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海界の村を歩く 東シナ海 納島

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(長崎県 小値賀町 納島郷)

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小値賀島周辺の離島、3つ目は納島(のうしま)。航空写真で見ると島全域に耕地が広がっている。
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納島(のうしま)
標高66.2mの火山島と22.9mの火山島が結合してできた島。小値賀島柳港の北東約1kmにある。「おさめじま」とも呼ばれる。来たから西にかけて広い平原と複雑な海岸線がある。島東部のヌケ遺跡からは旧石器〜縄文時代にかけての石器が出土している。南岸には、巨大アコウ樹の群落があり町の天然記念物に指定されている。北岸の田浦海岸は平家の落人の上陸地といわれ、その頭領の居宅があったところが上屋敷と呼ばれている。近くの海底からは元寇の時に元軍が使用していたとされる碇石が発見されている。またキリシタン史に著名なアンチリヤーブノシマやアウグスチノ太田の出身地でもある。農地がよく拓けていて、島で収穫・加工されたピーナッツは、町全体の特産品だ。(「シマダス」参照)
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柳港からの渡船は、1日5便と比較的多い方だが、内3便は日曜日運休。したがって、今日土曜日に計画を合わせた。柳港からたった7分で着いた。
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船着場から集落へ向かう途中にでっかいアコウ樹がある。「このー木なんの木気になる木♫」みたいな大樹。その樹の下を、船を降りた島の人達が、世間話をしながらゆっくり歩いていく。
ところで、島の人たちは待合室でも船の中でも、互いに会話を交わす。しょっちゅう顔合わせているのによく話題があるなといつも思う。コミュニケーション下手な人は、島暮らしは辛いだろうな。
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集落に入ったところ。茶色いゴロタ石垣が目に入る。
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この一部が盛り上がっているのは何だ?
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なるほど!お地蔵さんが並んでた。
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納島の古民家。石垣の上に建物が建っているのは珍しくはないが、このように階段が中に入ってから付いているのは、ちょっと新鮮。
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無住の廃屋も多し。
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集落は台地と低地の両方にまたがっている。その低いエリアを歩いていくと砂浜に出た。多島美が見られる素晴らしい景観の場所。
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振り返ったところ。道の下は川になっている。そして茶色いゴロタ石垣。
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敷地や農地を囲む石垣石塀。
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付属屋が半分石垣になっている。当たり前だが、庭側は建物内に入るために無い。
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段差部の家並み。
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船着場から真っ直ぐ坂を上っていったところ。両側に古民家がある、良い町並みスポットがあった。この道の先はピーナッツ畑が拓けている。
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わずか53分でもゆっくり回れるほど小さな集落だった。

by marunouchi_no1 | 2018-04-29 21:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 斑島

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(長崎県 小値賀町 斑島郷)

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小値賀島の西にある斑島は斑大橋で陸続きである。「海界の村を歩く」シリーズは、有人島であること、陸続きでないことを決まりとしているが、いい集落だったので離島として載せちゃうことにする。
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斑島

小値賀島の北西にある島。昭和53年、橋長290mの斑大橋が完成、小値賀島と陸続きになった。島内の遺跡からは旧石器時代のナイフ型石器や、縄文時代早期のものとされる土器などが出土している。玉石鼻にある大小のポットホール(甌穴)は、日本一の規模で、昭和33年に国の天然記念物に指定されている。北風に怒濤が岩を噛むとき、岩の裂け目から奔流する荒波に玉石が回転し、さらに穴を削磨し、玉はますますみがかれるという。好漁場に面しており、島の中心となる斑港のすぐ目の前には、ブリの定置網がある。島の東部から西部にかけては、なだらかな丘陵が広がり、和牛の天然の放牧場となっている。島から眺める西海に沈む太陽は、美しく、雄大だ。(「シマダス」参照)

