海界の村を歩く 東シナ海 悪石島

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(鹿児島県十島村悪石島)

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フェリーとしま2は通常週2便だが、シーズには3便運航する。7/末もそうで、鹿児島港出港7/25の臨時下り便は諏訪之瀬島港を7:20に発つ。フェリーに乗り込んだら運航を委託されている中川運輸株式会社のカウンターのスタッフが、一つ前の便と同じではないか。つまり彼は、二泊三日の航行を終えて夕刻鹿児島に戻るや否や交替することなく、再びその日の23:00に出港し二泊三日の仕事に就いていることになる。これはかなりの重労働である。今話題の「働き方改革」とやらはどうなっているのだろう。
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諏訪之瀬島を出てすぐイルカの群れが水面ジャンプを繰り返していた。気がついたときは遠く離れていて撮影できなかった。まだあと3回チャンスがある。そのかわりにカツオドリが沢山飛んでいる。船の周りにまとわりつくトビウオを狙っているのだ。トビウオを見つけるやいなや急降下して仕留める。
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悪石島が見えてきた。逆光で雲がかかっているから、なおさら悪そうだ。
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WELCOME 看板は奇祭ボゼの絵。悪石島はとにかくボゼボゼなのだ。毎年旧暦の盆にボゼ祭りが催される。今年のツアーも発売と同時に完売となった模様で、観光客が少ない吐噶喇列島にあって、唯一これだけは人気がある。
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民宿二本松のおかみさんが出迎えてくれた。そして背中には「悪」の字。反してとっても親切な方だ。
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悪石島
トカラ列島のほぼ中央、諏訪之瀬島の南約20kmにある島。その名の通り断崖絶壁に囲まれているが、別名「美女とネズミと神々の島」ともいわれる。仮面神ボゼに象徴されるだけでなく、島内各所に神がまつられるまさに神々の島だ。うっそうと茂った亜熱帯性の樹木群は、大切に保護され、「神山」として聖地の扱いをされる。港のそばの海中には温泉があり、少し林の中に踏み入ると天然の砂むし温泉もある。港には、夏場は特産物になっているトビウオの天日干しがいっぱいに広がるなど、のどかな海村の風景も垣間見せてくれる。八幡神社所蔵の須恵器片など、定住の始まりは古代まで遡り、陶器片には青磁を始め中国系や北九州、薩摩、琉球など各地のものがあって中世〜近世期の交易の広さがしのばれる。江戸時代は悪石島詰御在番衆として鹿児島侍が駐在した。古くは女神山の麓に東の村があったという。聖地のひとつオキンヤマには秋葉・金比羅・霧島の神とともに「島建世建の御大将」を祀る。この御大将は墓地入口にも石を建てて祀っており「奉無縁供養造立、貞享二年」(1685)と刻字してある。墓地は近年の改築以前は他に類を見ない見事な墓地で、年貢船下島時に購入した山川石の墓石群が立ち並び、しかも寛永18年(1641)の碑文始め元禄・宝永・享保・寛延など江戸前期から中期の年代がみえ、近世の活動を物語る記念碑でもあった。かつては養徳寺と大奥寺の2寺があったが、幕末には養徳寺1寺だった。那覇からの学童疎開船「対馬丸」が近海で撃沈され、その慰霊碑が建立されている。(「シマダス」参照)
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悪石は海岸線に全く平地がない。だから、集落は海抜170mくらいの山の上にある。丘の上という生易しいものではない。
一旦集落の中にある民宿へ行き、荷物を置いて行動開始。まだ10:00だから、クルマを借りてメインの集落(上集落)以外の島の名所を巡る。
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悪石島の玄関であるやすら浜港。後ろの山の斜面を見ていただきたい、道路が登って行ってるのがわかるはず。集落は尾根を越えてもっと高い位置にあるのだ。
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港からすぐ近くの斜面上にある浜集落。住んでいる家が3軒確認できる。下から入って行くとガジュマルのゲートがあり、そこをくぐると人家があった。
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右手に一軒、左手は空き家のようだ。門の代わりに二本の棒を立てて領域を示している。家は下見板張りにルーフィング防水の白い屋根。
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上から見下ろしたところ。
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その上の集落。ごろた石の石垣だ。
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ここにも敷地の領域を示す二本棒があった。
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浜集落から西海岸を北へ走らせる。「左は温泉」とサインが出ているように、この先に連続して「海中温泉」「湯泊温泉」「砂むし温泉」がある。一昨日の小宝島の熱湯露天風呂で懲りたので、入る気がしない。
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湯泊温泉。この中で着替えて、海岸の露天風呂に入るのであろう。営業は夕方から。
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広場みたいになっているのはキャンプ場。岩場の下に砂むし温泉がある。岩場の上では蒸気が上がっている。
