた跡。アートのようです。
d0147406_21482735.jpg

d0147406_21482805.jpg

d0147406_21482897.jpg

この一角が一番景観的にいい!でしょ!
冒頭のKさんのスケッチはこの場所です。ホント美しい景観です。
d0147406_21482976.jpg

d0147406_11473932.jpg

d0147406_11473904.jpg

どこもかしこも絵になりますなぁ。
d0147406_11474040.jpg

あるお宅を入り口から覗かせていただきました。練塀の役割は防風対策。中はこのような庭があって、そこから各建屋に入ります。
d0147406_11474087.jpg

2003年に泊まった民宿くにひろ。今回、手違いで泊まることができませんでした。2003年当時、息子さんがネットで民宿を紹介されていましたが、現在はその息子さん夫婦が民宿を営まれていました。ラジオ番組で奥さんのインタビューを連載していたそうですで、その内容が本になって発行されていました。
http://www.iwaishima.jp/minsyuku/

上関に戻りました。これから、長島の2つの集落を歩きます。四代集落は、島の東岸先端にある漁村で、祝島航路も立ち寄る港です。陸続きの四代になんで船が寄港するのかと思ってましたが、答えは単純。至る道が細く険しく、船の方が便利だからです。ただ、道路は途中の蒲井まで整備が進んではいますが。
d0147406_12160094.jpg

練塀は見られませんでしたが、石垣は見事です。
d0147406_12160023.jpg

港近くに下見板張の洋風な民家がありました。
d0147406_12160106.jpg

d0147406_12160186.jpg

長島四代集落、そこそこです。
d0147406_12291537.jpg

次に島の中部西岸に移動。写真の眼下に広がる長島白井田集落へ。
d0147406_12291638.jpg

集落は平地のエリアを中心に斜面へ駆け上がる形態。つまり人口が増えるに従って平地が埋まり、斜面上を開発していったものでしょう。それだけ、過去において栄えていたということになります。
d0147406_12291658.jpg

港近くに練塀の家屋がありました。祝島の練塀は台風や季節風を対策する目的であると言われていますが、この白井田集落も同様に北西に海を臨む斜面、同様の防風対策から築かれたのでしょう。
d0147406_13060249.jpg

ただし、使われている石が違います。祝島は波によって削られた丸石でしたが、白井田では割石でした。印象が異なるものですね。
d0147406_13060295.jpg

d0147406_13060380.jpg

もう一軒ありました。軒下の壁にも使われています。瓦屋根との組み合わせも美しい!
d0147406_13060337.jpg

さて、斜面に駆け上がる集落を上ってみましょう。
d0147406_13060431.jpg

d0147406_13060556.jpg

見てください、この斜度。
d0147406_13060538.jpg

d0147406_13060589.jpg

そして、城郭のようにそそり立つ石垣。この急傾斜なエリアは端っこになりますので、やや時代が新しい大正から昭和のものかもしれませんが、広島県呉にある大正期の住宅地「両城」に近い迫力です。
d0147406_13060692.jpg

d0147406_13060605.jpg

なぜそこまで造成のための石垣が高くなるのかといえば、1つ1つの宅地を大きくとっているから。つまり、急傾斜地上でありながら、庭を持っているからなのです。それだけ漁業で栄えたのでしょう。この写真の家のように鏝絵が見られるのもその証かもしれません。
d0147406_13124518.jpg

d0147406_13124693.jpg

星4つ!いい集落を見つけました。















by marunouchi_no1 | 2016-07-21 08:13 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 大津島(山口県)

d0147406_22050822.jpg

工場地帯の真っ只中にある徳山港を出航しました。大津島行きの定期船は、細長い島にある2つあるいは3つの集落に寄ります。その終点、馬島港で降りました。天候は小雨混じり、また雨か。
d0147406_22313536.jpg

