カテゴリ:沖縄県( 35 )

 

海界の村を歩く 東シナ海 久米島

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(久米島町儀間)
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那覇空港から久米島空港までわずか25分。久米島に近づいたら、久米島の東にのびる「はての浜」をサービス飛行してくれました。低空飛行で右旋回左旋回し、どっち側の窓からも見られるように。
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久米島では、上図の黄字の集落を歩きます。

那覇市の西約100kmにある島。森林が豊かで水に恵まれており、昔から溜め池や用水路が整備され、水稲栽培が盛んな頃から「米の島」と呼ばれていた。また、「随書」や「続日本後紀」などの文献にも記され、琉球王朝時代から中国貿易の中継地としての役割を果たしてきた要衝の島だった。近世には遠見番所・烽火台が置かれ、19世紀半ばには十数回にわたり外国船が寄港している。また、沖縄で最も美しい島ともいわれ、昭和58年には県立自然公園に指定されている。現在では、久米島空港と那覇・羽田空港が直行便で結ばれ、歴史・文化・自然の調和したリゾート地として注目されている。現在の主産業は農業で、サトウキビが栽培されている。漁業は明治37年の大噴火で移住してきた硫黄鳥島の人々によって始められ、鳥島漁港を中心に、沿岸漁業やクルマエビの養殖が営まれている。(「シマダス」参照)
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西銘集落の重文上江須家住宅から。ところが定休日で入れませんでした。残念。上層の家らしく、立派な切石積みの石塀で囲まれていました。
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久米島には、昨日一昨日と歩いた伊江島や渡嘉敷島とは違って、木造の民家が割と多く見られるようです。
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西銘集落。沖縄はとにかく水不足が頻繁に起きていた地域ですので、家々には給水塔が設置されていましたが、現在は石灰岩のポーラスな性質を利用した地中ダムが築かれていて、その心配も少なくなりました。
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西銘集落の北側近くにある仲地集落。
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傾斜地に木造寄棟民家が多く見られます。
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コンクリートブロックの付属屋。いい風合いを醸し出しています。
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仲地集落では、家々が集まったエリアから小さな谷を挟んだところに、比較的大きな屋敷が並んでいました。
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仲地集落の大きな屋敷。
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久米島の中心市街地である鳥島。ここは、沖縄県最北端にある「硫黄鳥島」(現在は無人島)から移住してきた人たちが作った漁村集落です。
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硫黄鳥島ってどこ?今まで知りませんでしたが、なんと鹿児島県徳之島の西方にあるんですね。かつて硫黄採掘で人が住んでいましたが、明治37年の火山の大爆発で久米島に全島民が移住して無人島となりました。ですので、行政区画は今でも久米島町になっています。
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鳥島地区は久米島町の中心地で、商店街があり鉄筋コンクリート2階建てが並んでいます。日除けのために堀の深いモダニズムな町並み。
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その中に木造平屋建ても混じってます。
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ドローンから見た町割り。規則正しい現代の住宅地のようです。
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目抜き通りから南北とも一本二本入ると、大きなピースのブロック塀の町並みとなります。珊瑚の砂にセメント混ぜて固めたブロック。これが風化してくると貝殻の骨材が現れてきて、とてもいい感じになります。
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鳥島地区から東へ行った儀間地区。ここにも港がありました。
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この集落もご覧のように平坦地に割と整然と区画されている。
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一軒一軒の屋敷地は、鳥島地区より大きいかな。一部にフクギの屋敷林が残っていました。

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セメント瓦の家もモノトーンでいい。
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木材は最初は茶色ですが、日光の紫外線によりグレーに変色します。それとセメント瓦がマッチするんです。
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分棟の家も見られました。古くは炊事場が主屋から分けられていたのでしょうか。
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日陰を作るために軒が深く、したがって外周に柱が巡ります。その柱に製材しない原木の丸太を使っている場合が多い。
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島の東部に橋を渡って行くことができる奥武島へ。画像はそのさらに西にあるオーハ島を奥武島から眺めたところ。
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そしてそのさらに東に砂洲が続いているのが「はての浜」です(ドローン空撮)。
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島の北東部にある宇根・真謝集落。
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宇根地区と真謝地区はつながっており、幅4-5街区の細長い集落を形成しています。
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一軒の佇まい。
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シーサーは門柱の上と屋根の上。
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この家、なんてことないように見えるでしょうが、これこそが伝統様式である沖縄の木造平屋建を鉄筋コンクリート造に置き換えたスタイルなのです。深い庇に外縁、軒先に丸柱の構成は全く一緒。丸柱が鉄管なのが面白い。
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仲里間切蔵元痕の石塀。なかなか見ごたえありです。
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メインストレートに面する大きな住宅(棟の長さが長い)。シンメトリーの柱割りで、しかも中央に二本寄り添ってるのがインパクトあり。
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フールという豚舎。糞尿の処理を豚がするということで、外便所の隣にある。
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(ミーフガー)
久米島は沖縄本島から渡る島としては最もメジャーな離島でしょう。観光客も多いですが、それほど観光化されたイメージはなく、また自然景観が素晴らしい場所が多く、いい島でした。
来月はいよいよ多良間島が待っています。今回のような穏やかな好天を期待して、旅を終えます。

by marunouchi_no1 | 2019-01-14 20:00 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 伊江島

