カテゴリ:長崎県( 22 )

 

海界の村を歩く 東シナ海 度島+平戸島・生月島

d0147406_09275469.jpg
(長崎県 平戸市 度島)

d0147406_23065310.jpg
九州本土の佐世保へ戻った。レンタカーで北へ走り平戸大橋を渡って平戸島東海岸を南下する。フェリーでもあれば乗せたほうが楽だが、高速艇しかない。
d0147406_09082020.jpg
d0147406_09504011.jpg
平戸島東海岸にある川内集落。旧街道の宿場町のような町並みである。
d0147406_09082294.jpg
平戸島最奥にある宮ノ浦集落。この直ぐ先に高島という離島があるが、渡船をチャーターしないと行けないのでやめる。
d0147406_09082381.jpg
ところで、この宮ノ浦集落だが、家々が結構立派なのに驚いた。古くはなさそうだが、造りが豪華なのだ。この手の集落は他にもいくつか見たことがある。共通点は、現在漁業が盛んで働き手の若者が多くいるという漁港集落であること。
d0147406_09082564.jpg
宮ノ浦からやや戻ったところにある志々岐集落。ここは港町としての風情が残っていた。↑画像は「福鶴」をつくっている福田酒造。
d0147406_09125206.jpg
こんな旅館建築のような建物が並んでいる。
d0147406_09091190.jpg
唐破風の玄関が付いていた。
d0147406_09091374.jpg
平戸島西海岸中央部にある獅子集落。
d0147406_09091434.jpg
d0147406_09091666.jpg
大きな農漁村集落といったところで、石垣石塀+板壁が美しい。
d0147406_09131798.jpg
平戸島北西部にある春日集落。ここは、潜伏キリシタン関連遺産のひとつとして、世界遺産登録候補となっている。
解禁後の教会はないが、信仰が禁止されていた時代の共同体が残っていた集落だった。
d0147406_09131846.jpg
そして棚田が素晴らしい。平戸島はこのような美しい棚田が他にもたくさん見られた。
d0147406_09144474.jpg
平戸で一泊。夕食食べに街の鮨屋に入った。お酒は地元、志々岐の福鶴。
d0147406_09144533.jpg
名物ウチワエビを焼いてもらった。が、対して旨くはなかった。
d0147406_09144694.jpg
旅の最終日は、平戸港から北部にある度島へ渡る。平戸島の北部には、以前取材済みの的山大島(あづちおおしま)と今回渡る度島(たくしま)がある。
d0147406_09304054.jpg
度島
平戸島最北端から最短距離で2.3kmに横たわる島。荒崎から観音崎に至る北西海岸は、標高40~60mの海食崖が発達している。平戸島に臨む南側に3集落がある。小高い丘が起伏し、平坦に乏しい。周辺を海に囲まれ、海洋性の温暖な気候である。旧石器・弥生時代の遺跡が出土・古墳もある。天文23年(1554)にキリスト教が布教され、500人ともいわれるキリシタンの島になったが、慶長2年(1597)には平戸藩主の命で改宗を強いられた。今ではキリスト教徒はいない。農・漁業が主で、就業人口の48%を占めている。昔から伝わる盆行事「盆ごうれい」は、大名行列形式で島内の神社・仏寺を回って奉納する島を挙げての行事。県の文化財に指定されている。(「シマダス」参照)
d0147406_09144732.jpg
ひとつだけ高い山があるけど、全般に平坦な島だ。
d0147406_09144915.jpg
フェリーは、島の東部にある飯盛港と西部にある本村港の二ヶ所に着く。はじめに着いた飯盛港で降り、本村まで歩く計画。
d0147406_09152451.jpg
隣の的山大島にあった2つの集落は、いずれも港町としての造りだったが、度島飯盛集落は全然違っている。港近くには家がほとんどなく、丘の上に集落が形成されている。
d0147406_09152629.jpg
度島は農業も盛んなようで、飯盛は農村集落としてみた方がよかろう。
d0147406_09152755.jpg
島の子供達が描いた「イノシシ注意」の看板があちこちにあった。
d0147406_09152879.jpg
無人の野菜販売所。それこそイノシシにやられないのだろうか。早速、若い主婦の方が野菜を購入されていた(代金は右上の箱に入れる仕組み)。
d0147406_09153083.jpg
飯盛から本村まで徒歩30分くらい。本村集落に差し掛かったところ。なんだ、飯盛と変わらず農村か。
d0147406_09160783.jpg
ところが、港から眺めると、西側が漁村の程をなしていることが判明。
d0147406_09160857.jpg
ここにも自販の売り場があった。
d0147406_09160909.jpg
度島本村の町並み。
d0147406_09161013.jpg
武家屋敷だったようなお屋敷も残っている他、町並みも町家系であり、港町としての風情が感じられた。
d0147406_09161159.jpg
d0147406_09165839.jpg
漁業も盛んなのであろう。
d0147406_09165937.jpg
d0147406_09170136.jpg
背後の斜面にも集落は形成されている。
d0147406_09170262.jpg
平戸島に戻り、最後の探訪地である生月島へクルマを走らせる。生月島は1991年に完成した生月大橋で陸続きとなった。私も完成直後に行っている。
d0147406_09170375.jpg
d0147406_09181468.jpg
d0147406_09181613.jpg
この舘浦集落は、かなりの数の家が密集していて、栄えた面影を残している。橋がなかった時代は、宇久島小値賀島と同様、博多港発のフェリー太古も寄港していた。
d0147406_09181784.jpg
生月島舘浦野の町並み。メインの横道。
d0147406_09181973.jpg
北端のエリアに旧遊郭ではないかと感じる一角があった。
d0147406_09182055.jpg
中心部にある百貨店まるげん。^_^
d0147406_09195315.jpg
生月島舘浦のメインストリートの町並み
d0147406_09195724.jpg
生月島舘浦のメインストリートの町並み
d0147406_09195883.jpg
舘浦の町並みは、伝統的なスタイル民家がよく保たれており質が高い。
このお宅は昭和27年だそうなので、戦後の建物だ。などと、この家のお母さん話していたら盛り上がり、東京で息子さんが居酒屋をやっていることまで教えてもらった。
d0147406_09195926.jpg
東京に帰った翌日、会社帰りに行ってみた。代々木上原の駅近く、上原銀座の周辺住宅街のマンションにあるBAR「サウダージな東京」。
d0147406_09200099.jpg
隠れ家的なBARでマスターがお一人で切り盛りしてた。とても居心地が良い店である。「昨日、お母さんに紹介されてきました」と話したらビックリされていた。そこでまた、生月島の話で盛り上がった。旅が一日延びた感じがして得した。

by marunouchi_no1 | 2018-05-03 10:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 小値賀島

d0147406_13274222.jpg
(長崎県 小値賀町 町方郷)