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島の南西部にある大麦牧場。
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その先にある荷積(ちょんぼい)岬。斜面の歩道が崩落していて下っていけなかった。
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島の南東部根上山岬。ここらも周囲が牧場になっている。
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島の最高峰御岳(584m)。山頂近くの無線中継所までクルマで上がることができる。東から雲が駆け上がってくる。ガスってなければ、吐噶喇全島から屋久島・奄美大島まで見えるという。
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やすら浜・荷積岬を見下ろす。ここから集落を俯瞰する写真が撮りたかった。
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宿に戻ってランチを済ませ、島の主要な生活の場である上集落を歩く。悪石島の主産業は畜産で、島の各所に広大な牧場も見られるが、集落の中にも牛舎がいくつもある。
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いきなり不思議な場所が出現。ガジュマルの森に抱かれるように建物がすっぽりおさまっている。
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悪石島の観光キャッチコピーは「神々の訪れる島」。随所に神聖であり不思議な場所がある。この建物の入口にしめ縄のようなものがあったから、ここも神聖なる神の場なのだろう。
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道がいくつも分かれている集落の中心と思われる場所にある民家。民宿を営んでいる広い建物で、白いルーフィング屋根が折り重なっていて綺麗である。
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その隣に瓦の家があった。諏訪之瀬島の民宿の方が「吐噶喇列島はルーフィング屋根と便利瓦が多いよ」と言っていた。「便利瓦」とは何だろうか。彼曰く「屋根の形状の難しい場所にも対応できる形になっているところから、そう呼ばれている」のだそうだ。この家の瓦は普通の桟瓦だと思う。
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乙姫様と呼ばれる場所。
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ガジュマルの森の家。
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屋根はシンプルな入母屋ルーフィング葺、壁は下見板張り。これらも、生物境界線である渡瀬線を越えた隣の小宝島と違うのか。小宝島は、屋根は金属折板葺、壁は木板縦張りが多かった。ますます渡瀬線の文化境界線説が濃厚になってきた。明後日の宝島(最も南で奄美大島に近い)でダメ押しだ!
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また違う形態の神の場所だ。鳥居があって奥に樹林を背景とした社殿がある。板森神社という。
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牛を見かけなかったが、牛舎であろう。
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集落の中心エリアに戻る。鬱蒼とした鎮守の杜みたいな場所であるが、鳥居はない。樹木のトンネルを潜って入っていくと奥が広場のようになっている。ここは「テラ」と呼ばれる神域で、島の祭事が行われる場所。ボゼが作られる場所でもある。ここは最後に行くことにしよう。
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「テラ」の入口のある通り。石垣が続いていて、最初の広い民家のところに通じている。
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擁壁や塀が何でできているか確認できないほど植物に覆われている。
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公共建築は鉄筋コンクリート造。港の生コンプラントで生成されたのだろう。画像は、十島村立へき地診療所
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十島村立悪石島小中学校。
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九州電力悪石島発電所。
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コミュニティセンター(地元ではコミセンとよばれている)と簡易郵便局。コミセンの中に十島村悪石島出張所がある。フェリーのチケットは出港前日の16:00までにここで購入しておかなければならない。
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戦後本土復帰後の昭和30年代はじめに朝日新聞に連載され反響を呼んだルポルタージュ「美女とネズミと神々の島」記念碑。神々とネズミは見なかったが、実は美女を複数見かけた。
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(民宿二本松より)
再び宿に戻り一休みして、日差しが和らいだところで、先程パスした「テラ」に行ってみる。
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日も傾いたので暗くてちょっと入るのが恐い。ボゼが出てきたらどうしよう。