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(伊江村伊江島 ドローン空撮)
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本部港10:00発のフェリーに乗ります。伊江島はいい集落情報もないので、今までスルーしてきましたが、ここまで沖縄の離島を巡っていると、行かざるを得ません。
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この平べったい島は、水納島(みんなじま)という有人島です。今回いけませんでしたが、次回にとっておきましょう。
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伊江島が近くの見えてきた。
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沖縄本島北部、本部半島の北西約9kmにある。中央部がくびれたほぼ楕円形状で東西8.4km、南北3kmの1島1村の島。島の北海岸は断崖絶壁が連なり、南海岸はほとんど砂浜で島の中央から南海岸にかけて緩やかに傾斜している。北海岸からは旧石器時代のものとされる鹿の化石が出土、また縄文後期から弥生中期にかけての遺物が発見された具志原貝塚は、本土との交流を示す貴重な遺跡として国の史跡に指定されている。島のやや東寄りに標高172mの城山(伊江島タッチュー)がそびえ立ち、山の東西に広がる台地に1.244haの耕地が拓けている。第二次世界大戦の激戦地のひとつで、住民・軍人合わせて3,500人が犠牲となった歴史がある。戦後、島の64%が米軍の軍用地で占められていた。現在でも島の西部は演習場に使用され、立ち入り禁止となっている。島の基幹産業は農業で、キクの切花・葉タバコは県内でも有数の産地として知られている。島の周囲には美しいサンゴ礁がありダイビングでも有名だ。(「シマダス」参照)
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伊江島には滑走路が4つもあります。1つは画像の空港。あと3つはこの滑走路の西側に平行に並んでいます。米軍のものとか。したがって、ドローンはこの青い円の東側でなければ飛ばせません。
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↑画像の場所は青い円から外れた場所。伊江島の漁港です。そこでドローンしました。城山(グスクヤマ)の裾野に広がる集落の感じがよく撮れました。
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空撮終えて腹ごしらえ。中心市街地にある「すずらん食堂」で、ソーキそば小を頼みました。おい!これ小ですか?
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この交差点付近が中心部かな?役場の前だし、商店が並んでいます。
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その交差点から城山に向かって歩いてく。鉄筋コンクリート造の平屋建てが現れた。
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そのお向かいにブロック壁木造小屋組セメント瓦葺の家が現れた(長すぎ)。
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ここにもありますよ。赤瓦に見飽きた私としては、この形態に魅かれます。
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海に向かう道。アイストップに青い海、ブロック塀が続く。
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振り返って城山方面を見る。これが伊江集落の特徴かな。他に特徴はこれといって無し。
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民家と城山の組み合わせ。これ、夏に行ったトカラ列島の小宝島みたい。
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城山の中腹にある駐車場まで登った!
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集落をバッチリ見下ろせます。城山の山頂まで登らんでも、まぁこれでいいでしょ。
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なんだ!直接降りられる道があるじゃ無い。登りはわざわざ東から迂回してしもうた。
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伊江島公益質屋跡。なんで質屋の跡なんぞ残しているかと思いきや、戦跡だったんですね。伊江島は第二次世界大戦沖縄戦線の激戦地の1つでした。その遺構です。なんでこんなにも質屋を破壊したんでしょうか。
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うってかわって癒される花々。
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住宅街を下っていったら商店街に出た。沖縄らしい鉄筋コンクリート造の商店が並ぶ。
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そして、港へ下る道にわずかながらの商店街があった。ウーム、ここが伊江島の町並みのメインディッシュなるか。50m足らずって感じだけど、いいじゃないですか!
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で、これ何?
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さらに港方面へ下っていく。二階に赤瓦ののった建物。まぁ商業系でしょう。こういうのは珍しいですよ。
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なかなか素晴らしい!
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オットォ、伊江島にファミマがあるんだ!びっくりです。Googleマップ調べたら近くにもう一ヶ所ファミマがありました。
やっぱり伊江島はメジャーですね。
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那覇に戻って、本島北部ヤンバル料理の店で夕食。伊江島結構歩いてくたびれましたぁ。(画像は今帰仁城跡)

by marunouchi_no1 | 2019-01-13 19:30 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 瀬底島


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(本部町瀬底島)
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晴れました。今日は本島北部の伊江島に渡ります。美ら海水族館から真正面に見える島と言えば、わかりやすいかな。本島周辺の島では一番メジャーかもしれません。
ですが、その前に瀬底島の瀬底集落に立ち寄ります。橋が渡っているので離島扱いじゃないのですが、せっかくなので取り上げます。
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本部半島から海上600mにあるひょうたん型の島。おおむね台形で、琉球石灰岩を基底とする低平な島の中央部に集落がある。島内各地で縄文時代の貝塚跡が見つかり、御嶽からは陶磁器片も出土している。1736年に沖縄本島の人々を移し、瀬底・石嘉波の2村を置いたのが開拓のはじまりだ。サトウキビ農業とモズク養殖の島だったが、昭和60年2月に長さ762mの瀬底大橋が開通し、花き栽培に取り組む若者も増えつつある。瀬底ビーチもあり海洋博会場にも近く、本部町の2大観光スポットになっている。(「シマダス」参照)
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まずは瀬底ビーチから。曇ってるから海の青さが今ひとつ。向こうに見えるトンガリ山のある島が伊江島。ドローン撮影もバッチリできました。
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瀬底土帝君(せそことていくん)という文化財。「土帝君とは中国の土地神のことで、1712年に上間家の二世健堅親雲上(キンキンペーチン)が清国から木像を持ち帰り、祀ったのが始まりと伝えられています。」というもの。沖縄の土帝君では最大だそうな。一応取材。
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さぁ集落集落。島の中心の高い場所に集落は形成されています。さっそく石塀が現れた。入り口にちゃんとシーサーが置いてある。
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セメント瓦葺の棟のみ漆喰固め。
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ヒンプンのある家。この島では、ヒンプンは石積みではなく、石板を3ー4枚立てた形態が多いようです。
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石塀と木造民家のある家。分棟の佇まいがいいです。
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生活感ある。
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生活感のある家の前、切石塀が向かい合う道。
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セメント瓦にシーサー載せてる家はないけど、赤瓦葺いてる家は、ちゃんとシーサーも載せてるんだぁ。
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花ブロックな商店。これぞ沖縄でしょ。
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フクギ林と赤瓦。
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木造寄棟の民家が並ぶ。後ろは立派なフクギ並木。
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これが後ろ側です。
さぁ伊江島にわたろうか。

by marunouchi_no1 | 2019-01-13 19:00 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 渡嘉敷島

