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海界の村を歩く 瀬戸内海 保戸島・四浦半島

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(津久見市 保戸島)

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豊後水道西側沿岸の旅、最終日となりました。さて、初日に渡れなかった無垢島にリベンジするか、諦めるか。仮に無垢島に行くとなると、日曜日ダイヤのため、超小さい集落に7時間滞在する羽目になります。初日であればおろか、流石にその気力はもう残っていません。
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ということで、保戸島再訪を選択しました。保戸島は数年前に訪れて大変感動した集落でして、その時動画撮影もしています。今回は是非ドローン撮影をしたいと思います。
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保戸島に渡る前に、四浦半島の付け根にある津久見と四浦半島の集落を初日に歩いているので、ここでレポしましょう。
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津久見には石灰の採石場と大きな太平洋セメントの工場があります。であれば、工場門前町として飲屋街が充実しているはず。しかし、ぱっと見では商店街しか見当たりません。ところが、その裏路地にコアなスナック街が形成されていました。ここは駅前地区ですが、工場近くにもおそらくあるんでしょうね。
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四浦半島の北側に伸びる枝にある赤崎集落。大きな切石を積んだ石塀を巡らした屋敷がありました。
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門もちゃんと構えている。名主クラスの家でしょうか。
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四浦半島の先端にある間元集落。画像の白い集落は、間元海峡を挟んで浮かぶ保戸島です。すぐそばで泳いで渡れそうな距離ですが、橋はなく、定期船は津久見港から出ます。したがって、ここまで来ているのに、一旦津久見まで20km戻らなければなりません。
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間元集落は海岸に面した石積みが特徴的。防風か防潮かはわかりません。
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この集落には柴田海産物店というヒジキ加工場がありました。大潮の時期で浜に沢山のヒジキが打ち上げられるそうで、それを採って乾燥させていました。
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保戸島
津久見港から14km、豊後水道に浮かぶ島。標高179mの遠見山を頂点に急傾斜地が海岸に迫り、北と南東側の海岸線は絶壁で、ほとんど平地がない。集落は西側の斜面に密集している。島名は、承平年間(931〜938)の百科辞書「和名類聚抄」にある「海部郡穂門郷」の名を継承しているという。江戸時代には佐伯藩の勘場や遠見番所が置かれていた。明治23年ころから始められた遠洋マグロ漁業は今では年間100億円の水揚げがあり、一大マグロ基地となっている。日豊海岸国定公園に指定され、美しい砂浜や奇岩が点在している。平成13年度よりモデル事業としてブルーツーリズムを実施している。(「シマダス」参照)
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さて、いよいよ最期の島旅の保戸島です。津久見港から25分。昼前の便が保戸島滞在1時間半で折り返しますので丁度良い。
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港の防波堤から念願の保戸島ドローン撮影開始です。
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保戸島の中心集落。
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保戸島の南に伸びた串ケ脇地区。
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中心部を上から!
ところがあまり新たな感動がありません。そもそも立体的だから空から撮っても印象が変わらないのかなぁ。
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ここにも猫ちゃん
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中心部から串ケ脇地区へ伸びる町。この画像の道は実はれっきとした県道でして、横方向(海岸線に平行)のメインストリート。店が並んでいます。
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建物の下をくぐる道。
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保戸島は遠洋マグロ漁業で財を成した家々が多く、かなりの割合で鉄筋コンクリート造3階建て以上の建物です。一方で僅かですが、木造民家も残っています。
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この木造民家は旅館です。
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海徳寺の境内から眺めた斜面上密集系集落は圧巻!
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超広角のソニーアクションカムを胸につけて歩き回ります。
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すごいでしょ!
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すごいすごい、やっぱり凄いぞ保戸島!
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保戸島集落は密集系漁村集落として、わが国でベスト3に入りますね。改めて感動しました!

by marunouchi_no1 | 2019-03-24 20:00 | 大分県  

海界の村を歩く 太平洋 深島

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(佐伯市蒲江 深島)