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斑島郷集落の近くにあるポットホール。溶岩系の岩が荒々しい海岸にある。
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覗き込んだら下の方にあった。写真だと手に取るように見えるが、実際は深い穴の下の方にあって暗くてよく見えなかった。デジカメで撮って明るさ調整したのが上の画像。自分が落っこちたら大変な場所だった。コワッ。
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港の岩場の天辺に恵比寿像が祀られていた。その岩の上から斑島郷集落を見る。
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メインストリートは二本あって、こちらは海寄りのもの。家屋は新しくもないが古くもなさそう。
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等高線に平行の道(横道)。各家の前庭が横道になってる。密集系漁村ではお馴染みの構成である。
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木と土壁の組み合わせが綺麗。
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切妻板壁の単純さがいい。
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石垣でひな壇ができているのだが、その石垣がちょっとだけ上に伸ばされている。バイクや洗濯物も重要な点景だ。
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なんてことない風景だけど惹かれる。板壁の風合いだな。
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ひな壇の石垣が左右で分かれている。造った時期にどちらか後先があるんでしょう。
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斑島郷集落と海の向こうは小値賀島。切妻屋根と妻面の壁が折り重なる景観。
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斑大橋から斑島郷集落を眺める。漁業が盛んな様子がわかる。

by marunouchi_no1 | 2018-04-28 23:00 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 小値賀大島

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(長崎県 小値賀町 大島郷)

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2018年GW前夜の4/27 21:30。博多港フェリーターミナルで、23:45発五島列島行き「フェリー太古」の乗船待ちをしている。
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フェリー太古は、博多発五島列島行きの深夜便。博多を出ると玄界灘を航行し、平戸島と生月島の間を抜けて、最初に宇久島に立ち寄り、続いて小値賀島、中通島青方港、奈留島経由して、福江島が終着である。先月、青方から福江島まで乗ったばかりだが、今日は小値賀島まで乗る
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盛んにコンテナを積み込んでいる。フェリー太古は人ばかりでなく、島への物資も運んでいるのだ。
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(google map)
長崎島攻めも今回で何回めだろうか。両手が必要なほど行ったが、まだまだ終わらない。
今回は、小値賀島(おぢかじま)の周辺の離島と小値賀島の集落が目的だ。大島、斑島、納島、そして野崎島。後半は、佐世保経由で平戸島、生月島、度島の島里を歩く。
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フェリー太古は新しい船でとても綺麗である。
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2等グリーンの廊下。
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2等グリーン寝台。上下二段の4人一部屋で、私は左下段。
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小値賀島笛吹港の大島・野崎島・六島方面町営船「はまゆう」発着場から6:50発大島行きに乗る。
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(google map)
大島
小値賀島の南西約3kmにある島。島のいたるところに火山弾が見られ、特に大型のものが多数散在するので県の天然記念物に指定されている。島の南端には縄文時代の石器類が出土した水畑遺跡がある。大島に所属する宇々島は無人島だが、享保年間から、大島住民の中で最も貧困な2世帯をこの島に移住させ、2〜3年賦役を命じて立ち直らせる自力更生の制度があり、昭和40年代初めまで続けられていた。わが国離島民俗学研究の第一人者・宮本常一なども足跡を残し、今なお若い研究者たちが訪れる。耕地も多く、農業と漁業の島である。(「シマダス」参照)
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大島へはわずか7分。海は至って穏やかだった。
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板壁と瓦屋根の味わい深い古民家だ。この集落、なかなか良さそうな予感がする。
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「至小学校」の案内の道を上っていく。
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石垣・生垣・板壁・瓦屋根。切妻平入の家が並ぶ。
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あちこちに花が咲いている場所があって、目を楽しませてくれる。グレィッシュな板壁との対比が良いではないか。
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小値賀小学校大島分校。
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小学校の高台から集落を見下ろすことができた。海の向こうに見える島は無人島の赤島。
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切妻の桟瓦葺がほとんど。年季の入った甍並みと新緑がいい。
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石垣は、一見して溶岩が固まってできたとわかる玄武岩が使われている。小値賀島は六島を除いて皆火山性の地形である。画像は切石とゴロタ石の組み合わせ。
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ツツジが満開。海の先にあるのは小値賀島。
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ガジュマルだろうか→どうやらエノキらしい。
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島は風が強いから、防風対策がなされる。高い生垣や付属屋で屋敷を囲っている。
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大島は漁村であると共に農村でもある。各敷地で庭を持つため密集することなくゆったりとしている。
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港近くの屋敷は石垣が立派。傾斜地であること、防風が理由か。
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防波堤から集落を眺める。集落は割と平坦なので家々の姿は見えない。
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小値賀島笛吹港への船は8:50発。船着場に多くの人が集まって来た。7:07発の1便はガラガラだったので、2便で小値賀島へ出かける人が多いのだろう。
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by marunouchi_no1 | 2018-04-27 21:46 | 長崎県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 牛島