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(渡嘉敷島 阿波連ビーチ)
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1年ぶりの沖縄に来ています。今回のテーマは「海界の村を歩く 渡嘉敷島・伊江島・久米島」本島の周辺の東シナ海に浮かぶ、まだ行ったことのない島々です。
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昨日から雨が降っていましたが、今日は晴れ間が見えてきました。だんだん回復の見込みなので、2便のフェリーでゆっくり渡嘉敷島へ渡ることにします。
県庁前の喫茶万丸でモーニング。やっぱ沖縄はあったかいです。ジャケット持って出たけど、いりませんね。ホテルに置きに戻ろうか。
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泊港まで58号線を歩きます。松山あたりで雨がパラパラ。不安定なお天気だ。
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海に出ると風が強い。こりゃドローンは無理かなぁ。
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那覇泊港10:00発のフェリーで1時間強で渡嘉敷島に到着しました。バイクを借りて、まず南の阿波連集落から歩きます。

渡嘉敷島
那覇の西海上30km、慶良間諸島の東端にある島。島内からは先史時代の遺跡が発見されている。古くから聖地・御嶽の多い島として知られていた。17世紀半ばには中国と沖縄本島を行き来する船の監視のために、座間味島・渡名喜島・久米島などと並び烽火台が設置された。また、慶良間の他の島々と同じく優秀な船乗りを輩出してきた島でもある。第二次世界大戦末期には激しい空襲と艦砲射撃を受け、米軍上陸後、約半数の住民が集団自決した。現在、島にはビロウやモクマオウが生い茂り、白い砂浜が広がるなど南国の自然が美しい。海洋専門家の調査では水深50-60mに及ぶ海の透明度は世界屈指と称賛され、国内有数のダイビングポイントともなっている。春先にはザトウクジラが島の周囲を回遊し、ホエールウォッチングで賑わいを見せる。周辺海域は沖縄県でも有数の好漁場で、小規模ながら一本釣り・はえ縄漁などが営まれている。(「シマダス」参照)
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阿波連集落とビーチ。世界でも屈指の透明度を誇るそうです。曇ってるのでチト残念。
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渡嘉敷集落の方からやってくる通り。赤瓦ですが新しい建物。とにかく戦災にあっていますから、古い家はありません。
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塀に絵が描いてあるところが多いです。この感じ、いいでしょう。
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阿波連小学校。塀に子供達の描いた絵かな。
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集落からチラ見する阿波連ビーチ。
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集落の宅地割りは、いわゆる沖縄らしい碁盤の目。民家も沖縄ではお馴染みの鉄筋コンクリート造平屋建てです。
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鬱蒼と茂った屋敷林。
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渡嘉敷島は猫が多い。
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阿波連集落の家々は、かなりの数が民宿とか飲食店だったりする。ここも入ってみたい飲食店だった(営業時間外)。
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これも沖縄でよくある家。鉄筋コンクリート造の陸屋根で、柱が伸びてるタイプ。将来の増築対応でしょう。
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石敢当は交差点の魔除け。右奥にやっと石塀が現れた。
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阿波連では数少ない石塀。隆起珊瑚礁の島じゃないから石があまり採れないのかなぁ。
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集落の最も海から離れた所にいい町並みがありました。棟の長さが短い沖縄らしい寄棟屋根の家。
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そして、そのならびに赤瓦葺き石壁の建物があった。付属屋のようでした。
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石垣石塀のお屋敷。建物は古くはないけど、塀はそれなりに古そうだ。
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入り口だけ切石、そしてヒンプンも残ってる。
阿波連集落は、ビーチとの組み合わせが素晴らしいものの、町並みとしては今ひとつでしょうか。
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戻って渡嘉敷集落へ。今日は成人式だそうで、役場前の公民館に村の人たちが集まっていました。成人って何人だろう、、、
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昔のミニだ。錆びてるところが島っぽくいい感じです。
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塀に大きな魚の絵。渡嘉敷集落も随所の塀に絵が描かれています。
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古民家発見!
おぉ!地盤面より埋まってる。これ、渡名喜島の集落でも見ました。道路より、屋敷地の地盤が低いんですよね。理由は下記参照。
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このコンクリート塀で囲まれ、コーナーが円形(クルマが曲がりやすいように)になっている家も、沖縄ならではです。今の私には赤瓦より響く!
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門柱の上に据えられた焼き物の魔除け。
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貝殻混じりの砂利を固めたブロック塀。実はこの塀が私は最も好きなのです!これ、戦後だと思うけど、石塀に負けず劣らずのいい感じなんですねぇ。
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伊江村民?
戦時中に伊江村の人たちが渡嘉敷島に収容されたそうです。伊江村は明日行きます。
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渡嘉敷集落を奥へ奥へと歩きます。村役場を過ぎたら、集落が古くなってきたぞ!石塀や瓦屋根が発生。
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ヤギが登場。建物が除去された屋敷地の原っぱに、二頭のヤギが。
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そして、石塀現る。コレの割合でDataBase の星の数が変わるんだなぁ。
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とはいえ、ブロック塀もいい!ブロック塀だけだと無機的なんだけど、窓に木がはまっていたり、屋根が錆びまくった折板だったりするのがいいんですねぇ。
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そしてやっと、殿内クラスの屋敷が現れました。高い切石塀のお屋敷!
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根元家の石垣(村指定有形文化財)だけあって、素晴らしいです。
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当家は、琉球王朝時代にこの島の男たちが水主(唐や薩摩へ行く船の乗組員)として唐船(進貢船・接船)や(薩摩へ行く御用船)で活躍した頃に繁栄したと伝えられている。」(渡嘉敷村HPより)
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そして、その根元家の正面の道は渡嘉敷神社への参道。古い集落の主軸の通りのようです。
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渡嘉敷神社。
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夕方近くになって風が和らいだ。よーしドローンあげちゃろ!ということで、再び阿波連へ。ギリギリの風速でしたが、なんとか帰還できてよかった。渡嘉敷集落も、海と川沿い上空から撮影できてよかった。しかし、画像見て思うけど、沖縄っぽくないなぁ。