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深島(ふかしま)
大分県の南東端、蒲江港から南に9kmの日向灘に位置する。地殻変動で沈降水没した陸の山頂部といわれている。周囲は大小無数の岩礁、切り立った海食崖、海蝕洞がある。南部と北部にある台地状の2つの島が、「はま」と呼ばれる砂洲で結ばれ、砂洲のくびれた部分に集落がある。気候は温暖多雨で、夏期には南南東、冬季には北西の季節風をうける。もともと御手洗水軍の拠点だったと伝えられ、享保6年(1721)に本土から農民が移住し開拓が始まったが、寛保3年(1743)に佐伯藩の流刑地となり、明治5年に蒲江浦から7人が移住、再び開拓された。現在は小型まき網漁を中心とした沿岸漁業が営まれている。(「シマダス」参照)
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2便(12:00発)で再び蒲江を出港。観光客はカップルと女性2人組と私1人の合計5人。深島はネコの島で売り出し中、私以外の4人は皆深島のネコ目的でしょう。
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深島到着。さぁこれから4時間、集落の取材はものの30分、ドローンを3箇所で飛ばしても1時間あれば十分なので、残り3時間をどう過ごそうか。
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深島には「深島食堂」というレストランがあります。蒲江港出航の前に予約しておいたので、店に入ったら既に調理に入っていました。まずは深島食堂でゆっくりランチ。
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ビールも頼んでゆっくり食事を始めたところで、一緒に船を降りた4人が店に入ってきました。ここまで皆同じ行動です。
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深島食堂の外には海を眺めるテラスがあって、ここで一服するのも気持ちよさそうだ。
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深島は2つの島が砂州でつながった形態になっておりその砂州上と両側の斜面に集落が形成されています。画像は港と反対側の海岸。
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食事を終え一旦港へ戻ってから取材開始。まずドローン撮影1回目実施。
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2つの島が砂州で繋がっという様子がよくわかると思います。
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集落の真ん中広場のようになっていて、「深島かまど味噌工房」がありました。島の方々が作る深島味噌は島の特産となっています。
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広場から南の斜面に形成された集落を登っていきます。浜辺の波で現れた丸石を積んだ石垣が段々状に宅地を作っています。
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丸石の石垣の上に下見板張りの壁と切妻屋根。
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深島食堂。利用される場合は予約要です。
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南部地区の町並み。
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主屋と付属屋で前庭を囲んでいます。
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道路端におばぁさんが3人並んで作業しています(右手)。
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ヤギ
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ニワトリ
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集落の最奥部。石垣で築かれた宅地が続いていました。かつてはここにも家々が建っていたのでしょう。
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砂州上の中心部(低いところ)に戻る。写真には写っていませんが、とにかくそこら中にネコがいます。左の浜でドローン2回目実施。
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集落を東側上空から見る。
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北側の斜面上の集落。
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北側の集落から南方を眺める。 
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北側の道をどんどん登って行くと小中学校の分校がありました。当然、既に閉校となっています。この校庭からも3度目のドローンを飛ばしました。
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これで集落の取材は終了しました。しかし、まだ2時間弱残っています。ベンチで休んでいたらネコたちが寄ってきた。
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よし、島の南端にある灯台を見に行こう。片道40分だそうですから、丁度いい。港まで戻ってチャレンジ開始。
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ところがこの道です。イノシシに出会うかもしれないぞ。
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早速分かれ道が現れた。
右が灯台、左が深島食堂の前に出る道。あっさり灯台を断念し、食堂方面を選択した。
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さっき歩いた南部の緩斜面上集落の裏に出た。
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まだ1時間ある。ネコと戯れながら時間を潰すしかないかな。

by marunouchi_no1 | 2019-03-23 20:30 | 大分県  

海界の村を歩く 太平洋 屋形島・蒲江

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(佐伯市蒲江 屋形島)