大島→斑島→納島→野崎島と周りながら、この2日間、本体である小値賀島の集落もいくつか歩いたので、まとめて紹介しよう。
d0147406_13392869.jpg
小値賀島は実に海岸線がおとなしくない。しかも、五島列島・平戸諸島の島々は皆山がちだが、小値賀島だけ山がない。全体が平坦で、耕地が広がっている。つまり、このエリアでは貴重な土地であり、古くから人気のある島だった。
d0147406_22553404.jpg
小値賀島
佐世保から航路で90kmの西海上、五島列島の北部に位置する。小値賀諸島は総面積25.40㎢、大小17の島からなり、ほとんどの島が火山の噴火によってできた火山群島で、その美しい海岸線を含め、全島が西海国立公園の指定を受けている。小値賀島も大小20ほどの臼状火山(マホーデ)がある島で、もともと2つに分かれていたものが干潟で1つの島になった。遣唐使の寄港地だった歴史もあり、寛永年間(1624〜44)からは捕鯨で栄えた。アワビ海士漁の伝統もある。現在の基幹産業は水産業と農業で、一本釣・刺し網漁のほか、アワビ・サザエ・ウニ・ヒジキ・ワカメなどの根付資源にとくに恵まれ、特産品となっている。農業は畑作中心で、和牛飼育、キヌサヤエンドウ・メロン・スイカなどが特産品だ。(「シマダス」参照)
d0147406_13411390.jpg
島の西海岸にあたる前方郷というエリア。
d0147406_13415715.jpg
石塀が立派な大きな古民家があった。ここはレストラン藤松という飲食店で利用されている。旧藤松家は、捕鯨と酒造りで富を築いた旧家であり、建物は160年以上の歴史がある。レストランは完全予約制で新鮮な海の幸が味わえる。ただしランチのみ。
d0147406_13274580.jpg
オヤジが1人で入る店ではないので、外から拝見するのみ。石塀の石は面を揃えた切石積で、目地が白い漆喰で埋められていた。
d0147406_13274751.jpg
前方郷筒井浦集落を歩く。石塀は敷地外周を巡らすのではなく一部だけなのは、小値賀島共通。
d0147406_13275022.jpg
グレーな板壁が美しい。
d0147406_18391679.jpg
小値賀島はアメーバのように海岸線をしている。前方郷の北西に唐見崎という半島があって、集落がいい感じに見えるので向かった。
d0147406_13275302.jpg
半島の途中「牛に注意」のサイン。
d0147406_13434026.jpg
この程度のワイヤーだから、破ってしまう牛もいるということか。
d0147406_13434471.jpg
唐見崎集落の町並み。なるほど、遠景で見えたように、緩斜面が雛壇状に宅地化されていて、同じ規模の家が棟を等高線に揃えるように建っている。
d0147406_13434953.jpg
比較的新しい時代かな。でも擁壁が石垣製だから、それなりに時間は経っていそう。
d0147406_13435399.jpg
縦道のメインストリート。
d0147406_13435884.jpg
d0147406_13451125.jpg
規則正しいでしょ。
d0147406_13452274.jpg
上っていくと海が見える。
d0147406_13453396.jpg
島北部の柳郷。納島への渡船が出る港がある集落だ。
d0147406_13454906.jpg
石垣と上家の両方をぶち抜いた入口のある家。
d0147406_13484931.jpg
柳郷の町並み。
d0147406_13490233.jpg
柳郷の町並み。お寺の前の交差点に面した酒屋さん。
d0147406_13490815.jpg
柳郷の町並み。
d0147406_13243897.jpg
さて、小値賀島の中心集落である笛吹郷を最後に歩く。ここは2010年3月だから8年前に訪れている。その時、五島列島含めても一番いい町並みだと感じていた。
前回訪れた時は、まだ「民泊」なんて言葉は流通していなかったと思うが、その直後くらいから増え始め、小値賀町は民泊による観光で成功し先進地となった。隣の宇久島が佐世保市に合併され、上五島が全て上五島町になってしまった一方で、小値賀町はどことも合併せず、自力で頑張っている。そして、何よりも活気がある。合併してしまっていたら、大きな方の行政区に頼り切ってしまい、努力をしていなかったかもしれない。野崎島のガイドの方がおっしゃっていた。
d0147406_13244035.jpg
この古民家は、民泊宿の家。
d0147406_13244301.jpg
切石の石垣石塀であり、玄関を備えているなど、上層の家だったと思われる。
d0147406_13244625.jpg
町は段差の上下にまたがっているので、その段差部分に石垣石塀が多く見られ、見どころとなっている。
d0147406_13244912.jpg
でしょ!
d0147406_13254858.jpg
台地上の町並み。平入りの町家形式の古民家が並んでいる。いいところを今回は見つけたと喜んだものの、実は8年前も同じアングルの写真を撮っていた。
d0147406_13255180.jpg
ここが笛吹郷で一番好きなスポット。全然変わっていなかった。
d0147406_13255484.jpg
一番好きなスポットから石階段を上ったところ。木造三階建てがあったり、雰囲気から旧遊郭ではないかと勝手に想像した一角。
d0147406_13255766.jpg
笛吹本通りの町並み。カーブしながら町家がずらっと並んでいる景観は良い。
d0147406_13255974.jpg
本通りから東へ入る。
d0147406_13263618.jpg
d0147406_13263888.jpg
伝統的な造りの民家が純度高く残っているのは素晴らしい。
d0147406_13500228.jpg
今宵の宿は、港に面する小西旅館だが、夜は外食することになっている。ネットでググった名の知れた飲食店は皆予約でいっぱい。旅館の女将さんに紹介してもらったのが、画像の「食事処ふるさと」である。「遊郭かも知れない」と推察した町の真っ只中だった。
d0147406_13500683.jpg
地元客しか入らなそうな地味な店。客あしらいの愛想も良いとはいえない。しかしである。画像の定食さておいくらでしょう。なんとこの内容と量で1000円だ。しかも、惣菜、刺身、焼魚全てがメッチャ旨い。オススメの店である。