by marunouchi_no1 | 2019-01-12 08:36 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 西表島

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(西表島イダの浜)
八重山の島里を巡る旅。最後は西表島です。石垣から高速船で40分。大原港行きは環礁の中を走るので、昨日の鳩間島のようには揺れません。
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西表島も23年ぶり。前はサクッと回って、目ぼしい集落は無しとして、浦内川ツアーとか自然鑑賞でした。今回は、ないと思ってた集落を発掘するぞ!
西表島

石垣島の西30kmにある。県内では沖縄本島に次ぐ大きさで、標高470mの古見岳をはじめ、亜熱帯原生林に覆われた300~400mの山々が連なっている。数10kmに及ぶ河川も多く、下流域ではマングローブ林が広がっている。西表島を評する言葉は数多い。東洋のアマゾン、南海の秘境など。イリオモテヤマネコやセマルハコガメ、サキシマスオウノキなど天然記念物や希少生物の宝庫である。かつては開拓入植を頑固に拒み続けた亜熱帯ジャングルの島だったが、近年は竹富町の一大農業地域、一大観光地域に成長した。(「シマダス」参照)

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石垣港旅客船ターミナルの貼り紙。西表に外から猫を持ち込んじゃダメ!と言わんばかり。
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遅い朝日が昇る。古見浦の干潟が幻想的だ。マングローブの根っこの形が面白い。
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西表島は原生林の島。外周道路が一本で(1/3周は道路無し)古い集落として、西海岸の祖納(そない)くらいしか挙げられていません。
東海岸の古見という集落も、それなりに古いそうですが、どうかな。
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フクギの挟まった石塀の屋敷があった。家の特徴は沖縄らしい形だけど、屋根が面白い。
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トタン葺で棟だけ赤瓦がのっている!こういうの石垣島や鳩間島でも見ましたが、なかなかカッコいいなぁ。ハイブリッドな感じでとても新鮮です。
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この屋根もそう。棟瓦の漆喰が新しいから、トタンと同化して綺麗だ。
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粋な現代建築の住宅がありました。美しいプロポーションです。部屋からは古見浦が一望できるのでしょう。
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後良川の河口。マングローブで埋め尽くされている。
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浦内川の河口。以前、ここから船に乗って川を遡りました。懐かしいなぁ。
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西海岸の祖納浦。ほんと綺麗な海だ。
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古い集落なしと言われている西表島ですが、ここには指定文化財の古民家があります。ということは、あるぞきっと。
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うーむ、あるある。
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2匹のシーサー。ちょっとやりすぎ感あり。
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港に石垣が高く積まれた場所があって、石階段がある。物見台か番所かなんかがあったのかな。そんなイメージ。
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ナンジャ?金星文庫?
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物見台のような石垣大階段を見た。軸が通ってますな。
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物見台の脇を歩いて行く。
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すると、サンゴ礁の石垣の向こうに草屋根が現れた!県指定文化財 新盛家住宅です。
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沖縄県内最古ですって!現存最古の古民家が西表島にあったとは知らなかった。
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上層の民家は赤瓦ですから、沖縄で草屋根はほんと珍しいですよ。
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出ましたトタン+棟のみ赤瓦。というより、トタンが錆びて赤瓦みたいになってる。
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石造りの六角井戸がありました。やっぱ古い集落なんだ。
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石畳の古道まである。
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サンゴ石がサンゴ礁そのもの、素朴ですね。
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この赤瓦の民家は公開されていました。入るとお爺さんの解説に捕まりそうだったので、逃げてきた。。。
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結構石垣石塀が見られます。祖納(そない)星3つはかたいいい集落でした!
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さぁ、いよいよ西表島最奥の集落へ。船浮集落は船でしか行くことができません。離島にあるので表現が難しいですが、文字通り陸の孤島です。西表島外周道路の終点、白浜港から渡船に乗ります。
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もっとチンケかと思ってましたが、割と立派な船でした。
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時間はわずか10分ですが、高速艇なので湾を一跨ぎ。画像は船浮集落。
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船浮港から湾の入り口に鎮座する外離島を眺める。この島、かつては炭鉱があって賑わったんだそうです。西表島に炭鉱とは意外でしょ。
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船浮集落の町並み。
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伝統的な家屋あるいは屋敷構えはほぼない感じ。
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ハーバー。
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沖縄の集落に必ずある広場空間。祭事に使うのでしょう。
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船浮集落の町並み。
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こんなところに研究所?なんとここが、西表島捕獲の地なんです!
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船浮御嶽。
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集落端部の民家
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船浮小中学校。デッカくてびっくり!鳩間島と変わりません。
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ここにも石造りの六角井戸がありました。歴史はあるのでしょう。
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集落から500m離れた、半島の反対側にあるイダの浜を目指します。途中に水場がありました。ここだけヒンヤリしていて不思議。
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イダの浜です。徒歩でしか行けない浜。綺麗でした!
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大原港への帰りに土砂降りの雨。水牛で渡る由布島は取りやめました。ちょっと残しておくのも大事なことです!(海界の村を歩く 最後の八重山紀行 おわり)
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by marunouchi_no1 | 2017-12-24 17:45 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 鳩間島・竹富島