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豊後水道西側沿岸の旅、3日目は大分県最南部の屋形島と深島です。
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この2島はリアス式海岸地形の半島が沈降して、高い部分が海面上に現れているものでしょう。
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屋形島・深島へは蒲江港(旧蒲江町の中心)から1日3便の高速船が出ていて、蒲江港→屋形島→深島→屋形島→蒲江港の順で運航しています。
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蒲江港の乗船場。1便でまず屋形島に渡り、その船が深島を往復して屋形島に戻ってくる40分間が与えられた取材の時間です。そのまま滞在して、2便で深島へ渡っても良いですが、待合所もなく小さな集落しかない屋形島に4時間滞在は辛い。
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小さな船で乗客エリアと運転席が一緒。
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屋形島(やかたじま)
蒲江町の南約2kmの蒲江湾口に位置する。西側と北側中央部に集落と耕地がある。地質は黒色千枚岩からなり、気候は温暖多雨で、夏季には南南東、冬季には北西の季節風をうける。南7kmにある深島を結ぶ海中には起伏の多い天然礁がある。海流は瀬戸内海の低温水と黒潮から流入する高温水との混合流となっている。島名は、かつて唐船が来航した際、来泊者の仮屋が建てられたことに因むという。島の開拓元禄5年(1692)に始まり、のちに佐伯藩の藩牧が開かれた。寛保3年(1743)に深島から4戸が移住している。真珠母貝・ヒオウギ貝の養殖は昭和38年ごろから始まっている。近年、トコブシ漁などの潜水漁も営まれるようになった。(「シマダス)参照)
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屋形島の港。集落からやや離れた位置に港だけがあります。
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漁港関連の施設や小屋が点在している。
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そして、港から集落へ向かう途中にコンクリートゲートが出現!鶴見大島にもあったものと同じだ。これはやはり防風対策なのでしょう。
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集落の前面は浜になっています。
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浜辺に面して砂丘状にやや高くなったところに民家が並んでいます。その奥は低くなっていて農地が広がっている。
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海岸線に沿った道を歩いて行くと、港から一番離れたところに石塀がありました。
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そしてそこから集落は海岸から離れる方向へのびていっています。
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この民家が最も古くて大きいでしょう。蔵も備わっている。
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その民家のディテール。出窓の小屋根の意匠が凝っている。名主クラスの屋敷かな?
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この石垣は平べったい石を斜めに積むやり方。平たく割れる青石でしょうか。豊後水道対岸の愛媛県佐田岬半島にも見られます。
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海岸から離れて行く縦道に沿った町並み。
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一番奥に神社がありました。集落のエッジということになります。
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集落の裏手に広がる平地。今は何も植わっていませんが、かつては農地だったのではないでしょうか。あるいは湿地帯。
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屋形島の集落は無住の家々が多く寂しかった。そして、やはり40分は忙しかった。ドローンも飛ばせず、蒲江港へ戻ります。
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蒲江は入江状の港に面する海岸線に沿った町です。
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蒲江町役場だった建物。
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海岸線に平行する主軸の通りを端から歩きます。
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入江の一番深いところ。
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このあたりに銀行や商店が集まっている。
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古そうな民家がありました。
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そしてさらに進んでいくと、主軸の通りは尾根をトンネルでくぐります。
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トンネルを抜けたところにも町並みは続いていました。
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by marunouchi_no1 | 2019-03-23 20:00 | 大分県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 大島・鶴見半島

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(佐伯市鶴見 大島)