by marunouchi_no1 | 2018-05-01 22:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 野崎島

d0147406_06071779.jpg
(長崎県 小値賀町 野崎郷)

d0147406_06075473.jpg
野崎島は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」でもうすぐ世界遺産のひとつになろうとしている。しかし、今では無人島。人の住んでいる集落のない島は、対象外なので今まで敬遠して来たが、でも興味はある。一日かかるが行ってみようと思う。
d0147406_07134269.jpg
野崎島(のざきじま)
小値賀島の東約2.5kmにある島。全島自然林におおわれ、中でも300mを超える山々が連なる北部は原生林が残り、約700頭の野生のシカが生息している。チョウをはじめ、鳥、昆虫、植物の種類も豊富で注目されている。島内からは縄文〜中世にかけての遺跡が発見されている。平岳の頂上付近にある沖ノ神嶋神社は、上五島一円の信仰を集める霊地であり、巨石の大位石(おえいし)は解明されていないが一説にドルメンともいわれる。かくれキリシタンの島だった歴史もあり、野首天主堂がある。昭和30年には人口648人を数えていたが、以後挙家離村で急滅した。ワイルドパークは、キャンプ感覚で島の豊かな自然を満喫できる施設だ。(「シマダス」参照)
d0147406_07230100.jpg
(野崎島 野崎集落集跡)
d0147406_08373428.jpg
(野崎島 野首集落跡)
船は昨日乗った町営船「はまゆう」で、乗組員も一緒であった。その船内で、野崎島のガイド動画が流れた。野首天主堂のこと、沖ノ神嶋神社のこと、そして集落跡が野崎・野首・舟森と3つあること、しかも野崎集落は民家の遺構も残っている。これは、思ってた以上に期待できそうだ。
そんなこと前もって調べればわかることだが、面倒だからそれをしない。いつも行き当たりばったりになってしまう。
d0147406_06063462.jpg
船は六島を経由して野崎島の北を時計回りに航行し、島中央部東海岸の野崎港に到着した。途中、六島の集落を船上から撮影する予定だったのに乗降客がいないと見て近づこうともせずにパス。今や3人しかいないんだそうだ。野崎島の北端崖にてっぺんにある沖ノ神嶋神社と王位石が見えた。歩いたら野崎港から往復5時間の本格的な登山だそうで、行く時間も無いし行く気も無い。
d0147406_06063846.jpg
野崎港。おお、集落の風情残ってるじゃない。ガイドツアーを申し込んだので、まずはほかの観光客に混じって解説聞きながら歩いて、あとでジックリ取材しよう。
d0147406_08063045.jpg
野崎火山火口跡。ダイナミックな風景である。この辺りは木が生えていないが、昔は森だったそうだ。昭和60年代に台風で塩水を浴び、樹々が枯れてしまった。
d0147406_08063574.jpg
野崎から野首へは尾根を越える。そこから野首海岸が見えた。一人の釣り人が浜を独占している。
d0147406_08064239.jpg
そして、重要文化財であり、もうじき世界遺産になろうとしている野首天主堂が見えてきた。かつては周りに集落があったのだが、今や天主堂だけがポツンと建っている。
d0147406_08064985.jpg
手前の石垣は屋敷や畑だったところ。
d0147406_08065401.jpg
集落在りし日の写真。真ん中に天主堂があって、家屋が段々畑の中に点在していた。右下の建物は学校で、現在は、町営野崎島自然学塾村で宿泊施設としても利用されている。この小学校跡でガイドツアーは終了。
d0147406_08081041.jpg
ガイドさんのおススメで、集落跡を一望できる場所へ行ってみた。なるほど、ここは野首天主堂を紹介する写真で見たことがあるアングルだ。
d0147406_08081517.jpg
旧野首天主堂(旧野首教会)は、1908年に建てられた3代目のもので、設計施工は鉄川与助である。彼の作品としては初期のもの。
d0147406_08081848.jpg
小さいながら存在感がある。しかし、重要文化財として修復される前は荒廃していたという。
d0147406_08082293.jpg
イギリス積の煉瓦造に和製の瓦葺き。信徒たちがキビナゴ漁で稼ぎ、1日2食に制限して資金を貯めて建設した。今でいう3億くらいを、なんと現金払したそうだ。
d0147406_08082630.jpg
野首集落跡。キリスト教の禁教期に潜伏キリシタンが外海地方から渡り、江戸時代に作られていた耕地を利用して集落が形成した。解禁後、1882年に集落で初めての教会堂が建てられた(現在残る建物とは別の場所)。
d0147406_11312022.jpg
野崎集落へ戻ろう。しかし、ホント沢山のシカがあちこちにいる。
d0147406_11312383.jpg
野崎集落の上に広がる段々畑。
d0147406_11312643.jpg
野崎港。
d0147406_11312967.jpg
野崎は、沖ノ神嶋神社の神官を中心とする氏子たちが暮らした集落跡である。19世紀に外海地方(西彼杵半島の西海岸)より潜伏キリシタンが移住する前から形成されていた。そのために潜伏キリシタンは島の未開の地であった野首や舟森地区に集落を作り、野崎集落と一定の関係を保ちながら、自らの共同体を維持した。
d0147406_11313298.jpg
野崎集落のメインストリート。一番奥に神官の家がある。
d0147406_11324314.jpg
わずかに残る民家に遺構。
d0147406_11324760.jpg
石垣と井戸。
d0147406_11325039.jpg
沖ノ神嶋神社神官屋敷跡。19世紀に野崎島へと入植した神官は、神道信仰の指導者であるとともに、役人を兼ねるなど、実質的に嶋全体を統括していた。現存する建物は、最後の住人だった神官家が島を離れる際に、町が譲り受け、2016年に修復工事を行ったもの。
d0147406_11325260.jpg
遥拝所が付いている。悪天候で沖ノ神嶋神社へ行けない場合は、この遥拝所で拝んでいた。
d0147406_11325576.jpg
野崎集落跡の町並み。
d0147406_11343515.jpg
やはり建物が残っていないと町並み景観は想像できない。
d0147406_11343824.jpg
d0147406_11344128.jpg
石垣と板壁がいい。世界遺産になったら、いずれ修復されるのか。まさか古民家カフェなどできないだろうな。
d0147406_11344871.jpg
野崎島からの帰り便から、島南部にある舟森集落跡を眺める。潜伏キリシタンの3人が移り住み、開拓したそうであるが、よくもこのような厳しい立地を選んだものだ。段々畑とかつては教会もあった。