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(鳩間港)

さて、今回の旅の目的である鳩間島に渡りましょう。

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鳩間島

西表島の北5km、竹富町の最北に位置する島で、「ばとぅま」と発音する。人口は昭和24年に650人のピークに達したが、その後激減している。歴史書に現れるのは18世紀初めで、西表島古見と黒島から約150人を移住させて島建てしたといわれている。明治末期から大正期にかけて発動機船によるカツオ漁が盛んだった。現在では海人草とツノマタ、シャコガイの養殖が営まれている。(「シマダス」参照)

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石垣港からは、安栄観光(八重山観光フェリー)と石垣島ドリーム観光の2つの船が運行しています。私はマリンスポーツは一切しないので、島の滞在時間が手頃な石垣島ドリームの船で渡ります。
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石垣港から高速艇で55分。波が高く結構揺れました。
「おーりたぼーり」とは八重山の方言で「いらっしゃい」、石垣市街の美崎町ゲートに書かれた「おーりとーり」と同じです。
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海の向こうに見えるは西表島。沖縄県で本島に次ぐ大きさだけあって、ドーンと横たわっています。
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集落を巡りましょう。海岸線に近い横道から行ってみよう!
画像の家はトタン屋根葺き。形態は古そうなので、屋根替えだけしたのかな?
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赤瓦の立派な屋敷が現れた。とはいえ、こういう建物は全て民宿です。
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ドラマ「瑠璃の島」で一躍有名になった鳩間島。その後観光客がドンと増えて、民宿が増えた模様。
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ここも民宿。
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鳩間島簡易郵便局
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鳩間島コミュニティセンター
この辺りに島民利用の施設が集まっているのかな。
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集落内を歩き回ります。沖縄の集落の共通要素ですが、規則正しく町割りがされている。
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こんなモダンな家もある。日本の伝統と米国系モダン(戦後)が入り乱れるのが、現在の沖縄県内集落の特徴。同じ琉球出身の奄美大島とは全然違う。
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フクギの屋敷林。見事です!
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礎石がサンゴ石。トタン葺きだけど古そうです。ちなみに、一般に赤瓦が古いわけではありません。殿内と呼ばれるような上層の民家は元々瓦屋根ですが、普通の住宅は古くは草葺でした。その後、早い時期であれば赤瓦、時代が下ればセメント瓦やトタンに葺き替えられました。
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ここ鳩間島でも見られたコンクリート製のタンク。屋根集めた雨水を貯めて利用するため。
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鳩間小中学校。校庭で写真撮ってたら「授業中ですよ!」って怒られちゃった。
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下り井戸。集落の地盤レベルから下がった位置に掘り込んだ形で井戸場が形成されています。
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御嶽(うたき)、神の宿る場所。観光客は入ってはならぬ。っていうか、拝殿まではいいと思いますが、そこを越えて入っちゃう観光客がいるんでしょうね。
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島の最高所!だと思う。灯台と一緒に物見台がありました。
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鳩間島灯台。
船の時刻が迫ってるから、急いで下りる。鳩間島は、八重山の中ではあまり産業のない最も田舎な島でした。だから、ドラマのロケ地になって盛り上がったわけですが、これからも頑張ってほしい。
この時期の鳩間航路は、波が高く欠航することもありとか。だから空いているんでしょうけど、渡れてラッキーでした。

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一旦石垣島に戻ります。ランチは、大川界隈の飲食店街にある「コーナーズグリル」で、石垣牛のハンバーガーをいただく。うまい!


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午後は竹富島へ。23年ぶり再訪です。

竹富島

石垣島の南西6km、石垣港からわずか10分で着く島で、地元では「タキドゥン」と発音される。島全域が西表国立公園に指定され、海中公園も2カ所指定されている。1771年に八重山諸島の多くの島々に甚大な被害を与えた、「明和の大津波」の時は、島を取り囲む大きなサンゴ礁に守られ、全く被害を受けなかったという。古くは八重山諸島全体を統括する行政府の置かれていた島でもある。現在でも、赤瓦の屋根、シーサー、サンゴ石を見事に積んだ石垣石塀、白砂の街路など、最も沖縄らしい島と言われ、集落は重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。(「シマダス」参照)

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港から島の内陸にある集落へ向かう。こんな牧場があったかなぁ。
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集落が始まる。東集落から。
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東集落の旧与那国家住宅。分棟型はじめ屋敷構えをよく残しています。
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裏にあったのは豚の飼育所かな。
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仲筋集落の入口にある「水道記念碑」
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仲筋集落
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仲筋集落
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仲筋集落。このような石蔵が石塀と連続して建つのも沖縄の集落の特徴です。
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赤瓦屋根。白い漆喰はすぐ真っ黒になる。
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西集落
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西集落
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「なごみの塔」
23年前は登った!メチャ怖かった。見るからに華奢なので現在は登れません。登録文化財として保護されていました。
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なごみの塔の下から眺めた西集落。
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↑こっちは23年前の画像。なんだか家が減ったり増えたりしてる、、、
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集落のゲートとなっている物見所。
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そこに立つと海が見えます。奥の島は石垣島。

by marunouchi_no1 | 2017-12-23 17:13 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 石垣島