大津島(上図の赤い印)
徳山市の南西約10kmの沖合にある細長い丘陵状の島。波静かな天然の良港徳山湾の西を縁取り、一部は瀬戸内海国立公園に指定されている。かつては二つの島だったが、400年ほど前に砂洲でつながった。南側の馬島には、中世末期に大内氏の馬校があったと伝えられている。ほとんどが山地で、7つの集落が点在する。基幹産業は近海を漁場とする水産業だが、良質な御影石を産出することから採石業も営まれている。古くは大阪城築城の際に石垣材として大阪に運ばれた歴史もあり、今もその残石がある。また、太平洋戦争末期の特攻兵器・人間魚雷「天回」の発射訓練基地跡、記念館があり、今なお慰霊に訪れる人も多い。(「シマダス」参考)
d0147406_22313588.jpg

船が折り返すまで3時間あります。取材する集落は馬島一ヶ所。一見して1時間もあれば十分隅々まであるけそうなので、とにかくゆっくり歩こうと思います。まずは、漁村探訪の鉄則、防波堤の先端に立って集落の全貌を把握し、これから入って行って歩く順番をイメージする作業。
d0147406_23545148.jpg

港は内海特有の潮の干満の差の大きさに対応した護岸。
d0147406_23545139.jpg

集落内へ縦道を入っていきます。
d0147406_23545265.jpg

d0147406_23545289.jpg

大阪城の石垣にも使用されたという、島で採れた花崗岩による石垣が見どころ。漆喰が剥げ落ちて土壁があらわになっています。こういうのに郷愁を感じますが、漆喰塗らないとボロボロになってしまいます。
d0147406_08405607.jpg

斜面の中腹から見渡す。入母屋屋根桟瓦葺、茶色く塗装された板壁の民家が多く、古そうな家は黒板壁でした。
d0147406_08405670.jpg

中腹の横道。造成された長い石垣が続きます。
d0147406_08405790.jpg

島の東側を船でなめましたが、二箇所に丁場(採石場)がありました(上画像)。向かいの黒髪島には大々的な丁場があって、「徳山石」として広く流通していました。船から眺めた様子では今でも採っているようでした。
d0147406_08405748.jpg

急坂の縦道。先の家は無住かな。途中、沢山の大きな蜂がブンブン飛んでいたので上のを断念。
d0147406_08405738.jpg

随所の石垣が美しい。

いつの間にか空から雲がなくなってピーカン。暑くなってきました。集落から船着場に戻り通り越して、「回天記念館」に向かいます。途中にお休処があったので一服。
d0147406_08405847.jpg

回天記念館。「回天」とは、太平洋戦争の終盤、劣勢に追い込まれたわが国は、起死回生を狙って人間魚雷を造りました。操縦者がこの中に入って、軍艦に体当たりするという兵器。
d0147406_08405896.jpg

若者が家族や愛する人を守る一心で志願したのだそうです。恐ろしい歴史です。彼らのことはいつまでも忘れてはいけない。
d0147406_08405965.jpg

大津島にはその回天の発射訓練施設がありました。その一部が残されています。この長いトンネルもその1つ。
d0147406_09032549.jpg

トンネルの先にあったのは、絶壁から突き出た発射場。
d0147406_09032568.jpg

この溝に回天はスッポリはまったのでしょう。








by marunouchi_no1 | 2016-07-19 18:46 | 山口県  

復興の街を歩く 徳山(山口県)

d0147406_22343691.jpg

2016/7/16 山口宇部空港入り、レンタカーで徳山までやってきました。今回の旅は瀬戸内海西部の離島が目的ですが、徳山港から大津島(周南市)に渡る前に戦災復興の街である徳山を歩きます。
徳山は元々は毛利氏の城下町で、明治時代に入ってから瀬戸内海沿岸に海軍煉炭製造所(後の海軍燃料廠)が設けられたことで、工業都市として栄えました。
d0147406_18393486.jpg

その海軍施設があったのが理由で、太平洋戦争時には2度の激しい空襲を受けています。したがって基本的に古い建物はなく、純度の高い戦後復興の町並みとなります。
上の画像は駅前から北へのびる御幸通り。両側に側道を備え四列の街路樹が整備された戦災復興都市計画によるものです。この通りの東側が銀座、西側が有楽町という町名で、東京の地名にあやかった都市計画がなされました。
d0147406_18393414.jpg

