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海界の村を歩く 東シナ海 赤島

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(長崎県福江市赤島)
江島探訪を終えて乗った15:45発のフェリーみしまは、上五島友住港へ予定時刻に入港しました。徒歩で友住バス停→有川フェリーターミナルからタクシー→青方の民宿、とポンポンポンと移動し、18:00には風呂に入ることができた。
翌日は、前夜に予約しておいたタクシーで青方フェリーターミナルへ。早朝6:07発のフェリー太古丸に乗船、博多港から一夜を過ごしきた雑魚寝の間にスペースを見つけ、8:15下五島福江港に無事辿り着きました。
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うーむ、ここまでは実に順調です。
福江港(↑画像の「五島」)でレンタカーを借り三井楽町へ。三井楽の町を歩いて時間調整した後、貝津港からさぁ嵯峨島へ渡ろうというところなのですが、、、
貝津港の小さな待合所で、第2便11:30発の渡船を待っている。しかし、11:13に入港するはずの渡船がやってこない。ん?もう一度待合所に貼ってある時刻表を見てみると、
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「ただし小中学校休業時は2便のみ運休」
まてよ、今日は土曜日か。くっそー来ない訳だ。
これだけ島旅をしていて、数々の痛い目にもあっているというのに、こうやって、またやらかしてしまったのでした。
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恨めしや嵯峨島。まぁ、渡ったのに帰りの船が無いよりマシだと納得。
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嵯峨島に行けなかった代わりに、福江島西海岸の玉之浦町にある荒川温泉に行ってみよう。当てずっぽうだが、なんかあるかもしれない。
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ムムッ、いい町並みの予感。
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荒川は江戸時代から始まった捕鯨の港として繁栄したそうです。
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旧旅館が軒を連ねています。掘り出し物を発見だ!これで嵯峨島の失敗は帳消し。
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まだ時間があるので、富江の町を再訪。ところが見てなかった石垣石塀の町並みに驚いた。
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これはやり過ごすわけにはいきません。急いで取材だ。
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昨年歩いた黄島が溶岩の石垣石塀でたまげましたが、富江もそうだったんだ。つまり、富江スタイルだったんですね。
福江と富江の間に鬼岳という火山があり、その周りは溶岩質なので、このようになるわけです。
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福江に戻ってきました。さぁ、本題の赤島に行くぞ! 去年と同じ黄島行きの渡船に乗る。
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赤島集落の空中写真。岩がゴツゴツしたイメージが湧いてくる。
赤島
福江島の南方海上12kmに位置する、玄武岩質溶岩の比較的なだらかな小さな島。江戸時代の中期に泉州佐野浦(大阪府泉佐野市)の漁民が定着したといわれている。明治から大正にかけてはカツオ漁の基地として栄え、昭和35年には人口467人を数えていた。耕地が少なく、現在は周辺の天然の好漁場で3t未満の漁船漁業が営まれている。(「シマダス」参照)
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船着場は溶岩の海岸に造られている。周りには何にも無い。
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歩いて行くと、集落跡らしき姿が。
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神社がある。赤島だけど黄島神社。
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ここには人が住んでいるのだろうか?
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黄島と同じです。切石の石塀とごろた石の野積みの石塀の両方が見られます。
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建物のある屋敷は10軒もないかな。切妻板壁の平屋建物ばかり。
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空き家が多いですが、住んでおられる家が数軒ありました。
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倉か何かが建っていたのか。右のアーチは際どい状況です。
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福江の武家屋敷のように、こういう切石で築かれた石塀は古い屋敷なのでしょう。
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集落前は浅瀬の船着場になっていて、集落の端の海岸に墓地があった。
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海岸沿いを戻りながら観察。防風のため高く石塀が築かれている。島は平らで風を遮る山はない。最高の漁場中にあるとはいえ、よくもこのような厳しい環境に集落がつくられたものだと、改めて感心させられます。
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ゲートボール場でしょうか。ちょっとホッとしました。

by marunouchi_no1 | 2018-03-23 20:33 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 江島