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八重山諸島に残している鳩間島を訪ねにやってきました。最初の八重山が1994年で竹富島・石垣島・西表島、2回目が2012年で波照間島・与那国島、3回目が2015年で小浜島・黒島、そして今回4回目になります。
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まずは石垣島を23年ぶりに一周します。
石垣島
那覇から411km、日本列島・琉球弧の南端にある島。沖縄県の最高峰・於茂登岳(526m)の南側に平野が広がり、北部には20kmわたる半島が連なっている。年平均気温24.2℃、
市街地周辺には、伝統的な景観を形作る建物も多数ある。エメラルドグリーンの海、コバルトブルーの空に温暖な気候、これらの恵まれた自然風土と格調高い伝統文化を誇る日本最南端の自然文化都市でもある。(「シマダス」参照)
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1994年の時は、旧空港から時計回りに海岸線を一周しましたが、今回は内陸部の集落から。
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石垣島の内陸部はまるで北海道と見間違うような風景です。つまり近代農業で開発された農村。トウモロコシ畑とサトウキビ畑の違いかな。その真っ只中に川原集落があります。古くからの集落だそうです。
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コンクリート平家建て住宅の屋根の上に細い柱がズクズク立っている。増築用でしょうか。
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日産テラノが停まってた。こういうクルマがバッチリハマる風景だ!
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石垣島といえばお馴染み、川平湾。2013年に川平集落を歩いた時は土砂降りで難儀しました。今日は晴れてる。
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やっぱり沖縄の集落は晴れてないといけませんね。
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沖縄の集落歩くと良くこのようなものを見かけます。
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これ実は、高架水槽置場。現在は海水から飲み水を作っているので水不足の心配はありませんが、各家には高架水槽が常備されていました。画像は川平集落ではありませんが、時折水槽がまだ残っている集落もあります。
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石垣島最北端の平久保岬。
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平久保岬から宮古島との中間にある、隣の多良間島が見えるかと期待しましたが、流石に見えなかった。山の無い島だから無理もないですね。来月行く予定です。
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ほぼ一周して、石垣市街に入りました。「石垣四箇(しか)」と呼ばれる旧市街を歩きます。
琉球国時代、本島の首里に次ぐ都市だったエリア。登野城、大川、石垣、新川の4つの集落の総称です。
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新川(あらかわ)地区。なるほど、赤瓦の民家がありますね。
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旧市街ながら閑静な住宅地という感じ。どこかに赤瓦屋根が見えているくらい、中心市街地の真ん中なのによく残っています。
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手前の敷地にもあったのかな?
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石垣氏庭園
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フクギの屋敷林
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大川地区
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宮良殿内(みやらどんち)という上層役人の住宅です。
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中心部の繁華街を歩きます。画像は大川の商店街。
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ユーグレブモール。二本のアーケード街があります。
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その真ん中にある「石垣市公設市場」
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夕方だったので鮮魚など並んでいませんでしたが、那覇の牧志公設市場と同じような感じ。
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周りの町並み。
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そんな中にも赤瓦屋根の木造家屋がある。
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美崎町の飲食店街。陸屋根RC造が並ぶ。
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赤瓦ばかりではなく、このようなRC造店舗の町並みも戦後の沖縄らしさです。
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裏側もまた渋くて良い。
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美崎町にある居酒屋で早目の晩飯。結構飲んで食べて3000円いかなかったのは安い!
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夜の石垣美崎町を徘徊。
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緩やかに弧を描いているので町並み景観のシークエンスが良い。
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呼び込みのオネェさんが立ってるので、キャバクラ街の取材は控えめに。
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ここは銀座か那覇松山か。
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やたら賑わっていたビル。屋台みたいな店がたくさん並んでた。ここにも横丁ブームか?
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大川の夜
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八重山の中心市街地、夜の街もさすがです。

by marunouchi_no1 | 2017-12-23 17:00 | 沖縄県  

海界の村を歩く 太平洋 南大東島(沖縄県)

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北大東島空港15:30発のRAC(琉球エアコミューター)で南大東島へ渡る。わずか15分。こんな短いフライト他にあるかなぁ。
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沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照)
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空港には、今宵の宿「ホテルよしざと」のおっちゃんが迎えにきてくれていました。送迎車に乗り込むが、、、なんと北大東島のはまゆう荘に泊まっていたオヤジの一人旅軍団が全員が居るではないか。ツアーでもないんだけど、なんで?
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早速、探訪スタート。今日のうちに中心市街地だけ取材を済ませておきたい。
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ホテルよしざとの面する通りは、南大東島の中心集落在所の目抜き通りで、店舗が並んでいます。一方が大東製糖の工場へ、他方が夜の飲食店街につながる。
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夜の飲食店街。パチスロ、ビリヤード場が娯楽施設。
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夜のパチスロ店とビリヤード店。なんかイイねぇ。
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飲食店街の先にある民家。古そうだ。
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ホテルよしざとの屋上から俯瞰する。煙突があるのが大東製糖。基本的に島の生業はサトウキビ農業・製糖業・それをサポートする業種、ということになります。いわゆる企業城下町あるいは産業城下町であり、煙突のある工場はいわば天守閣です。
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大東製糖の工場。煙突に「さとうきびは島を守り島は国土を守る」と書いてある。大東諸島で営み住まうことは、領土としての国土を守るという意か。
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島にはかつて、収穫したサトウキビを運搬するためのトロッコ鉄道が走っていました。
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その時の機関車の遺構が展示されていました。
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さて、工場に隣接した社宅街を歩きましょう。画像は新しい社宅。とっても住みやすそう!
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こちらはエリア内に残る古い社宅。一軒家ではなく数軒がくっついた長屋形式ですが、面白いことに妻面のみに石張りが見られます。
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いろんな時代とスタイルの社宅が建っています。
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こんな石積み壁の建物が工場前の町中に見られました。これも長屋形式の住宅として使われていました。
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中心市街地を離れて島を一周します。西港にある旧ボイラー小屋。
大正/1924頃
石造、建築面積115㎡
登録有形文化財(建造物)
明治33年第1回開拓者が上陸地点に選んで以降,南大東島の主要港として整備されてきた西港を見渡す場所に建つ。台風時に船舶を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室で,島の珊瑚石灰岩を乱積にして壁体を築造。島開拓の歴史を物語る遺構のひとつ。(「文化遺産オンライン」より参考)