豊後水道西側の旅、2日目は佐伯市から東へ細長く延びる鶴見半島と先端近くにある大島の漁村集落です。
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鶴見大島
佐伯市の東約15km、鶴見半島先端近くの豊後水道に浮かぶ、小さな大島。島の東側は太平洋の荒波が打ち寄せる断崖絶壁で、豊後水道自然公園に指定され、雄大な景観は目を見張るものがある。西側に船隠・田野浦・地下の3集落がある。一本釣漁業が主産業で男たちが腕一本でささえる漁業の島である。最近、島の西側に沖合養殖場が造成され、ブリ、タイなどが養殖されている。その品質は素晴らしく、市場の評価は高い。佐伯湾口の交通の要衝に位置することから、慶長11年(1606)に毛利佐伯藩の船番所が置かれて開発が進んだといわれ、加茂神社や「とび太鼓」などの文化遺産、「壇の窓」に代表される自然のおりなす景観が素晴らしい。(「シマダス」参照)
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佐伯葛港から高速船で30分。
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リアス式海岸のV字の奥にある佐伯港の海は静かですが、半島先端へ近づくにしたがって波が高くなり、船は結構揺れます。今日も風が強い。
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定期船は大島の地下港と田野浦港に寄ります。佐伯葛港から乗船した際、船長から帰りの3便は最悪欠航するかもしれないと言われていましたが、大島に着いた時点で、3便はは予定通り運行するであろうと判断いただき、安心して地下港にて下船しました。
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地下集落の加茂神社。緩斜面上の集落の中ほどにあります。
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加茂神社のアコウの木。見事!
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加茂神社からの地下集落俯瞰。遠くに見えるは鶴見半島です。
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一本の縦道が奥へ奥へと延びていて、段々状の石垣が見どころ。
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こういうクルマの入れない道がそのままに残っているのが島里のいいところです。
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どこの島にもネコがいる。
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地下集落の共同井戸の辺り。
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井戸の傍にあった「水神明」
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地下集落から田野浦集落へ。地下集落を出るところにこのようなコンクリートのゲートがあった。向こう側からもの凄い勢いで風が吹き抜ける。さて、このゲートの役割はなんでしょうね。考えられるのは、「防風」と「防潮」ですが、もし防潮なら水門が付いているはず。であれば、防風なのか。ナゾです。
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地下と田野浦の間に小さな集落がありました。その上に廃墟化した鉄筋コンクリート造の建物があった。
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小中学校かなぁ。でも海岸沿いに小中学校があった。
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大島で一番大きな田野浦集落の全景を防波堤から眺める。
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海岸線に直交する縦道が何本も奥へと延びている。
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大潮の時期だそうで、海岸では海藻採り。
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田野浦集落に入ってみましょう。
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歩き回っていたら屋根付きの共同井戸があった。
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石垣が続く縦道。
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大きく古い建物。
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密集系漁村ならではの細い道を歩き回る。
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下見板張り壁の家々。
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家の裏を流れる川を渡る橋。
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家と家の間の川。生活水の排水路でしょう。
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密集した中に突然郵便局が現れた。港の近くではなく奥の方にあるのは意外。
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集落を見下ろす斜面上に広がる墓地。密集系漁村の典型ですね。
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墓地から眺めた田野浦集落。瓦を漆喰で固めているのは、台風常襲地域の証し。
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もう一つの集落である船隠地区。なんと読むのかわからない。
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かつての海岸線に続いていた石塀が残っていました。
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この海岸線に面する石塀は、大分県愛媛県問わず、豊後水道沿の集落の共通要素です。このことの確認が、今回の旅の最大の目的でもありました。

by marunouchi_no1 | 2019-03-22 20:00 | 大分県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 大入島・佐伯

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(大分県佐伯市 大入島 荒網代浦)

豊後水道とは四国愛媛県と九州大分県の間の海域で、太平洋と瀬戸内海がつながるところ。「関サバ関アジ」は皆さん耳にしたことがあると思いますが、水産資源が豊富な海が広がっています。要は漁業に大変適した海。一方、四国側も九州側もリアス式海岸地形になっていて、細く伸びた半島が多く、半島上とその先の島とに集落が点在しています。
豊後水道沿は良い集落が多く、今まで何度も足を運んでいます。数年前に四国側をほぼ制覇していますが、今回は九州側の詰めです。つまり、ひたすら豊後水道に面した漁村集落を4日間攻め続けるという、誠に地味な旅なのです。
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黄色で囲った範囲が今回歩き回るエリア。一番北にあるのが佐賀関半島で先端の青印が「関サバ関アジ」で有名な佐賀関。北から2番目が長目半島で先端から離れて無垢島がある。3番目が津久見から長く伸びる四浦半島で先端に保戸島がある。4番目は佐伯から一番細長く伸びている鶴見半島で、これまた先端に大島がある。そして一番南は蒲江湾から行く屋形島と深島で、これも半島になり損ねた島でしょう。
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これらの集落たちを、離島への船便を考慮しながら効率よく巡るため、初日の前夜に大分に入りました。拠点とする佐伯のホテルに4泊します。
初日は、一番渡航が難しい無垢島に渡る予定です。なんせ無垢島への船便は通常1日1便。無垢島起点ですので、本土から渡るためには島に1泊しなければなりません。インターネットでの観光案内では民宿が一軒ありますが、昨年問い合わせたら廃業されているとのこと。となれば、木曜日と日曜祝日の1日2便を使って日帰りするしかありません。
今回の旅の初日は木曜日。津久見港12:30発無垢島13:00着/14:00発津久見港14:30着の便があるので、1時間滞在できる計算です。無垢島はとても小さな集落だから、1時間あれば十分歩けてドローンも飛ばせる。
しかし、津久見港の待合所に入って窓口で尋ねたところ、何と今日春分の日は祝日ダイヤとのことで、すでに1便が出た後でした。ちゃんと調べればわかったはずのこのミス。今までも数度やっちゃっているのですが、懲りませんねぇ。というわけで、無垢島はキャンセルとあいなりました。
初日はリカバリープランを早速選択することとなり、四浦半島の集落と佐伯沖の大入島へ予定変更。歩いた順序とは違いますが、わかりやすさを優先して、大入島・佐伯の順でレポします。
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大入島の石間から本土の佐伯市街を望む。ほんとすぐ、フェリーで10分。