by marunouchi_no1 | 2018-05-01 06:04 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 納島

d0147406_20440735.jpg
(長崎県 小値賀町 納島郷)

d0147406_20444540.jpg
小値賀島周辺の離島、3つ目は納島(のうしま)。航空写真で見ると島全域に耕地が広がっている。
d0147406_20441273.jpg
納島(のうしま)
標高66.2mの火山島と22.9mの火山島が結合してできた島。小値賀島柳港の北東約1kmにある。「おさめじま」とも呼ばれる。来たから西にかけて広い平原と複雑な海岸線がある。島東部のヌケ遺跡からは旧石器〜縄文時代にかけての石器が出土している。南岸には、巨大アコウ樹の群落があり町の天然記念物に指定されている。北岸の田浦海岸は平家の落人の上陸地といわれ、その頭領の居宅があったところが上屋敷と呼ばれている。近くの海底からは元寇の時に元軍が使用していたとされる碇石が発見されている。またキリシタン史に著名なアンチリヤーブノシマやアウグスチノ太田の出身地でもある。農地がよく拓けていて、島で収穫・加工されたピーナッツは、町全体の特産品だ。(「シマダス」参照)
d0147406_20441900.jpg
柳港からの渡船は、1日5便と比較的多い方だが、内3便は日曜日運休。したがって、今日土曜日に計画を合わせた。柳港からたった7分で着いた。
d0147406_20463809.jpg
船着場から集落へ向かう途中にでっかいアコウ樹がある。「このー木なんの木気になる木♫」みたいな大樹。その樹の下を、船を降りた島の人達が、世間話をしながらゆっくり歩いていく。
ところで、島の人たちは待合室でも船の中でも、互いに会話を交わす。しょっちゅう顔合わせているのによく話題があるなといつも思う。コミュニケーション下手な人は、島暮らしは辛いだろうな。
d0147406_20464313.jpg
集落に入ったところ。茶色いゴロタ石垣が目に入る。
d0147406_20465023.jpg
この一部が盛り上がっているのは何だ?
d0147406_05122823.jpg
なるほど!お地蔵さんが並んでた。
d0147406_20465563.jpg
納島の古民家。石垣の上に建物が建っているのは珍しくはないが、このように階段が中に入ってから付いているのは、ちょっと新鮮。
d0147406_20473930.jpg
無住の廃屋も多し。
d0147406_20474217.jpg
集落は台地と低地の両方にまたがっている。その低いエリアを歩いていくと砂浜に出た。多島美が見られる素晴らしい景観の場所。
d0147406_20474786.jpg
振り返ったところ。道の下は川になっている。そして茶色いゴロタ石垣。
d0147406_20475065.jpg
d0147406_20475438.jpg
d0147406_20490245.jpg
敷地や農地を囲む石垣石塀。
d0147406_20490693.jpg
付属屋が半分石垣になっている。当たり前だが、庭側は建物内に入るために無い。
d0147406_20491152.jpg
d0147406_20491795.jpg
段差部の家並み。
d0147406_20492128.jpg
船着場から真っ直ぐ坂を上っていったところ。両側に古民家がある、良い町並みスポットがあった。この道の先はピーナッツ畑が拓けている。
d0147406_20501371.jpg
わずか53分でもゆっくり回れるほど小さな集落だった。

by marunouchi_no1 | 2018-04-29 21:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 斑島

d0147406_19273946.jpg
(長崎県 小値賀町 斑島郷)

d0147406_19282922.jpg
小値賀島の西にある斑島は斑大橋で陸続きである。「海界の村を歩く」シリーズは、有人島であること、陸続きでないことを決まりとしているが、いい集落だったので離島として載せちゃうことにする。
d0147406_19305928.jpg

斑島

小値賀島の北西にある島。昭和53年、橋長290mの斑大橋が完成、小値賀島と陸続きになった。島内の遺跡からは旧石器時代のナイフ型石器や、縄文時代早期のものとされる土器などが出土している。玉石鼻にある大小のポットホール(甌穴)は、日本一の規模で、昭和33年に国の天然記念物に指定されている。北風に怒濤が岩を噛むとき、岩の裂け目から奔流する荒波に玉石が回転し、さらに穴を削磨し、玉はますますみがかれるという。好漁場に面しており、島の中心となる斑港のすぐ目の前には、ブリの定置網がある。島の東部から西部にかけては、なだらかな丘陵が広がり、和牛の天然の放牧場となっている。島から眺める西海に沈む太陽は、美しく、雄大だ。(「シマダス」参照)

d0147406_19335348.jpg
斑島郷集落の近くにあるポットホール。溶岩系の岩が荒々しい海岸にある。
d0147406_19335885.jpg
覗き込んだら下の方にあった。写真だと手に取るように見えるが、実際は深い穴の下の方にあって暗くてよく見えなかった。デジカメで撮って明るさ調整したのが上の画像。自分が落っこちたら大変な場所だった。コワッ。
d0147406_19340323.jpg
港の岩場の天辺に恵比寿像が祀られていた。その岩の上から斑島郷集落を見る。
d0147406_19341036.jpg
メインストリートは二本あって、こちらは海寄りのもの。家屋は新しくもないが古くもなさそう。
d0147406_19444700.jpg
等高線に平行の道(横道)。各家の前庭が横道になってる。密集系漁村ではお馴染みの構成である。
d0147406_19445391.jpg
木と土壁の組み合わせが綺麗。
d0147406_19445999.jpg
切妻板壁の単純さがいい。
d0147406_19450540.jpg
d0147406_19451142.jpg
石垣でひな壇ができているのだが、その石垣がちょっとだけ上に伸ばされている。バイクや洗濯物も重要な点景だ。
d0147406_20134025.jpg
なんてことない風景だけど惹かれる。板壁の風合いだな。
d0147406_20134462.jpg
ひな壇の石垣が左右で分かれている。造った時期にどちらか後先があるんでしょう。
d0147406_20134890.jpg
斑島郷集落と海の向こうは小値賀島。切妻屋根と妻面の壁が折り重なる景観。
d0147406_20135147.jpg
斑大橋から斑島郷集落を眺める。漁業が盛んな様子がわかる。