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(長崎県崎戸町江島)
崎戸諸島の真ん中にある江島(えのしま)に今日1日を捧げます。平島からの船は、江島港に朝8:32に着いた。この船が佐世保を往復してまたこの島にやってくるのが15:45だから、これから7時間13分もこの島に滞在せねばならない。しかも、外者は私一人だけのようです。
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江島
佐世保港から海路47km、崎戸港から19.6kmに位置する、花崗岩や玄武岩などの火成岩からなる平坦な島。入江は多いが浅く波が荒い。半農半漁の島で、漁港の整備が進むとともに漁業の占めるウエイトが飛躍的に高まった。ほかの九州の島と同様、古くは捕鯨漁で賑わっていたこともある。現在はイセエビの産地として名高く、世の喧騒とは無縁の平和な島である。平家落人の伝説もあり、また起源は不明だが民俗芸能「浮立(ふりゅう)」も残る。蠣浦島と同じく北緯33度線上にあるロマンの香り漂う島だ。(「シマダス」参照)
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↑画像のように、集落の規模は広く歩き甲斐がありそうです。集落は右下がフェリー乗り場。集落は東の浦と西の浦の両方にまたがっていて、間の尾根の天辺に小中学校があります。密集感はなくダラダラと広がっている状態かな。
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待合所があった。いゃ、あってよかった。
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江島の集落は思いっきりゆっくり歩いても3時間以内でしょう。つまり、この待合所で残り4時間を過ごすことになる。
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江島は鯨組の島の一つでした。ただ、名残は鯨の墓ぐらいしか残っていません(ここから歩いて大分遠くになります)。
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集落の 船着場に一番近いところ。入母屋屋根に古い瓦をのせた家がありました。
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一番多い古民家の形態は、入母屋屋根と四方下屋付き。このお宅は板壁でした。
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平島で見られたような、ごろた石の石垣石塀はあまり見られません。この家の高いコンクリート塀は見事なものですが、傍らに石塀も残っていましたので、かつては石積みだったのでしょう。
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海岸から一本の道を入ると3軒にアクセスするだけの階段二股に分かれてる。このように行き止まりが多い。
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港から尾根上の小中学校を経て西側の集落へ通じる道の一つ。大きな家が面していたから古くからのメインストリートでしょう。その途中からの眺めです。
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上記で説明したメインストリートの町並み。
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メインストリートから脇に入る。北側の斜面の等高線沿いに行く道。瓦がすぐ近くで見られて迫力がある。
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船着場の地図には商店や旅館が複数表示されていたけど、今ではこの商店が一軒だけかな。旅館はなく、民泊が最近一つできたみたい。
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東の浦に面する集落。入母屋の瓦屋根、なかなかいいでしょう。
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東と西の尾根の一番上に近いところにある郵便局。昨夜平島の新屋旅館で、泊まってた崎戸町の郵便局の局長さんと局員さんと飲んで盛り上がったんですが、平島には局があるけど、江島は委託(簡易局)だっておっしゃってました。こうして人が住んでいれば、郵便局のない島はない。日本郵政ってやっぱ大変だなぁ。
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尾根を越えて、西の集落を歩きます。路地を入って行く。石塀が続く古い佇まいですが、無住になって久しい家々が多いのには心が痛みます。
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「江島番所跡」という碑が現れた。西側がメインか?と思ってしまいますが、確かに番所跡周辺には由緒ありげな屋敷がある。
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この屋敷は番所跡の前にある。石塀といい庭といい立派です。
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西側の集落全景。かつてはもっと家があったんでしょうね。鯨漁で栄えた証なのかな、大きな集落だと思います。
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やっぱ3時間でした。高瀬商店でお茶買って、平島の新屋旅館で作ってもらった弁当を待合所の外のベンチで食べてました。そうしたらカラスが弁当を狙いに来たので、ビビって待合所の中へ入った。
時間をもてあますので、別ルートで集落をもう一周し、高瀬商店行ったら閉まってました。


by marunouchi_no1 | 2018-03-23 20:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 平島