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(香川県丸亀市 牛島 里浦)

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本島港からすぐ隣の牛島へ渡ります。すぐそばでも定期船の本数が少なく、丸亀港からだと適切な滞在時間の便がなく、本島から往復することになります。
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牛島
丸亀市の北7.7km、塩飽諸島中4番目に小さな島。里浦と小浦の2集落があり、ノリ・ワカメを中心とした養殖漁業と、瀬戸内の温暖な気候を利用した温州ミカンの栽培が主要産業となっている。とくに穏やかな瀬戸内で育った温州ミカンの味は格別だ。江戸時代には「内海の海上王」といわれた丸尾五左衛門の本拠地となっていた。(「シマダス」参照)
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牛島里浦は小さな港。コリャフェリーがつけない訳だ。
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集落の家々もあまりよく見えない。住人の数はかなり少ないのでしょう。
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里浦地区の東側から歩きます。本瓦葺きや土壁板壁の古民家が結構見られるものの、いずれも朽ちていて、人っ気が全くない。
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里浦地区の西側エリア。ココも廃屋だらけです。江戸時代に「内海の海上王」といわれた丸尾家跡もこのエリア。
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寺や神社(無住ですが)があり、家も集まっている一角。島の中心の様相です。
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本瓦と板壁に囲まれた心地よい空間。真ん中の空き地にもかつては建物が建っていたのでしょう。
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朽ちてなければ、本島レベルの町並みが見られたはず。
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屋敷構えは外周に建物を巡らす形態です。
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里浦から島の反対側にある小浦へ向かう。途中、島の背尾根の辺りで「写真展」のサインがあった。集会所内ギャラリーになっていて、古写真が展示されていました。
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里浦か小浦かわかりませんが、たくさんの建物があった頃の姿です。
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牛島は農業と漁業の両方が生業でした。写真は小浦地区の一部で、温州ミカンを栽培していた農村の風景。
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何の施設?使っているのかな。
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小浦港。おそらく古写真は小浦地区だったのでしょう。沢山あった家は数軒しか残っていませんでした。
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船が来るまでまだ1時間ある。集会所のギャラリーで一服して船の時間を待ちました。

by marunouchi_no1 | 2018-04-08 20:30 | 香川県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 本島・岩黒島

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(香川県 丸亀市 本島・笠島地区)