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島の小学校、今年の卒業生は13人か。割といるじゃない。
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島の創生を伝えるバリバリ岩。
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漁港。島の外周部の石灰岩岸壁を切り開いて、何重にも防波堤を築いた造りは圧巻。
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ランチのために一旦中心集落に戻る。大東そばは、卵の入った沖縄そば。
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午後一に予約入れといた星野洞。素晴らしい鍾乳洞でした。島の地下にこういう自然が広がっているんだ。
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島は、北大東島と同じく環礁が起源であるため、外周が高く中がすり鉢状に低くなっています。近代に開発された農業の島らしい。この写真見て沖縄の島と回答できる人がどれだけいるだろうか。外周が高く海が見えないから、北海道の美瑛あたりに間違えてしまう。
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随所でサトウキビの収穫がされ、どの道にもサトウキビを満載に積んだトラックが走っている。全てが大東製糖の工場へ向かう。
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トロッコ軌道の跡が何箇所かに残っています。
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大東諸島の旅を終えます。
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さて、那覇市内のいきつけの店で打ち上げと反省会。

まず、なんでオヤジの一人旅が多いんだろう。私含めて7人いました。大東諸島は、那覇→北大東島→南大東島→那覇の格安パックがあり、早めに航空券が購入でき宿もついている。それを利用している人が多く、この三日間同じ旅行者がずっと宿も一緒だったというわけか。これってどういうこと?しかも互いに全く会話なし。それぞれが自分の時間を楽しんでいる感じ。うーむ、オヤジ一人旅のメッカなのだろうかぁ。

次に、大東諸島とはどんな島だったのか。実は、大東諸島というのは旧琉球国ではなく、明治から戦前まで一企業(玉置商会からはじまり)が統治していた。つまり、全てが社有地、住民も全てが社員。玉置商会時代は給料は大東島でしか使えない紙幣で、島内の店は全てがその企業の経営だったといいます。あれだけの大地を開拓したんだから、まぁ今で言えばブラックでしょうね。栄えたけど苦しんだ人はたくさんいたでしょう。
沖縄県の中でも何かアウェー感があるのは、そのためなんだな。


by marunouchi_no1 | 2017-03-18 08:14 | 沖縄県  

海界の村を歩く 太平洋 北大東島(沖縄県)

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1年1ヶ月ぶりの沖縄です。念願の大東諸島を歩きます。
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良く台風情報で耳にする大東諸島は、沖縄本島の東方380kmに浮かぶ2つの島。
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沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりを全て断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。1993年(明治36年)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、リン鉱石の採掘とサトウキビ栽培が進められた。「砂糖の島」とよばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。(「シマダス」参考)
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那覇空港で琉球エアコミューターに乗り換えて45分。機体は南大東島の上で大きく旋回して北大東島へ。
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空から見る南大東島のなんと美しいことか。自然と人工が造り上げたランドスケープ。沖縄県の他のどの島にもない景観です。
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小さな北大東空港は、飛行機を降りて空港ビル抜けるのに1分かかりません。
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北大東村の中心部にある はまゆう荘が今宵の宿。荷物を置いてレンタカーにてGO。
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北大東島は、戦前、南大東島と同様、玉置商会~東洋製糖~大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であったそうで、リン鉱事業で大変栄えました。
島には、西港、江崎港、北港と三ヶ所あります。そのうちの一つ、西港はリン鉱石の積み出し港だった場所。港直結で、リン鉱事業施設(旧東洋精糖の遺構)が残っています。
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北大東島の外周は珊瑚石の断崖になっています。そこを開削して海辺に下りる坂道を作った。下から見上げたリン鉱事業施設。
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ドライヤーと呼ばれる乾燥施設。なぜここだけが煉瓦なのか。煉瓦造は島の他に見ませんから、島で焼いたとは思えない。島外から運んだんでしょう。
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現役時代のリン鉱石貯蔵施設。
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現在一部が残る。
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これは何でしょう。トンネルが三本、乾燥施設から貯蔵庫へのびている。しかも等間隔で崩れている。
旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫
大正/1919頃
登録有形文化財(建造物)
島西北部の高台に位置する。島内で採掘した燐鉱石を,集約的に貯蔵するために築かれた施設。延長約40mの石造壁体に,4本の軌道用鉄筋コンクリート造トンネルが貫通するつくり。石灰岩を,乱積により巧みに積み上げた大規模な石造壁体が特徴的。(「文化遺産オンライン」より)