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(長崎県崎戸町平島)
崎戸諸島への船は、佐世保を13:30に出発して、蠣浦島(かきうらじま)崎戸港、江島(えのしま)、平島(ひらしま)を経て上五島の友住港で一泊(奇数日はさらに平島へ戻って一泊)、友住港から佐世保へは午前中の便となります。したがって、最短時間で江島と平島を歩くには、佐世保から行った場合、平島で下船し取材したあと平島に一泊し、翌日の朝江島に渡ります。そして最後は上五島友住へ抜けます。
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実は、去年のGWに平島に唯一ある新屋旅館を予約しようとして電話をしたところ、一度は受けていただけたものの「お仕事ですか?観光ですか?」の質問に「観光です」と答えたら対応が一変し、観光であれば上五島から往復してくださいと断られたのでした。3ヶ月も前だったからかなぁ。そこで今回リベンジ。1ヶ月前に電話して、やっぱり同じ事聞かれて今度は「仕事です」と答えあっさりクリアと相成りました。
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この船にこれから3度乗ります。1回目は佐世保→平島を約2時間。
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春の嵐で3日間欠航していたそうです。今日は動いた、ラッキーだ。
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江島は一旦通り過ぎます。明日、平島から引き返して訪れる予定。
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16:28平島着。春の嵐も弱まってきたのか、さほど揺れませんでした。
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平島
佐世保港から蠣浦島・江島を経由して53.9km、北緯33度線の海上に位置し、わずか5.7km隔てて列島中通島有川町を臨む。崎戸4島のうち一番大きな島。江戸時代には他の島と同様、捕鯨の島として大いに栄えた。五島灘という好漁場と、天然の良港に恵まれ、漁場中心の生活が営まれている。島の一部は西海国立公園に指定されており、荒々しい海岸線と山肌に剥き出しになった巨岩は、島を訪れる人々を魅了する。(「シマダス参照」)
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おーっ!いきなりごろた石の石垣石塀か。こりゃ期待できそうです。
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見事なごろた石の石積だ。迫力がある。ところで、この切り欠いたような場所は何でしょう。
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なるほど、庭から直接船着場に下るための出入口だったんだ。
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番所跡。石畳みが敷かれている正面の家は古いそうです。
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入母屋造の二階建民家が続きます。
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メインストリートが大きく曲がる正面にある古い家。
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右側の建物はよろず屋でした。丁度このあたりから入江の対岸に渡る橋があった。対岸には小中学校と民家が数軒ありました。
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これは平島の昔の写真。入江が川に切り替わるあたり。対岸に学校が見えます。そして背後の山は天辺まで開墾されている。
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今では、島の産業は100%漁業だそうです。
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古い写真で段々畑になっているあたり。石垣や石段が美しい。
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メインストリート(横道)から縦に入って行くと斜面の石垣が現れる。
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こういう煙突久しぶりに見るなぁ
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一周し終わりました。丹念に歩いても1時間かな。そんなに大きくない集落でした。丸いごろた石の石積み、海岸沿いだけでしたが、インパクトありますよね。
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さて、前回の予約のやりとりで、こ難しいかと恐れていました新屋旅館ですが、いえいえ非常に良い旅館でした。
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夕食では、泊まっていた郵便局の方々と一緒に盛り上がりました。お一人の方は、船が3日間結構したため足止めを食っており、やっと明日帰れますとおっしゃっていた。島ってやはり大変だなぁ。