瀬戸大橋の四国へ渡った所に坂出北ICがあり、その直ぐそばにあるホテルに泊まりました。早朝に岩黒島行くためです。瀬戸大橋の橋桁になっている島は、北から櫃石島、岩黒島、与島の3島。いずれも、岡山県側の児島駅と香川県側の坂出駅から路線バスで行くことができます。
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この辺りの大小28の島々は、塩飽諸島(しわく)と呼ばれ、最大の大きさである本島(ほんじま)は、近世では塩飽水軍の本拠地でした。
今日は、坂出から路線バスで与島まで行き、乗り換えて岩黒島バス停で降りて島里を歩きます。その後、児島駅まで行き、旅客船で本島へ。重伝建地区になっている笠島地区やそれ以外の集落を訪ねた後、隣の牛島を散策し、夕方丸亀港に戻って旅は終了です。
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瀬戸大橋の路線バスは、なんと本日無料。架橋30周年記念イベントが与島で行われるそうです。コリャ道が混む前に岩黒島を片付けなきゃならぬ。
岩黒島はバスも一般車も集落には寄れません(宿泊者は別ですが)。瀬戸大橋上にあるバス停で下車し、何とエレベーターで下の集落へアクセスするのです。下の写真にある巨大なループは、島の方だけが使えるものです。
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岩黒島
坂出港の北約13kmの海上に位置する。主産業は、刺網漁業と撒き餌釣りを中心とした沿岸漁業。昭和63年4月、瀬戸大橋開通で一方通行ながらループ線で緊急自動車などが進入できるようになり、バス停も設けられ陸上交通が確保されている。また、前方には景観を考慮した雄大なトラス斜張橋・連続トラス橋がそびえる。島名は、島の南半分は白っぽい花崗岩であるのに対し、北半分は黒っぽい閃緑岩できていることに由来する。(「シマダス」参照)
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岩黒港から集落を眺める。背後に瀬戸大橋とループが、、、集落とのスケールの違いがお分かりでしょう。
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岩黒島の町並み
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歴史性あるいは密集度はさほどではなく、集落の規模も小さい。
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30〜40分でひと通り歩き終わってしまった。
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ループの中にあるエレベーターで橋上バス停へ戻る。
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バス停から見た本島。すぐ目の前でもここから直接は渡れません。バスで児島へ行っって旅客船乗り換えて向かいます。
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本島
昭和9年、国立公園として第1次指定を受けた瀬戸内海国立公園の中にあって、備讃海域に点在する塩飽諸島の中心島。秀吉以来、自治権を安堵されていた人名制度の中心島で、人名から選出された4人の年寄によって政治が行われ、江戸時代は天領として明治維新まで人名の自治が続いた。年寄衆が政務を執った塩飽勤番所をはじめ、歴史・文化財の宝庫としても有名で、笠島地区では町並み保存を進めている。瀬戸大橋の完成後は、橋を横に見ながらのハイキング・サイクリングなども盛んになり、若い人からお年寄りまで楽しめる。大規模な養殖場でのクルマエビ、水揚げされる瀬戸内の魚は、訪れる人の大きな魅力となっている。(「シマダス」参照)
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自転車借りて島の東部にある笠島地区へ。途中にあった史跡塩飽勤番所跡。建物は復元されたもの。
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電動機付き自転車借りたから坂道も何のその。丘を越えて笠島地区の裏手からアプローチです。
笠島を訪れるのは2度目、20年ぶりくらいかな。
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東小路(とうこうじ)という笠島港から本島港(泊地区)へ通じる古い道。
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さすが国の重要伝統的建造物群保存地区だ。見事に伝統的な民家が続く。
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天然の良港を持つ恵まれた場所に中世城が築かれ、城下町的な計画された町割りだそうです。
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近世は、海運・廻船業で知られた塩飽水軍の根拠地として、江戸中期まで繁栄を極めた。その後、全国的な廻船業の発達により塩飽船方への需要は減り、彼らの技術は塩飽大工へと受け継がれ、塩飽大工は中国地方を中心に活躍するようになった。
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塩飽大工により築かれた町並みは、計画された町割りも相まって、周辺の島の集落とは趣を異にしています。
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本瓦と漆喰と板壁の調和が実に綺麗です。
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マッチョ通りの町並み。「マッチョ通り」とはガタイが良いという意味ではなく「町通り」のこと。
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「吾亦紅(われもこう)」というカフェで一服。店の方が建築のご専門で、塩飽大工のお話や資料をいただきました。
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本島には外周に複数の集落があります。本島港のやや西にある泊集落。木烏神社の境内に「千歳座」という古い芝居小屋が残っています。小屋といっても舞台だけ。客席は青空です。
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泊集落も良い町並みが見られました。
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ココは何でしょう。
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鏝絵(こてえ)
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島西部の生ノ浜にある夫婦蔵
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旧小学校?映画のロケ地になったそうです。
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島北西部の福田地区の町並み。
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密集した集落で、海鼠壁の蔵もあり見所ポイントでした。
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隣の牛島を望む。これから渡ります。

by marunouchi_no1 | 2018-04-08 20:00 | 香川県