大入島(おおにゅうじま)
大分県の南東部に位置する県南の中心都市・佐伯市から北北東に0.7km、佐伯湾に浮かぶ周囲22kmの島。形が「入」の字に似ている。漁業と農業が中心で、漁業では沿岸漁業が主体で、ヒラメの陸上養殖なども盛ん。新鮮なk農水産物を使った特産加工品やレストランメニューが人気の「おいしい島」である。また、全島が国定・県立自然公園に指定されており、風光明媚な景色が四季折々に味わえる。また、神武天皇の伝説や6世紀ごろの古墳など、歴史的にもロマンのある島である。(「シマダス」参照)
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大入島を反時計回りに一周します。まずフェリー乗り場に近い一番大きな石間集落を歩きます。
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下見板張りの比較的新しそうな家が多い印象。傾斜地でもなく平凡だなぁ。
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それ故に、このような写真を載せてしまう。
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海辺にある「田中ショッピング」。ひっきりなしに人が出入りしている。まとまった買い物は佐伯市街に出ると思われますが、ちょっとしたものはこの店で手に入る。島のコンビニですね。
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ラムネがあった。懐かしい。
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荒網代西集落。防潮堤のような石垣がありました。
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島の東端近くにある荒網代浦集落。
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傾斜地でもあり、この集落が島で一番良いかな。入母屋屋根の下見板張壁が伝統様式と見た。

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荒網代浦
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荒網代浦
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荒網代浦の港から上がっていく縦道。段々に石垣が築かれている。
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この時期は結構風が強い。今日は特にですが、夕方やや緩んだようだったので、ドローン飛ばしてみた。画像は荒網代浦です。
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島の北部にある「人形岩」。大岡越前?
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島一周して2箇所の集落を歩きました。
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さて、午前中に歩いた佐伯の街をレポしましょう。佐伯藩の城下町。江戸時代から「佐伯の殿様、浦でもつ」といわれるほど、海の幸山の幸が豊富な街です。町並みとしては、武家屋敷町が有名ですが、以前に訪れているので今回は町人町エリアを歩きました。
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佐伯市内町。本町通りの「なかまち商店街」アーケードに平行した新町通りとうまいもん通りは夜の飲食店街。
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古い建物が点在して残っています。
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新町通り
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こちらはモロにクラブ&スナック街です。
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なかまち商店街。
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味わいのある型ガラスの理髪店。
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佐伯の古くからの商業地は、城下町らしく駅から大きく離れており、本町通りエリアと京町通りエリアにわかれます。
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城下町時代の絵図。両町の間には堀があったことがわかります。今は道路になっている。
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船頭町の造酒屋さん。右が本丁通りで左が札場通り。
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昭和30年代の本丁通り。
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札場通りから京町通りへ。洋風の看板建築がありました。
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京町通りの旅館宝来家。
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こういう看板洒落てますね。
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京町通りはかつて「裏ノ丁」と呼ばれた大日寺の門前町で、明治以降は佐伯中心の歓楽街として賑わったそうです。昭和5年の大火で20数軒が焼失したそうですが、画像の糀屋本店は類焼を免れました。
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中江川沿のかつての町並み。
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その中江川に沿った浜丁通り。
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浜丁通りの町並み。佐伯の町人町の中では、比較的古い民家が揃っている通り。明治22年に大火があり、現在見られるものは以後の建物です。
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佐伯名物の「ごまだしうどん」。麺がとってもシコシコしていて美味しいです。

by marunouchi_no1 | 2019-03-21 20:00 | 大分県  

遊里を歩く 別府

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(大分県別府市鉄輪温泉)