ピアモール銀座(徳山銀座商店街)。この通りは旧山陽道で、歩道上にアーケードがかかっています。向こうに見える大きな建物は、かつての近鉄百貨店。今では、当初と異なる用途となっています。
d0147406_22343767.jpg

ピアモールから北へ折れる一番街の全面アーケード。かなり寂れています。
d0147406_22343796.jpg

一番街アーケードをしばらく歩くと、西方向へのびる「銀座中央街」という細いアーケード街が現れました。闇市系のマーケットのような商店街。ここはそこそこに店が並んでいました。
d0147406_19025305.jpg

いい感じです。
d0147406_19025499.jpg

やたらホルモン焼の店を目にする。工場街だからかなぁ。
d0147406_19025492.jpg

そして、銀南街商店街。昭和28年に木造3階建の商店街として発足し、昭和40年に銀南街防災建築街区造成事業により、鉄筋コンクリート6階地下3階の近代的な建物に生まれ変わりました。さらに東西に隣接する商店街にもアーケードをかけ、長さ300mの商店街となりました。
その造りは、2層のアーケード街として中々大したものです。
d0147406_19025409.jpg

エスカレーターも昭和の高度成長期のまま。渋いですねぇ。
d0147406_19025529.jpg

d0147406_19025547.jpg

d0147406_19025580.jpg

銀南街の周辺をあるきます。交差点の大きな角切りと街路樹の通りは、戦災復興都市計画のもの。ビルも高度成長期の時代を感じます。
d0147406_19195441.jpg

駅前の御幸通りの西側を歩きます。すると公園があって、そこに面して飲食店が並んでいました。
d0147406_19195415.jpg

ランチ時に一軒のお店に長蛇の列が、、、
うどん屋さんのようです。
d0147406_19195494.jpg

駅に近いエリアは駅前旅館街。町名の有楽町から名がついた有楽ホテル。
d0147406_19195509.jpg

そんな中、旧山陽道沿いに看板建築があった。洋風の戦前系ですが、まさか戦災を免れたものではないと思います。
d0147406_19195599.jpg

駅の南は直ぐに港。周りは工場です。
d0147406_19195579.jpg

夜、目をつけていたホルモン焼きに行きました。カウンター席以外すべて予約席。支店もあって人気のお店のようでした。
d0147406_19195553.jpg

お店のお姉さんはぶっきらぼうでしたが、お肉は超旨かった!オススメです!



by marunouchi_no1 | 2016-07-16 22:09 | 山口県  

海界の村を歩く 日本海 六連島(山口県)

d0147406_14315485.jpg

金曜日の最終便は、予定通り宇部山口空港に21:00着。下関駅行きのリムジンバスに乗ります。22:00過ぎに下関市街に入りました。関門橋をバスからパシャリ。
d0147406_14315586.jpg

ホテルに荷物を置いて、夕食とるため街に出る。下関の歓楽街豊前田も、人通りはあるけれど活気は感じられない。
d0147406_14393345.jpg

クラブ集合ビル。普通の飲食店はもう閉店だぁ。
d0147406_14393331.jpg

今や世界的な日本酒までに登りつめた山口県の酒「獺祭」。ここまで有名になると「飲んでやるもんか」と思ってしまう。
向かいのラーメン屋には入った。
d0147406_14482798.jpg