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広場のようになっていて、真ん中で段差があり、その上段に建物が一つポツンと建っている。隣は古い墓地や祭壇のようなものがある。どこからともなく、笛のような音が聞こえてくる。いかにも聖域という場所だが、同時にボゼが出てきそうで気色悪い。
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ボゼ祭りは、毎年旧暦7月16日に行われる。祭りの前夜は、島の男衆による踊りが行われる。本番の当日は男衆による盆踊りの後、太鼓の合図で仮面神のボゼが現れる。赤土のついたボゼマラと呼ばれる棒を持った来訪神であるボゼは、死霊臭漂う盆から、人々を新たなる生の世界へ蘇らせる役目を負っている。
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ボゼの仮面はこの「テラ」の中で作られ、「テラ」の中で土に返される。画像はかつて使用した仮面の残骸だ。
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朝の十島村放送。フェリーとしまが、定刻より早く小宝島を悪石島へ向かって出港したことが伝えられた。海が凪で早く運航しているようだ。
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悪石島を後にし、いよいよ列島最北端の口之島へ向かう。


# by marunouchi_no1 | 2018-07-26 20:00 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 諏訪之瀬島

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(鹿児島県十島村諏訪之瀬島)

吐噶喇の各島では、フェリーが隣の島を出港すると放送が流れ、皆それを合図に準備に取り掛かる。隣の島を出たぞ!港へ行くぞ!という具合。それを知らずのんびりしていたら「行きますよ」、慌てて支度し港へ向かった。
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小宝島発5:50→悪石島→平島→諏訪之瀬島着9:10と移動する。
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船の汽笛が鳴り、諏訪之瀬島に着くぞという時、船の後ろにイルカが現れた。
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悪石島〜平島〜諏訪之瀬島の海域は、高い確率でイルカに会えるという。まだ4回チャンスがあるので、今度はバッチリ撮ろうと思う。
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諏訪之瀬島切石港。離島では、船を降りると必ず宿の方が出迎えに来てくれているものだが、今晩お世話になる「民宿やまき」の方が居ない。それもそのはずで、乗降タラップを設置する作業をされていた(画像の黄色い人)。
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諏訪之瀬島
十島村の中で2番目に大きい。島の中央に799mの御岳があり、今なお噴煙をあげる活火山の島である。『日本書紀』の白雉5年(654)に「吐火羅国の男二人、女二人、舎衛(きえ)の女一人、風にあいて日向に流れ来たり」とある舎衛は諏訪之瀬島ではないかとの説がある。十島村の中でももっとも激しい活火山を抱くこの島は、過去何回となく大噴火を起こした。文化10年(1813)噴火はひどく、東村と西村の50戸あった人家は潰滅し、200余人の人々は悪石島・中之島へ移住した。中之島では在番が一部の人々を平島や臥蛇島・口之島に移し、ただ1人の死者も出さなかった。『拾島状況録』によると明治28年当時、旧墓地跡に埋没を免れた墓石若干あって、その1つには安政6年(1777)の年代と肥後市郎右衛門の名があったという。おそらく郡司墓であろうが、諏訪之瀬島も他と同じように肥後氏の勢力が強かった。諏訪之瀬島の本格的な開拓は明治期に入ってからで、奄美大島の藤井富伝らが明治9年7月の踏査経て、同16年4月に27人の有志を得て入植したことに始まる。翌17年10月の大噴火被災など幾多の困難を経て同28年には36戸に増えた。島の主神は八幡神で明治の入植後八幡神社が再興された。主峰の御岳のほかに村落近くの根神山などの旧名称が残っており、沖縄・奄美の影響を受けた信仰がしのばれる。現在の住民は奄美大島からの移住者の子孫と、安住の地を求めて移住してきた県外出身者で構成される。県外者は一時ヒッピー(他の住民からはパンヤンとも)といわれたことがあるが、現在はこうした新しい住民が中心となったユニークな島づくりが進められている。北西部の溶岩台地には手つかずのマルバサツキが自生し、春になれば一面赤とピンクのお花畑と化す。(「シマダス」参照)
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御岳火口の空中写真。現在、噴火警戒レベル2で立ち入り禁止になっている。この噴火口を見に行こう思ったのか、先日遭難騒ぎがあった。2日間捜索して見つかったそうだ。良かった良かった。
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民宿やまき。寄棟屋根の下見板張り。ここでまず「おや?」と思ったことがある。屋根材だ。小宝島では南西諸島お得意の金属折板屋根だったが、ここ諏訪之瀬島ではほとんど見かけない。そのかわり、シート防水材で屋根を包んでいる。この家もそうだ。
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なぜか。聞いてみれば答えは簡単かもしれないが、推察してみた。おそらく、御岳に関係しているのではないか。つまり、折板では火山灰が積もってしまうのであろう。シート屋根は真っ平らで、こっちのほうが厄介といわれている雨の日に積もった灰も、乾きさえすれば風で飛ばされ易い。さて、正解は如何に(答えはこのページの後半を参照)。
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諏訪之瀬島は緑が豊かである。
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海岸のごろた石を使った石垣があった。私がみた限り、この島ではここだけかな。