by marunouchi_no1 | 2018-04-28 23:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 小値賀大島

d0147406_23172186.jpg
(長崎県 小値賀町 大島郷)

d0147406_20101701.jpg
2018年GW前夜の4/27 21:30。博多港フェリーターミナルで、23:45発五島列島行き「フェリー太古」の乗船待ちをしている。
d0147406_21464172.jpg
フェリー太古は、博多発五島列島行きの深夜便。博多を出ると玄界灘を航行し、平戸島と生月島の間を抜けて、最初に宇久島に立ち寄り、続いて小値賀島、中通島青方港、奈留島経由して、福江島が終着である。先月、青方から福江島まで乗ったばかりだが、今日は小値賀島まで乗る
d0147406_20233137.jpg
盛んにコンテナを積み込んでいる。フェリー太古は人ばかりでなく、島への物資も運んでいるのだ。
d0147406_21464503.jpg
(google map)
長崎島攻めも今回で何回めだろうか。両手が必要なほど行ったが、まだまだ終わらない。
今回は、小値賀島(おぢかじま)の周辺の離島と小値賀島の集落が目的だ。大島、斑島、納島、そして野崎島。後半は、佐世保経由で平戸島、生月島、度島の島里を歩く。
d0147406_20263602.jpg
フェリー太古は新しい船でとても綺麗である。
d0147406_20273024.jpg
2等グリーンの廊下。
d0147406_20273499.jpg
2等グリーン寝台。上下二段の4人一部屋で、私は左下段。
d0147406_22564295.jpg
小値賀島笛吹港の大島・野崎島・六島方面町営船「はまゆう」発着場から6:50発大島行きに乗る。
d0147406_05400195.jpg
(google map)
大島
小値賀島の南西約3kmにある島。島のいたるところに火山弾が見られ、特に大型のものが多数散在するので県の天然記念物に指定されている。島の南端には縄文時代の石器類が出土した水畑遺跡がある。大島に所属する宇々島は無人島だが、享保年間から、大島住民の中で最も貧困な2世帯をこの島に移住させ、2〜3年賦役を命じて立ち直らせる自力更生の制度があり、昭和40年代初めまで続けられていた。わが国離島民俗学研究の第一人者・宮本常一なども足跡を残し、今なお若い研究者たちが訪れる。耕地も多く、農業と漁業の島である。(「シマダス」参照)
d0147406_22564964.jpg
大島へはわずか7分。海は至って穏やかだった。
d0147406_22570195.jpg
板壁と瓦屋根の味わい深い古民家だ。この集落、なかなか良さそうな予感がする。
d0147406_22571262.jpg
「至小学校」の案内の道を上っていく。
d0147406_22572588.jpg
石垣・生垣・板壁・瓦屋根。切妻平入の家が並ぶ。
d0147406_23063972.jpg
あちこちに花が咲いている場所があって、目を楽しませてくれる。グレィッシュな板壁との対比が良いではないか。
d0147406_23065015.jpg
小値賀小学校大島分校。
d0147406_23070495.jpg
小学校の高台から集落を見下ろすことができた。海の向こうに見える島は無人島の赤島。
d0147406_23072260.jpg
切妻の桟瓦葺がほとんど。年季の入った甍並みと新緑がいい。
d0147406_23073738.jpg
石垣は、一見して溶岩が固まってできたとわかる玄武岩が使われている。小値賀島は六島を除いて皆火山性の地形である。画像は切石とゴロタ石の組み合わせ。
d0147406_05084351.jpg
ツツジが満開。海の先にあるのは小値賀島。
d0147406_05090729.jpg
ガジュマルだろうか→どうやらエノキらしい。
d0147406_05092360.jpg
d0147406_05093369.jpg
島は風が強いから、防風対策がなされる。高い生垣や付属屋で屋敷を囲っている。
d0147406_05094226.jpg
d0147406_05225535.jpg
大島は漁村であると共に農村でもある。各敷地で庭を持つため密集することなくゆったりとしている。
d0147406_05231035.jpg
港近くの屋敷は石垣が立派。傾斜地であること、防風が理由か。
d0147406_05232366.jpg
防波堤から集落を眺める。集落は割と平坦なので家々の姿は見えない。
d0147406_05233370.jpg
小値賀島笛吹港への船は8:50発。船着場に多くの人が集まって来た。7:07発の1便はガラガラだったので、2便で小値賀島へ出かける人が多いのだろう。
d0147406_05234384.jpg


by marunouchi_no1 | 2018-04-27 21:46 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 赤島