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このコンクリートの塊みたいな場所の下に運搬船が停まり、上からリン鉱石を落として積んでいたそうです。
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北大東島の外周は全てのこのような石灰岩の断崖絶壁。開拓者・玉置半右衛門一行が入島するまで人を拒み続けたという理由がわかります。
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レストランハマユウで夕食。給仕の方に集落見て歩いていると話したら、西港にある「とろっコ」という居酒屋が、古い建物の中で、リン鉱石採掘場の歴史を詳しく展示している、夜しかやってないけど行ってみると良い、と言われ酔っ払いながら⒈5kmを西港まで歩きました。ところが、その居酒屋が見つからない。照明がついていてそれらしい店をようやく見つけ、入ってみたらありました。
旧東洋製糖北大東出張所
大正/1919-1926
石造一部鉄筋コンクリート造平屋建
登録有形文化財(建造物)
海を望む島西北部の高台に建つ。建物の角をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積で築いた凹形平面の建築物で,玄関ポーチにはRC造の列柱を配する。事務所と売店を収容した燐鉱事業の拠点となった施設で,北大東島の近代産業繁栄の歴史を今に伝える。

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「島人居酒屋 とろっコ」
外部サインが全くないからこりゃわからん。完全に島人しか受け入れないスタンスなんだ。でも、飲めました。しかも安くて量が多い!
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そして、展示がまたすごい。リン鉱事業施設全体の模型もあり。
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古い写真とともに解説もしっかりされている。これ、昼も見られるようにすべきでしょ。
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日が変わって、昨日得た情報をもとに歩きます。これは、居酒屋すぐそばにある遺構で、当時は倶楽部だった。
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島で採れる琉球石灰岩ならいくらでも供給できます。
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斜面に並ぶように建っていた建物
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石灰岩の石積みの建物は、沖縄であまり見たことがありません。
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画像は波照間島のもの。屋敷を囲む塀と連続した付属屋です。このように屋根が外壁より出っ張って軒が形成されるのが通例。
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ですが、北大東島の石積み建築は屋根が外壁より出っ張っていません。
末吉家住宅主屋
昭和前/1926-1945
石造平屋建、鉄板葺、建築面積107㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱の積出港として利用された西港に通じる,島北西部の幹線道路に面して建つ。桁行13m,梁間8.4m規模,寄棟造,平入の石造平屋建。角部をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積とし,内部造作にはビロウを用いる。島で最初期の住宅地開発の遺構。(「文化遺産オンライン」より)

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ご丁寧に外壁の上に樋が作られています。何でそこまで内樋にこだわったのか。これじゃ、雨漏りしたでしょうね。
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こうして崩れたところで壁の構造をみると、壁の中は細かい石を積み上げて漆喰かモルタルを詰めてるだけみたい。
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社員住宅だった建物。今でも使われています。
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弐六荘
かつては出稼ぎ社員の倶楽部施設だったようです。
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積243㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱採掘事業において宿泊や娯楽等に使われた。北面して建ち、東に切妻造妻入、西に入母屋造妻入を並行に設け、その間を繋ぐ工字型平面を基本に、突出が多く複雑な屋根構成になる。正面はガラス戸をたて開放的であり、屋根勾配が緩く、穏やかな佇まいをみせる。(「文化遺産オンライン」より)

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ここから島内をグルッと一周二周しましょ。
長幕崖壁という崖線がずっと続いている場所です。隆起サンゴ礁の環礁の内側の段差で、崖の上は高くなっています。
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北大東の農村集落は散居村ですので、こういう単発な取材を続けるしかない。
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中心部にある製糖工場。ここに収穫したサトウキビ積んだトラックがバンバン入っていく。
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北港。サンゴ礁の断崖を切り開いて造った埠頭ですが、船は一艘も居ません。船は全て丘の上に引き上げられています。

北大東島終了。午後便で南大東へ。



by marunouchi_no1 | 2017-03-18 07:13 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 粟国島(沖縄県)

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粟国島は那覇市から約60kmの東シナ海に浮かぶ島。かつて粟の産地として知られており名前の由来ともなっています。
昨日は悪天候で船が欠航したようですが、今日は回復してラッキー。でも、「今日は揺れたね」と島の人が言うほど、海は荒れていました。
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1945年の沖縄戦で、米軍の上陸地となったため、島は90人の犠牲者を出す惨事となりました。古い家はありませんが、珊瑚礁の石積みとフクギの屋敷林がたくさん残っており、かつての集落の大きさを感じます。
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沖縄戦線の傷跡でしょうか、赤瓦をのせた木造民家は他の島と比較して少ない。
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石塀も崩れたもの多い印象です。悲しい歴史です。
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加工した琉球石灰岩の石塀の屋敷もありました。フクギも見事です。
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セメント瓦の木造民家。セメント瓦をこれだけ綺麗に使っているのもの沖縄の集落の特徴でしょう。
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一方、戦後のRC造民家を多く見ることができます。もう50年以上経っているのですから、歴史的建造物といっていいでしょう。庇が薄くて綺麗です。
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RCなのに木造の伝統的な民家と違和感がないと思うのは私だけでしょうか。
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集会所が集落のあちこちにありました。でも無住や空き地が多い。
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商店までトラクターでお買い物。
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沖縄の島はどこへ行っても子供が元気に走り回っています。この島で中学まで過ごした後は、家を離れて暮らさなければなりません。
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粟国島は製塩でも知られています。
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丘の上の中心集落から港へ戻る。
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港近くの集落。こっちの方が新しいかな。
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船が着いて再度本島へ向けて出航するまでの一時間半の島歩きでした。往復で4時間半ですが、、、
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空港食堂で、ポークたまごそば
次の沖縄の旅は今年暮れに予定しております。本島から300km離れた南大東島です。




by marunouchi_no1 | 2016-02-21 16:50 | 沖縄県