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このお宅は中々良い屋敷構えをしている。主屋と附属屋が下見板張りの板壁+白いシート防水屋根で統一されており綺麗だった。
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この集落景観が諏訪之瀬島の代表といえそうだ。
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諏訪之瀬島簡易郵便局。この左隣に十島村出張所がある。ここで明日のフェリーの切符を購入する。
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すわのせゲストハウス。コテージ形式の宿で自炊もできる。
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榊戸原(さかきどばる)牧区。視界が開けて気持ちのよい牧場だ。
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集落に戻って宿でランチをし、クーラーの効いた部屋で一服。猛暑は凄まじいもので、とても1時間半以上は続けて歩けない。午後は、集落から西海岸へ向かい、元浦港と飛行場滑走路を見に行く。
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十島村立諏訪之瀬島小中学校。門の脇に伝統的な草屋根のあずま家が復元されていた。
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草葺のあずま家から学校を臨む。
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これは御岳の火山灰だろう。諏訪之瀬島は桜島周辺のような灰まみれの集落ではなかったが、やはり降灰対策は大変そう。
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手書きの道しるべ。小中学校で作ったのかな。心が和む。
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西海岸の元浦港。遠くに見える島は平島。
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海岸まで一気に降りてきたのは楽だったが、丘上の集落へ戻るのはしんどそう。強烈な日射の中、上りは相当キツかった。
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空港滑走路の下のトンネル。ここで一服。
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飛行場への道が分岐している。
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途中に九州電力の発電所がある。
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諏訪之瀬島飛行場の滑走路。バブルの時、ヤマハリゾートが南西諸島のいくつかの島をリゾート開発しようとした。諏訪之瀬島もその一つで滑走路まで建設された。
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折角造った滑走路は使われておらず、Hマークのついた緊急時のヘリポートとして使われているだけ。ここからの眺め、特に夕陽が素晴らしいという。
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御岳もここからよく見える。下の写真は噴火した時のもの。2013年の写真であろうか。
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さて、屋根の問題。民宿の方に聞いてみた。
不正解✖️。答えは錆びないからで火山灰とは関係ないそうだ。
屋根材はルーフィング、いわゆる瓦葺きとかの下地に施す防水シートで、単に瓦を葺いていないだけである。金属折板葺きは錆びて長持ちしないという。そして、ルーフィングの上にはコールタールが塗られている。綺麗なのは、毎年補修しているからだそうだ。
ところで、小宝島は金属折板屋根だった。奄美地方は金属折板が主流だから、奄美から供給されたのであろうとのこと。小宝島は奄美大島からの方が近いから。小宝島と悪石島との間には、渡瀬線という生物境界線があるが、文化もここで切り替わっているのであろうか。
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諏訪之瀬島を後にし、いよいよ悪石島へ。
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ところで最新の台風情報。恐れていた台風12号は幸運にも東へ向かった。吐噶喇を避けるようにカーブしている。本州直撃は心配だが、この旅の心配はこれでなくなった。最後まで行けるか!



# by marunouchi_no1 | 2018-07-26 08:40 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 小宝島

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(鹿児島県十島村小宝島)

入社30年目のリフレッシュ休暇として10日間をもらい、鹿児島県十島村<吐噶喇列島>の全島制覇を企んでいたが、初日に乗るはずだったフェリーが台風10号のために欠航してしまった。渡航困難度Sクラスとうたわれた吐噶喇列島である。簡単には受け入れてくれない。あらかじめ用意していた代替案の天草諸島を3日でこなし、吐噶喇列島唯一の交通機関であるフェリーとしまの7/23(月)便の運行決定を待っていた。
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十島村ホームページのフェリーとしまの運行状況ページが更新され、条件なしの出航が決定した!これで念願の吐噶喇列島へ行ける!