by marunouchi_no1 | 2018-03-22 20:23 | 長崎県  

戦災のない町を歩く 佐世保

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軍港のあった佐世保は、第二次世界大戦時の空襲を受けています。これから夜の佐世保の繁華街を歩くのですが、戦災地区を対象とした「復興の町を歩く」テーマでいこうとしたところ、そうではなく「戦災のない町を歩く」テーマにカテゴライズしなくてはならなくなりました。まずはその理由から説明しましょう。
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↑画像は「日本戦災都市概況図 佐世保市」の一部で、私はずっと繁華街の殆どが戦災地区だと思っていました。
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ところが赤い戦災エリアを地図に落とすと、何と繁華街(画像の赤斜線のない下京町・山県町・塩浜町)のかなりの部分が非戦災地区に属しているではありませんか。今まで完全に誤解していました。
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まずは、戸尾町の戸尾市場街から。地図の右中ほど、ちょうど戦災地区と非戦災地区の境目に当たります。
西海市場は、旧戸尾小学校の敷地だった高台の北西側の崖線下に建物が並び、歩道上に屋根を張っています。ちなみに、小学校のある高台は戦災を受けています。
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食料品ばかりではなく、衣料品はじめ日用雑貨も売られていました。
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↑看板の手前から3番目「くじら中林」なんてのもある。かつて鯨漁が盛んだった地域の名残りを感じます。
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そして南東側の崖線下が面白い。看板とオーニングがあっても建物としての奥行きがない。どうなってんの?
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実は建物はなく、崖を横から掘削してその中を店で利用しているのです。通称「とんねる横丁」といって現在16の店が並んでおり、約20の横穴が掘られています。つまり、この崖には元々防空壕が掘られていて、焼け出され住居のない人々の一部が店舗(闇市)として↑図の黄色い防空壕を活用したのが始まりだそうで、↑図の茶色い穴は戦後新たに掘られたものだそうです。
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しかし、こんなにたくさん掘っちゃって大丈夫かなぁ。
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戸尾中央通り沿いの古民家。木造三階建てもある。
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旧戸尾小学校の東側に残る戦禍を免れた町並み。
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戸尾中央通りの奥のエリアは斜面地の住宅街。戦前と思われる民家が多く見られます。
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とてつもない急斜面を石階段が登っている。街の造りは長崎とよく似てますね。
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京町から松浦町まで続く大アーケード街「させぼ四ヶ町」の下京町の入口。
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川にはみ出す建物群。長崎の銅座川にもありました。
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下京町の飲食店街に残る戦前建築。こうして、非戦災地区だという目でよく見ると残っているものです。
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スナック街だ。看板の向こうに色っぽい建物発見。
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色っぽい建物はスナックというより旧料亭かな。
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旧料亭らしき建物前にあったスナック集合建築。
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上京町のさせぼ四ヶ町商店街から枝のように伸びる二本の小アーケード。これも旧闇市系か。
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そしてここ、木造建築密集地帯がある。これこそ旧闇市系でしょ。
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昨日撮った夜の景から。
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木造密集地帯の内部にある小アーケード。スナックらの中に貴金属細工の店があった。ディープです。
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でかい看板建築もある。戦前か戦後か判定不能。装飾のモザイクがオサレだ。
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京町から松浦鉄道の高架をくぐって西へ行くと、埋立地の塩浜町。このあたりにも戦前の建物が残ってた。
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上京町の木造密集地区から見て北西に崖線があって急な階段が登っている。丘を越えると松浦鉄道の佐世保中央駅の方へ下りていけます。その道から↑画像のような一角が見下ろせた。
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ここもアーケード街から枝のように伸びた路地を囲んだ長屋建築。この辺りから戦災地区に入ります。
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松浦鉄道佐世保中央駅前の町並み。
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させぼ四ヶ町アーケード街の上をクロスする松浦鉄道。ガード下に、もしや、、、
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予測的中、ありました。
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夜の景はこんな感じ。
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アーケード街を松浦鉄道の北西側へくぐると、左手に親和銀行本店が現れます。建築家白井晟一の代表作の一つですね。↑の正面ファサードは有名ですが、、、
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どてっ腹がこんなになっていてビックリ!(話には聞いていましたが)駐車場にするために柱曲げてまで抉ってたんだぁ。

佐世保の中心市街地はまだ続きますが、ここからは戦災地区です。歩き疲れたので、終わります。


by marunouchi_no1 | 2018-03-21 13:30 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 黒島