戦後の集合住宅のようなオフィスのような建物があった。
d0147406_14482709.jpg

「下関第一ビルデイング」
イがィでないところに注目せよ
d0147406_14482893.jpg

さて、日が変わって2/27(土)。雨です。
ホテルの前にそびえる「海峡ゆめタワー」
1996年竣工だから、バブル期に企画されたものでしょう。デザインに時代を感じますが、この頃この手のデザインに魅かれる。どうしてかなぁ。
d0147406_16531066.jpg

d0147406_17003427.jpg

下関駅西口から徒歩5分足らずにある六連島渡船場から、六連島へは20分。
d0147406_16531063.jpg

小さな一集落の島です。
島は台地状になっていて、花卉栽培が生業。唯一の集落は、東側の緩斜面に形成されています。
d0147406_16531111.jpg

港には集落は無く、坂道を上っていくと現れます。この地方の特色である赤瓦の甍並み。
d0147406_16531153.jpg

屋根の重なり具合もよろし!
d0147406_16531198.jpg

こちらは黒い瓦だけど、葺おろしがダイナミック!
d0147406_16531176.jpg

迫力があります。
d0147406_16531263.jpg

急勾配の石段を頑張って上り、神社に境内から見下ろす。いい俯瞰が得られました。
d0147406_16531267.jpg

そして、集落のもう1つの特徴が石垣。島で採れる石材でしょうが、青っぽい石で斜め積みしている。
d0147406_16531225.jpg


そこまで青くはありませんが、愛媛県佐田岬の集落を思わせます。
d0147406_17003471.jpg

町並みショットを何枚か見ていただきましょう。
d0147406_17003469.jpg

割と庭を確保できてる。付属屋は花卉をより分ける作業場のようです。
d0147406_17003565.jpg

石垣と板壁がイイね
d0147406_17003569.jpg

最後に裏山に上りました。目的はこの石を見るためです。世界的にも珍しい「黒雲母玄武岩」が露出する場所だそうです。ただの石じゃないか!
d0147406_17003668.jpg

周りは温室だらけ。花卉栽培の温室で中には色とりどりのお花畑だ。
d0147406_17003649.jpg

海岸線を埋め立てて、原油の貯留施設がありました。なぜ島に作ったんでしょう。
d0147406_17262729.jpg

小倉へ移動します。町歩き中は上がった雨も、また降ってきました。小倉では大雨。時間調整に入ったカフェは銀行の営業室そのままにパン屋カフェしてる。全くオサレとは言えないので、お客は皆高齢者。静かで広々としてイイです。私も高齢者だった。。。
d0147406_17262860.jpg

カフェを出ると雨が上がり日がさしてきた!こりゃ、毎度小倉に来てはスルーし続けてきた、遊里を取材せねば。
d0147406_17262847.jpg

JR沿い、小倉駅と柴川との間にあった旧旭町遊郭。今では空き地の目立つ泡国街です。足を踏み入れようとした時、反対の柴川にかかる木橋が気になった。対岸に出桁町家も見えます。
d0147406_08351937.jpg

で、そっちに誘われ川を渡ることに。小倉は戦災に遭っていますので、どうせ橋のたもとにしか残っちゃいないだろう。小倉駅へ戻る時に旧旭町をサクッと歩けばイイ。
d0147406_08351978.jpg

うむ?繋がっていそう。
d0147406_08351969.jpg

ここは、旧長崎街道の起点だとか。そうか、城下町の入り口。鉄道が敷かれて駅が離れてできて、駅と旧市街の間に商店街や遊郭ができたんだよきっと。
d0147406_08352045.jpg

この家は戦災を免れたのでしょうか。
d0147406_08352080.jpg

d0147406_08352046.jpg

d0147406_08352030.jpg

ここらは戦後と思われますが、イイ感じ。
d0147406_08352116.jpg

このへんが見所スポットかな。
d0147406_08352141.jpg

ホンダS660と町並み。
d0147406_08485588.jpg

旧街道は城の周りを行くので、現在の街割と関係なし。でも面影は残っていました。
d0147406_22583748.jpg

黒崎駅前にある安川電機の本社工場。その一角に、アントニーレーモンド設計の建物があります。私も保存計画に携わったものですが、竣工したというので見せてもらいました。
d0147406_22583785.jpg

中々良い出来ではないか!残してよかったと思っていただけるでしょう。
d0147406_23022351.jpg

担当した会社の同僚と博多駅前で打ち上げです。カンパーイ!




by marunouchi_no1 | 2016-02-27 14:23 | 山口県