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この後台風が来なければ3往復するフェリーを乗り継いで5島(上図✖️の平島・中之島以外③〜⑦)を歩くことができる。まだ予断を許さないが、とりあえずホッと胸をなでおろす。
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鹿児島港南埠頭で南西諸島行きフェリーは発着する。マッサージをタップリ受けて銭湯にも入り準備完了。切符発売の19:00にフェリーの待合所窓口に行った。今回、直前での変更だったので、寝台が取れず二等しか予約できなかった。窓口で指定席が割り当てられ、降りる港ごとに客をまとめていた。
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これが二等、いわゆる雑魚寝部屋だ。とはいえ場所は指定席になっていて、荷物棚と隔て板が備わっている。敷きマットの幅は800mmくらいだから、隔て板が無かったら隣の人の顔が目の前にくる感じ。隔て板で最低限の快適さが保たれている。
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最初の寄港地である口之島は着5:00(定時)だから真っ暗。口之島から中之島に行く途中で朝陽が上った。
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中之島着6:00(定時)。台風10号のせいで、今回この島には降りられない。
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中之島・諏訪之瀬島間から振り返って中之島を眺める。洋上の富士山だ。
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諏訪之瀬島着7:10(定時)。列島唯一の活火山の島。
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平島。名前と反して全然「平ら」ではない。平家伝説があるから平島なのだ。しかし、吐噶喇列島はどの島も急峻で、とても人が住んでいるとは思えない様相ばかりだ。
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平島着8:10(定時)。ここも今回行けず。平島Tシャツを着たスタッフが乗降デッキを準備しているが、なかなか船の動きがおさまらない。平島と小宝島は港の条件が悪く、波の具合でランプウエイ(車両乗降用)が下ろせなかったり抜港されたりする。今日のような比較的良い日でも船揺れがおさまるには時間がかかる。ところで、スタッフとはいっても船会社の方ではなく、島民の方々が手伝っているのだ。
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奇祭ボゼで有名な悪石島。「悪」とはすごい名前だ。聞いただけで行きたくなってしまう。
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悪石島着9:15(定時)。出た「悪」Tシャツ。如何にも悪そうだ(冗談)。こんな地名やっぱり珍しいでしょ。
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そして、吐噶喇列島最初の上陸地である小宝島が見えてきた。妊婦が仰向けに寝転がっているように見える島影と聞いていたが、本当にそう見える。
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小宝島着10:45(定時)。予定より遅れて11:30着。鹿児島港を出て12時間だ。
今まで見てきた吐噶喇の島々と比較して、この島は小さく山も低い。
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フェリーとしまは、最後の寄港地宝島目指して港を離れた。奄美大島の名瀬港でしばし停泊したのち折り返し、明日の朝5:50に再びやってくる。それまでが、小宝島探訪の時間だ 。
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小宝島
宝島の北東約15kmにある吐噶喇列島の南から2番目、隆起サンゴ礁でできた周囲3kmほどの小さな島。かつては「島子」「島子島」と呼ばれていた。島に上がればアダンやガジュマルが繁り、道路脇にはハイビスカスが咲き、心和む佇まいを見せている。ウネガミ、オオブチ、モガイといった立神奇岩がそびえ立ち、平家の落人が隠れ住んだという大岩屋の洞窟がここにもある。サンゴ礁の割れ目では、色鮮やかな魚が泳ぎまわり、ちょっと離れた洋上の小島では、無人島体験もできる。(「シマダス」参照)

小宝島はゆっくり歩いても1時間弱で一周できるほど小さい。猛暑の中、いざ取材開始。
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集落の中のメインストリート。ハイビスカスが咲いていて綺麗だ。
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今宵お世話になる「民宿いこいの森」の別宅、92歳のおばぁちゃんの家。この島では古い方だと聞いたが、戦後の民家。吐噶喇列島は沖縄と同様、戦災にあっているので、この島に戦前の建物は一切ないといわれた。
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これが吐噶喇の民家だ。とてもシンプルな寄棟の平屋建。金属折板屋根は、鹿児島県内の離島民家の現代のスタイル。
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石塀やブロック塀で敷地を囲む。
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琉球の集落みたい。珊瑚石の野積の石垣石塀が残っている。