d0147406_20203036.jpg
(長崎県福江市赤島)
江島探訪を終えて乗った15:45発のフェリーみしまは、上五島友住港へ予定時刻に入港しました。徒歩で友住バス停→有川フェリーターミナルからタクシー→青方の民宿、とポンポンポンと移動し、18:00には風呂に入ることができた。
翌日は、前夜に予約しておいたタクシーで青方フェリーターミナルへ。早朝6:07発のフェリー太古丸に乗船、博多港から一夜を過ごしきた雑魚寝の間にスペースを見つけ、8:15下五島福江港に無事辿り着きました。
d0147406_20354136.jpg
うーむ、ここまでは実に順調です。
福江港(↑画像の「五島」)でレンタカーを借り三井楽町へ。三井楽の町を歩いて時間調整した後、貝津港からさぁ嵯峨島へ渡ろうというところなのですが、、、
貝津港の小さな待合所で、第2便11:30発の渡船を待っている。しかし、11:13に入港するはずの渡船がやってこない。ん?もう一度待合所に貼ってある時刻表を見てみると、
d0147406_07035547.jpg
「ただし小中学校休業時は2便のみ運休」
まてよ、今日は土曜日か。くっそー来ない訳だ。
これだけ島旅をしていて、数々の痛い目にもあっているというのに、こうやって、またやらかしてしまったのでした。
d0147406_22415599.jpg
恨めしや嵯峨島。まぁ、渡ったのに帰りの船が無いよりマシだと納得。
d0147406_23521946.jpg
嵯峨島に行けなかった代わりに、福江島西海岸の玉之浦町にある荒川温泉に行ってみよう。当てずっぽうだが、なんかあるかもしれない。
d0147406_23542250.jpg
ムムッ、いい町並みの予感。
d0147406_23570543.jpg
d0147406_23571737.jpg
荒川は江戸時代から始まった捕鯨の港として繁栄したそうです。
d0147406_00011313.jpg
d0147406_00011485.jpg
旧旅館が軒を連ねています。掘り出し物を発見だ!これで嵯峨島の失敗は帳消し。
d0147406_00020151.jpg
まだ時間があるので、富江の町を再訪。ところが見てなかった石垣石塀の町並みに驚いた。
d0147406_00035365.jpg
d0147406_00035402.jpg
これはやり過ごすわけにはいきません。急いで取材だ。
d0147406_00050980.jpg
d0147406_00051067.jpg
昨年歩いた黄島が溶岩の石垣石塀でたまげましたが、富江もそうだったんだ。つまり、富江スタイルだったんですね。
福江と富江の間に鬼岳という火山があり、その周りは溶岩質なので、このようになるわけです。
d0147406_00073568.jpg
福江に戻ってきました。さぁ、本題の赤島に行くぞ! 去年と同じ黄島行きの渡船に乗る。
d0147406_00302911.jpg
赤島集落の空中写真。岩がゴツゴツしたイメージが湧いてくる。
赤島
福江島の南方海上12kmに位置する、玄武岩質溶岩の比較的なだらかな小さな島。江戸時代の中期に泉州佐野浦(大阪府泉佐野市)の漁民が定着したといわれている。明治から大正にかけてはカツオ漁の基地として栄え、昭和35年には人口467人を数えていた。耕地が少なく、現在は周辺の天然の好漁場で3t未満の漁船漁業が営まれている。(「シマダス」参照)
d0147406_01021933.jpg
船着場は溶岩の海岸に造られている。周りには何にも無い。
d0147406_01025272.jpg
歩いて行くと、集落跡らしき姿が。
d0147406_01033647.jpg
d0147406_01033814.jpg
神社がある。赤島だけど黄島神社。
d0147406_01042034.jpg
d0147406_01042273.jpg
ここには人が住んでいるのだろうか?
d0147406_01054195.jpg
d0147406_01054347.jpg
黄島と同じです。切石の石塀とごろた石の野積みの石塀の両方が見られます。
d0147406_07130416.jpg
d0147406_07130690.jpg
建物のある屋敷は10軒もないかな。切妻板壁の平屋建物ばかり。
d0147406_07145773.jpg
d0147406_07145851.jpg
空き家が多いですが、住んでおられる家が数軒ありました。
d0147406_07172667.jpg
倉か何かが建っていたのか。右のアーチは際どい状況です。
d0147406_07190671.jpg
d0147406_07190899.jpg
福江の武家屋敷のように、こういう切石で築かれた石塀は古い屋敷なのでしょう。
d0147406_07212164.jpg
d0147406_07212256.jpg
集落前は浅瀬の船着場になっていて、集落の端の海岸に墓地があった。
d0147406_07231175.jpg
d0147406_07231316.jpg
d0147406_07231452.jpg

d0147406_07231531.jpg
海岸沿いを戻りながら観察。防風のため高く石塀が築かれている。島は平らで風を遮る山はない。最高の漁場中にあるとはいえ、よくもこのような厳しい環境に集落がつくられたものだと、改めて感心させられます。
d0147406_07283424.jpg
ゲートボール場でしょうか。ちょっとホッとしました。

by marunouchi_no1 | 2018-03-23 20:33 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 江島

d0147406_19544447.jpg
(長崎県崎戸町江島)
崎戸諸島の真ん中にある江島(えのしま)に今日1日を捧げます。平島からの船は、江島港に朝8:32に着いた。この船が佐世保を往復してまたこの島にやってくるのが15:45だから、これから7時間13分もこの島に滞在せねばならない。しかも、外者は私一人だけのようです。
d0147406_19382524.jpg
江島
佐世保港から海路47km、崎戸港から19.6kmに位置する、花崗岩や玄武岩などの火成岩からなる平坦な島。入江は多いが浅く波が荒い。半農半漁の島で、漁港の整備が進むとともに漁業の占めるウエイトが飛躍的に高まった。ほかの九州の島と同様、古くは捕鯨漁で賑わっていたこともある。現在はイセエビの産地として名高く、世の喧騒とは無縁の平和な島である。平家落人の伝説もあり、また起源は不明だが民俗芸能「浮立(ふりゅう)」も残る。蠣浦島と同じく北緯33度線上にあるロマンの香り漂う島だ。(「シマダス」参照)
d0147406_19391897.jpg
d0147406_19391973.jpg
↑画像のように、集落の規模は広く歩き甲斐がありそうです。集落は右下がフェリー乗り場。集落は東の浦と西の浦の両方にまたがっていて、間の尾根の天辺に小中学校があります。密集感はなくダラダラと広がっている状態かな。
d0147406_19405126.jpg
待合所があった。いゃ、あってよかった。
d0147406_19414452.jpg
江島の集落は思いっきりゆっくり歩いても3時間以内でしょう。つまり、この待合所で残り4時間を過ごすことになる。
d0147406_20044414.jpg
江島は鯨組の島の一つでした。ただ、名残は鯨の墓ぐらいしか残っていません(ここから歩いて大分遠くになります)。
d0147406_20044739.jpg
集落の 船着場に一番近いところ。入母屋屋根に古い瓦をのせた家がありました。
d0147406_20045086.jpg
一番多い古民家の形態は、入母屋屋根と四方下屋付き。このお宅は板壁でした。
d0147406_20060794.jpg
平島で見られたような、ごろた石の石垣石塀はあまり見られません。この家の高いコンクリート塀は見事なものですが、傍らに石塀も残っていましたので、かつては石積みだったのでしょう。
d0147406_20061103.jpg
海岸から一本の道を入ると3軒にアクセスするだけの階段二股に分かれてる。このように行き止まりが多い。
d0147406_20061441.jpg
港から尾根上の小中学校を経て西側の集落へ通じる道の一つ。大きな家が面していたから古くからのメインストリートでしょう。その途中からの眺めです。
d0147406_20061725.jpg
上記で説明したメインストリートの町並み。
d0147406_20062162.jpg
メインストリートから脇に入る。北側の斜面の等高線沿いに行く道。瓦がすぐ近くで見られて迫力がある。
d0147406_19381217.jpg
船着場の地図には商店や旅館が複数表示されていたけど、今ではこの商店が一軒だけかな。旅館はなく、民泊が最近一つできたみたい。
d0147406_19404930.jpg
東の浦に面する集落。入母屋の瓦屋根、なかなかいいでしょう。
d0147406_19414385.jpg
東と西の尾根の一番上に近いところにある郵便局。昨夜平島の新屋旅館で、泊まってた崎戸町の郵便局の局長さんと局員さんと飲んで盛り上がったんですが、平島には局があるけど、江島は委託(簡易局)だっておっしゃってました。こうして人が住んでいれば、郵便局のない島はない。日本郵政ってやっぱ大変だなぁ。
d0147406_19461923.jpg
d0147406_19462311.jpg
尾根を越えて、西の集落を歩きます。路地を入って行く。石塀が続く古い佇まいですが、無住になって久しい家々が多いのには心が痛みます。
d0147406_19484702.jpg
「江島番所跡」という碑が現れた。西側がメインか?と思ってしまいますが、確かに番所跡周辺には由緒ありげな屋敷がある。
d0147406_19502123.jpg
d0147406_19502420.jpg
この屋敷は番所跡の前にある。石塀といい庭といい立派です。
d0147406_19514001.jpg
d0147406_19514445.jpg
西側の集落全景。かつてはもっと家があったんでしょうね。鯨漁で栄えた証なのかな、大きな集落だと思います。
d0147406_19535747.jpg
やっぱ3時間でした。高瀬商店でお茶買って、平島の新屋旅館で作ってもらった弁当を待合所の外のベンチで食べてました。そうしたらカラスが弁当を狙いに来たので、ビビって待合所の中へ入った。
時間をもてあますので、別ルートで集落をもう一周し、高瀬商店行ったら閉まってました。