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昨年のGWに引き続き、日本一離島が多い長崎県攻めです。「長崎は今日も雨だった」てな具合で雨。しかも風が強いときた。難儀しそうです。
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これから松浦鉄道に乗って相浦まで行き、「フェリーくろしま」でキリシタンの島である黒島へ渡ります。
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黒島
佐世保市の相浦港から出航した「ニューフェリーくろしま」は、途中高島に寄り、黒島の白馬港に着く。沖合から見ると、平に広がるなだらかな姿をしている。西と東にやや高くなったところがあり、五島に近い西が「番岳」、中学校のある東が「岳」と呼ばれている。番岳には寛永17年(1640年)、鎖国中の日本に異国船が近づくのを警戒するための見張り所がおかれた。住民の7割がキリスト教徒といわれ、島の中ほどにあはカトリック黒島教会の名切天主堂がある。禁教令で弾圧をうけたものの、各所からキリシタンが移住し、出口大吉宅で密かに信仰が続けられていた。明治19年から修道会愛苦会の保育・福祉・奉仕が進められ、女性修道者の自給自足の生活(通称「女部屋」)がみられた。(「シマダス」参照)
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当初の計画では、黒島の手前にある↑高島も歩く予定でしたが、黒島だけに変更しました。というのは、上記のシマダスの解説文にもあるように、弾圧されていたカトリック教徒が島内の各所に移住したことにより、集落が広範囲に点在して形成されているため、巡るのに時間を要することがわかったのです。港に近い本村と東端の古里という集落だけが仏教徒で、他の集落は全てカトリック教徒。両方巡らねば意味がありませんからね。
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(↑真ん中の➕が黒島)
雨は小降りになったけど、霧雨と風が止まない。これ、撮影には最も難儀するんですよね。写す度にレンズを拭かなきゃならない。
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電動アシスト付きレンタサイクルで4時間半の黒島一周をスタート。まず、港に近い本村から歩きます。探索開始しようとしたら、おじやんが私を怪しんで話しかけてきた。私も即察したので「集落調査で写真撮ってるんです」と目的を伝えたら安心された。
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この本村が島で最初に開拓された集落なのだそうです。そして↑寺院があります。隠れキリシタンの島では「本村」という集落だけは仏教徒だったりします。
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いろいろとお話を聞いた後、集落探訪開始。いきなりガッツリ苔むした石垣が現れた。この石は島で採れる「黒島石」と呼ばれる御影石。墓石に使われる石材で、かつては石工がたくさんいたそうです。
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おじやん曰く、今では2軒だけになってしまったとのこと。↑はそのうちの一軒。ちなみに、おじさんも石工だったそうな。
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石垣石塀の集落はいいものです。
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黒島の民家ですが、なんとなく外周を建物で囲むような屋敷構えでした。表側に↑のような付属屋があるのが共通です。途中まで石壁で上が板壁。西海地方と似てますね。真ん中のところが低くなっているのも共通でした。なんでかな?
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島のど真ん中の道を港と反対側の海岸へ向かって走ります。小高い尾根を越えると島のシンボルである黒島(名切)天主堂が見えてきました。結構大きく立派な教会だ。
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明治35年、フランス人マルマン神父の指導と、黒島教徒の協力により完成した煉瓦造大聖堂。長崎県の天主堂は鉄川与助の手によるものが多いですが、ここはそうではないようです。そう言われれば、ちょっと違うかな。でも、内外ともにプロポーションがとてもいい。
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前面の塔と外周は煉瓦壁、内部の屋根架構はハイサイドライトのある下見板張りの壁・ヴォールト天井含めて木造です。写真には写ってないですが、ケヤキ材を束ねたようなデザインの木柱の脚部は黒島石を丸ごと無垢で削り出し、装飾を彫り上げた見事なものでした。
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島人の力で築き上げられた天主堂。あったかい愛を感じる建築でした。
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名切地区のカトリック教徒の集落。名切地区は本村のようにまとまっておらず、広く分散しています。
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砲台跡の洞窟
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島北部、古里集落。向こうに見えるのは高島。
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島南東部の根谷集落。
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島中央部の田代集落。石垣が見事な屋敷。
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長崎鼻展望台から南西を臨む。2つの島は崎戸諸島の江島と平島。明日午後、佐世保から渡る予定です。
ここで立たずいんでいると、ウォーキング中の島の方が話しかけてきた。「あの島は江島と平島ですよね」と訪ねたら「知らないんですよ、ずっと住んでるのにね」との答え。何十年もずっと眺めてきた向こうの島の名前知らないんだぁ、とビックリ。
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島南西部の蕨集落。ここは、集落の上に畑が広がっていて、開拓の風景が見える。
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一周しまして、港に戻ってきました。飯食うところなく腹減ったぁ(島旅の鉄則である弁当買っていくの忘れた)。
弾圧を逃れ島に移住したカトリック教徒を先祖とする家々が、実にいろんな場所に点在していました。こういう集落は独特だと思います。
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相浦港に戻り、港町相浦を歩いてみました。ここは、町並みWeb集団いらかぐみの辰巳屋さんが紹介していた町。
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細い道(旧道なのかな)に面して、木造3階建てがあった。かつては旅館なのでしょうか。辰巳屋さん、よく見つけましたね。
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相浦の町並み。結構、しっかりした古民家が残っていました。
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佐世保京町界隈で早目のディナー。美味しいステーキ屋さんでした。来月末の長崎攻めその2でまた来よう。
この後、夜の佐世保を歩きましたが、なかなか面白そうだ。次のレポお楽しみに!

by marunouchi_no1 | 2018-03-20 19:16 | 長崎県