別府。
国際的な温泉保養地として超有名であり、その巨大な温泉街は「泉都」と呼ばれています。源泉数は2100箇所で全国の源泉のなんと1/10、総湯量も全国一。歴史を語れば何ページも書き下ろすことになりますのでwiki などに任せるとして、受け売りになりますがポイントだけおさらいしましょう。
柴石温泉が平安時代から、別府温泉と鉄輪温泉が鎌倉時代から、浜脇温泉も八幡朝見神社の門前町として栄えました。江戸時代に入って瀬戸内からの湯治船が集まって賑わうようになると、街道沿いの亀川温泉などが開かれます。
そして、文明開化。明治4年に別府港が整備されると大阪からの航路が開かれて益々多くの人々が訪れるようになり、湯治場から温泉都市へと発展します。明治44年の別府駅が開業、明治45年の大阪商船の大型船「紅丸」の就航を契機に、駅と港の間に商店や飲食店・娯楽施設が建ち並ぶ歓楽街が形成されました。
温泉街といえば歴史的な観光地。そしてかつての観光地には「遊里」がつきもの。別府が巨大な「泉都」であれば、別名「遊都」と呼んでも良いでしょう。今回の旅は、その遊里に着目し、別府の深い処を端から端まで歩こうと思います。
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大分空港からリムジンバスに乗り別府へ向かいます。終点は別府駅ですが、その手前の亀川駅で下車します。
東に別府湾を、西に温泉の源となっている火山由布岳・鶴見岳の連山を臨み、その裾野から海岸にかけて南北約8kmにわたって広がる泉都。その最も北に位置するのが亀川温泉です。
駅前広場を出て国道を渡り、「亀川温泉」のゲートをくぐります。
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海岸線に沿った旧街道沿いに町が形成されています。ここで町並みの特徴をキャッチ。大小・色とりどりの丸石を使った石塀が共通して見られます。由布岳・鶴見岳連山から別府湾に注ぐ河川の川原の石でしょうか。
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浜田温泉。↑の建物は現在の浜田温泉の正面に建っている浜田温泉資料館で、旧浜田温泉の建物を原位置に復元したものです。
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建物の前で動画撮影していると、管理の方が出てきて早速説明を始めてくれました。旧建物は湯気や老朽化でボロボロだったそうで、この温泉を愛していた方が自費を投じて復元されたそうです。奇特な方がおられるのですね。湯船や床の仕上げはオリジナルだそうです。
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旧街道に沿った亀川の街は、国道とJR日豊本線を斜めに横切り、さらに南へと延びています。↑は「亀川筋湯温泉」で狭い旧街道から面しており、引きもなくイキナリ入るようになっています。右が男湯、左が女湯で、脱衣所が道から丸見えです。
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旧街道に沿った亀川四の湯の町並み。
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亀川四の湯温泉。公園の奥に洋風の共同浴場が建っています。周りには旅館だった?らしき建物が見られました。
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四の湯温泉の背後の崖地。街は崖を駆け上がっていますが、この建物は旅館だったのかな?
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路線バスで亀川から鶴見岳の山腹に広がる鉄輪温泉へ。鉄輪温泉のバス停まで行かず、手前の「みはらし坂」で降りました。鉄輪温泉が一望できます。
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熱の湯通り。「別府石の古い石畳」と解説が書かれていました。そうか、色とりどりの石は別府石という地のものだったんですね。
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富士屋旅館。国登録有形文化財。
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鉄輪温泉の目抜き通り「いでゆ坂」。右手は別府石の石垣石塀。
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「鉄輪銀座通り」の町並み。やたらカフェが多い。昼飯食べたいんだけど食堂がないなぁ。
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平田川沿いの道。至る所で蒸気が上がっています。ものすごい湯量だ。
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配管に硫黄が付着して鍾乳洞のようになっている源泉。迫力あるなぁ。
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平田川にある「谷の湯温泉」。ここも外から中が丸見え。
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旅館の手摺のデザイン。斜めの羽目板は珍しい。
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「湯けむり通り」の町並み。道の真ん中に排水溝があって、湯けむりが上がってる。
鉄輪温泉、初めて歩きましたが良い町並みでした。
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さて、ここから本題に入ります。冒頭に説明しました駅と港の間に形成された繁華街・歓楽街を歩きます。⭐︎の場所がポイント!
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まずは、JR日豊本線のガード下の「べっぷ駅市場」から。昭和41年の鉄道の高架化に伴って造られた「南高架商店街」が前身おだそうです。
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時代的に古いものではありませんが、どことなく闇市系の昭和な香りがする。
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店舗が入居していない区画では、賑わい途切れないように色々ディスプレイされています。
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駅前から北方へ移動します。北浜の春日通り(東西方向)。別府タワーが背後にそびえる町並み。