by marunouchi_no1 | 2018-03-23 20:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 平島

d0147406_13312138.jpg
(長崎県崎戸町平島)
崎戸諸島への船は、佐世保を13:30に出発して、蠣浦島(かきうらじま)崎戸港、江島(えのしま)、平島(ひらしま)を経て上五島の友住港で一泊(奇数日はさらに平島へ戻って一泊)、友住港から佐世保へは午前中の便となります。したがって、最短時間で江島と平島を歩くには、佐世保から行った場合、平島で下船し取材したあと平島に一泊し、翌日の朝江島に渡ります。そして最後は上五島友住へ抜けます。
d0147406_14214040.jpg
実は、去年のGWに平島に唯一ある新屋旅館を予約しようとして電話をしたところ、一度は受けていただけたものの「お仕事ですか?観光ですか?」の質問に「観光です」と答えたら対応が一変し、観光であれば上五島から往復してくださいと断られたのでした。3ヶ月も前だったからかなぁ。そこで今回リベンジ。1ヶ月前に電話して、やっぱり同じ事聞かれて今度は「仕事です」と答えあっさりクリアと相成りました。
d0147406_15103407.jpg
d0147406_15111921.jpg
この船にこれから3度乗ります。1回目は佐世保→平島を約2時間。
d0147406_15130798.jpg
春の嵐で3日間欠航していたそうです。今日は動いた、ラッキーだ。
d0147406_15153393.jpg
江島は一旦通り過ぎます。明日、平島から引き返して訪れる予定。
d0147406_15202276.jpg
16:28平島着。春の嵐も弱まってきたのか、さほど揺れませんでした。
d0147406_15233849.jpg
平島
佐世保港から蠣浦島・江島を経由して53.9km、北緯33度線の海上に位置し、わずか5.7km隔てて列島中通島有川町を臨む。崎戸4島のうち一番大きな島。江戸時代には他の島と同様、捕鯨の島として大いに栄えた。五島灘という好漁場と、天然の良港に恵まれ、漁場中心の生活が営まれている。島の一部は西海国立公園に指定されており、荒々しい海岸線と山肌に剥き出しになった巨岩は、島を訪れる人々を魅了する。(「シマダス参照」)
d0147406_15252203.jpg
おーっ!いきなりごろた石の石垣石塀か。こりゃ期待できそうです。
d0147406_15320362.jpg
d0147406_15325708.jpg
d0147406_15344413.jpg
見事なごろた石の石積だ。迫力がある。ところで、この切り欠いたような場所は何でしょう。
d0147406_15330414.jpg
なるほど、庭から直接船着場に下るための出入口だったんだ。
d0147406_16310171.jpg
番所跡。石畳みが敷かれている正面の家は古いそうです。
d0147406_16323464.jpg

d0147406_16323912.jpg
入母屋造の二階建民家が続きます。
d0147406_16333533.jpg
メインストリートが大きく曲がる正面にある古い家。
d0147406_16350363.jpg
d0147406_16350656.jpg
右側の建物はよろず屋でした。丁度このあたりから入江の対岸に渡る橋があった。対岸には小中学校と民家が数軒ありました。
d0147406_16372647.jpg
これは平島の昔の写真。入江が川に切り替わるあたり。対岸に学校が見えます。そして背後の山は天辺まで開墾されている。
d0147406_16400589.jpg
今では、島の産業は100%漁業だそうです。
d0147406_18051510.jpg
古い写真で段々畑になっているあたり。石垣や石段が美しい。
d0147406_18064627.jpg
d0147406_18065158.jpg
メインストリート(横道)から縦に入って行くと斜面の石垣が現れる。
d0147406_18080076.jpg
d0147406_18080344.jpg
こういう煙突久しぶりに見るなぁ
d0147406_19215741.jpg
d0147406_19220006.jpg
一周し終わりました。丹念に歩いても1時間かな。そんなに大きくない集落でした。丸いごろた石の石積み、海岸沿いだけでしたが、インパクトありますよね。
d0147406_19243995.jpg
さて、前回の予約のやりとりで、こ難しいかと恐れていました新屋旅館ですが、いえいえ非常に良い旅館でした。
d0147406_19272214.jpg
d0147406_19272581.jpg
夕食では、泊まっていた郵便局の方々と一緒に盛り上がりました。お一人の方は、船が3日間結構したため足止めを食っており、やっと明日帰れますとおっしゃっていた。島ってやはり大変だなぁ。