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「仲間通り」の「北部旅館街」です。ここはかつて「行合町」と呼ばれた遊郭だったそうで、昭和33年の売春防止法が施行された後、旅館街に転業して現在まで続いています。一泊2000円から3000円の超格安旅館ばかりですが、ドヤではないし、連れ込み宿(昔のラブホ)なんでしょうか。
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ありました!モザイクタイルのタタキと丸柱のカフェー建築だ!戦後レッドラインの証し。
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海に向かって歩いていくと大きな建物が現れた。「山田別荘」という昭和初期の建物だそうです。別府石の石垣も素晴らしい。
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そして国道10号線にそそり建つ「別府タワー」。東京タワーを設計した内藤多仲によるタワーシリーズの一番最初の建築で、昭和32年(1957年)竣工しました。
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今見ても新鮮なデザインだなぁ。
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駅前通りの南側へ。駅前通りから中浜通りにかけてが商店街と歓楽街です。
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「別府やよい商店街」のアーケードから入っていきます。
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やよい商店街の一本東側を並走する「ソルパセオ商店街」アーケード。
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かつての楠本町通り。
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物販店が並ぶアーケード街の裏は飲食店街です。この構成は全国共通ですね。「八坂レンガ通り」は歩行者専用のスナック街・飲み屋街でした。
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そして有名な「竹瓦温泉」。明治12年(1879)創設で、現在の建物は昭和13年(1938)のもの。立派な建物です。
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竹瓦温泉の前の竹瓦小路は、「わが国最古のアーケード」と言われています。ほんとかな。
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繁華街・歓楽街の中心部である流川通り(東西方向)のかつての様子。
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主軸の楠本町通りの東側はスナック街。古い地図でもその様子が伺えます。
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「妙見川通り」は極細の路地ですが、川を暗渠化した通り。
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中浜筋の町並み。
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やよい商店街の南端付近。そこに怪しげな路地が、、、
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???
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西法寺通り梅園温泉付近の町並み。
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その途中に怪しげなエリアがある。画像右側方向。
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土管の煙突!
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その怪しげなエリアを入ってみます。さっきアーケードから覗いた路地の先でした。
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2階建ての長屋が建て込んでいる。これこそ戦後闇市飲食店街のようだけれど、別府は戦災を受けていません。どういう経緯でこの街が生まれたのか。謎ですが実に魅力的です。
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楠銀天街=楠本町通り+アーケード
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別府駅前通りからここまで離れると人通りも少ない。
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かつては映画館が建ち並ぶエリアの商店街で、さぞ賑わったことでしょう。
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そのエリアを探索していたら、これまた怪しげな旅館が出現。今や営業はしていなさそうですが、意匠に色気を感じます。
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うーむ、遊里の匂いが、、、
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これはスナック街だ。しかも古そう。映画館の周りにはブルーラインの街があったりしますが、そうなのかな。この辺は空き地が多く見られましたが、かつてはこういう街が広がっていたのでしょうか。
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そして、別府の最南端までやってきました。楠銀天街を抜け、しばらく静かな街を歩いて朝見川を渡ると、浜脇温泉です。最初に記したように浜脇は、鎌倉時代に開かれた八幡朝見神社の門前町であり、戦後まで遊郭、つまりレッドラインでした。以前歩いた時から建物が減ったかな?でも無住ながらかろうじて遊里の面影を残していました。
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JR日豊本線東別府駅。国の登録有形文化財になっている駅舎。ここで、「遊里を歩く 別府編」のレポを終わりますが、どうぞ動画も見てやってください。

by marunouchi_no1 | 2019-03-15 15:00 | 大分県