by marunouchi_no1 | 2018-03-22 20:23 | 長崎県  

戦災のない町を歩く 佐世保

d0147406_13484372.jpg
軍港のあった佐世保は、第二次世界大戦時の空襲を受けています。これから夜の佐世保の繁華街を歩くのですが、戦災地区を対象とした「復興の町を歩く」テーマでいこうとしたところ、そうではなく「戦災のない町を歩く」テーマにカテゴライズしなくてはならなくなりました。まずはその理由から説明しましょう。
d0147406_13250443.jpg
↑画像は「日本戦災都市概況図 佐世保市」の一部で、私はずっと繁華街の殆どが戦災地区だと思っていました。
d0147406_13270021.jpg
ところが赤い戦災エリアを地図に落とすと、何と繁華街(画像の赤斜線のない下京町・山県町・塩浜町)のかなりの部分が非戦災地区に属しているではありませんか。今まで完全に誤解していました。
d0147406_13295377.jpg
まずは、戸尾町の戸尾市場街から。地図の右中ほど、ちょうど戦災地区と非戦災地区の境目に当たります。
西海市場は、旧戸尾小学校の敷地だった高台の北西側の崖線下に建物が並び、歩道上に屋根を張っています。ちなみに、小学校のある高台は戦災を受けています。
d0147406_14121669.jpg
d0147406_14125193.jpg
食料品ばかりではなく、衣料品はじめ日用雑貨も売られていました。
d0147406_14270317.jpg
↑看板の手前から3番目「くじら中林」なんてのもある。かつて鯨漁が盛んだった地域の名残りを感じます。
d0147406_14294128.jpg
そして南東側の崖線下が面白い。看板とオーニングがあっても建物としての奥行きがない。どうなってんの?
d0147406_14065072.jpg
実は建物はなく、崖を横から掘削してその中を店で利用しているのです。通称「とんねる横丁」といって現在16の店が並んでおり、約20の横穴が掘られています。つまり、この崖には元々防空壕が掘られていて、焼け出され住居のない人々の一部が店舗(闇市)として↑図の黄色い防空壕を活用したのが始まりだそうで、↑図の茶色い穴は戦後新たに掘られたものだそうです。
d0147406_14543333.jpg
しかし、こんなにたくさん掘っちゃって大丈夫かなぁ。
d0147406_14572729.jpg
戸尾中央通り沿いの古民家。木造三階建てもある。
d0147406_14582095.jpg
d0147406_17474438.jpg
旧戸尾小学校の東側に残る戦禍を免れた町並み。
d0147406_15534183.jpg
d0147406_15535199.jpg
戸尾中央通りの奥のエリアは斜面地の住宅街。戦前と思われる民家が多く見られます。
d0147406_16131443.jpg
とてつもない急斜面を石階段が登っている。街の造りは長崎とよく似てますね。
d0147406_17472782.jpg
京町から松浦町まで続く大アーケード街「させぼ四ヶ町」の下京町の入口。
d0147406_17525657.jpg
川にはみ出す建物群。長崎の銅座川にもありました。
d0147406_17533774.jpg
d0147406_17533946.jpg
下京町の飲食店街に残る戦前建築。こうして、非戦災地区だという目でよく見ると残っているものです。
d0147406_17545191.jpg
スナック街だ。看板の向こうに色っぽい建物発見。
d0147406_17553224.jpg
色っぽい建物はスナックというより旧料亭かな。
d0147406_17560229.jpg
旧料亭らしき建物前にあったスナック集合建築。
d0147406_17573026.jpg
d0147406_17573371.jpg
d0147406_17573657.jpg
上京町のさせぼ四ヶ町商店街から枝のように伸びる二本の小アーケード。これも旧闇市系か。
d0147406_20550030.jpg
そしてここ、木造建築密集地帯がある。これこそ旧闇市系でしょ。
d0147406_20555154.jpg
d0147406_20555476.jpg
d0147406_20561945.jpg
昨日撮った夜の景から。
d0147406_20574924.jpg
d0147406_20575153.jpg
d0147406_20575417.jpg
木造密集地帯の内部にある小アーケード。スナックらの中に貴金属細工の店があった。ディープです。
d0147406_21000180.jpg
d0147406_21000372.jpg
でかい看板建築もある。戦前か戦後か判定不能。装飾のモザイクがオサレだ。
d0147406_05442178.jpg
京町から松浦鉄道の高架をくぐって西へ行くと、埋立地の塩浜町。このあたりにも戦前の建物が残ってた。
d0147406_21011899.jpg
上京町の木造密集地区から見て北西に崖線があって急な階段が登っている。丘を越えると松浦鉄道の佐世保中央駅の方へ下りていけます。その道から↑画像のような一角が見下ろせた。
d0147406_05480930.jpg
ここもアーケード街から枝のように伸びた路地を囲んだ長屋建築。この辺りから戦災地区に入ります。
d0147406_05520645.jpg
松浦鉄道佐世保中央駅前の町並み。
d0147406_05492591.jpg
させぼ四ヶ町アーケード街の上をクロスする松浦鉄道。ガード下に、もしや、、、
d0147406_05503445.jpg
予測的中、ありました。
d0147406_05510834.jpg
d0147406_05510921.jpg
夜の景はこんな感じ。
d0147406_05544930.jpg
アーケード街を松浦鉄道の北西側へくぐると、左手に親和銀行本店が現れます。建築家白井晟一の代表作の一つですね。↑の正面ファサードは有名ですが、、、
d0147406_05565662.jpg
どてっ腹がこんなになっていてビックリ!(話には聞いていましたが)駐車場にするために柱曲げてまで抉ってたんだぁ。

佐世保の中心市街地はまだ続きますが、ここからは戦災地区です。歩き疲れたので、終わります。


by marunouchi_no1 | 2018-03-21 13:30 | 長崎県