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建物の方は、屋根が寄棟に金属折板、壁が木板縦張りである。
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島全体が岩石でできている。小宝島の民家は、50年くらい前まで草葺屋根だったという。背後の山の上から竹を刈り取ってきて、それを屋根材として葺いたそうだ。
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十島村立小宝島小中学校。校舎の後ろに見える岩は赤立神。人口の少ない離島では、大方このように小中学校である。今時の小中一貫教育を昔からやっている。島の子供達は中学卒業と同時に島を離れていく。
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小中学校の前から海岸沿いに近代的な建物が並ぶ。十島村立小宝島へき地診療所。
ちなみに村民の健康診断は年一回5月に実施されていて、「レントゲン船」と名乗る船便が運行される。各島を約2時間づつ停泊。レントゲン車が出てきて、人もペットも健康診断を受ける。この便、2日間で往復し、各島を2時間停泊するので、2日間で全島巡るツアーも同時に企画されている。
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簡易郵便局と十島村出張所。フェリーの切符は前日にこの出張所で購入しておかなければならない。
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鉄筋コンクリート造の住宅が並ぶ。教職員住宅のようだ。
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小宝島温泉センター。夕方、ここに入ろうと思って扉を開けたら使われていなかった。前に事故があってそれっきりだとか。
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集落内のメインストリートに戻る。珊瑚石の石垣石塀は沢山ありそうだが、植物に覆われていて確認できない。
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この家も古そうだ。屋根はチョイ入母屋で波型折板の白塗装。しかし壁は木板である。南西諸島の鹿児島県内は壁から屋根から全て折板という仕様の民家をよく見る。これをカッコいい建築だなぁと思うのは私だけか。
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鉄筋コンクリート造の民家。軒庇に水が侵入して鉄筋が錆びてコンクリートが爆裂している。塩害が厳しいのだろう。
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小宝島の集落は平らな場所にあるから津波に弱いだろうと思っていた。でも海抜9mある。そこそこ大丈夫そう。ちなみに海岸には防波堤はなく、津波避難路も無かった。
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ハイビスカスの道。
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パイナップルみたいな木があると思ったら、入り口になっていて、奥に鳥居がある。
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鳥居の更に奥に石碑があって、平仮名で「ごんげん」と書かれている。琉球の御嶽にような場所か。でも、トカラハブに噛まれたくないので入らなかった。
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湯泊温泉。ここは湯泊港という入江があって、そこを見下ろす位置に露天風呂がある。
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入口にサインがあるので入る時は注意。この手の露天風呂にはあまり興味のない私だが、とても綺麗にしてあって入ってみたいと思った。島を一周した後、タオルと着替えを持って行った。画像では手前が湯船で向こう側に広い洗い場があるように見えるが、実はそこも湯船。横に渡してある板は湯船の蓋で、それを外して入るのだ。
私、洗い場だと思い込んでズカズカと蓋の上を歩いてしまった。蓋がしっかりした材を使っていたので助かったが、もし折れたりしたら、熱湯の中にドボン、大火傷を負うところだった。
湯はとてつもなく熱いので、ホースで海水を入れて湯温を調節する仕組み。大きな湯船の温度を簡単に下げられる訳はなく、水を体に当てながらちょっとだけ浸かった。
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島を半周すると奇岩が沢山ある場所になる。隆起した珊瑚石が風や波で削られたのだという。この岩、ゴジラみたいといわれているが、どっちかというと可愛い感じがする。今注目の「シャンシャン岩」というのはどうだろう。
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小宝島も平島と同じく平家伝説がある。画像は、大岩屋と言われる洞穴で、平家が隠れたという伝説がある。
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フェリー発着する小宝島港。隆起珊瑚礁の島には川がないので泥が流れず海が綺麗。遠くに見えるのは宝島。
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吐噶喇列島七つの島の港には必ずこのコンクリートプラントがある。
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赤立神。珊瑚石でできた浜辺。海水浴場になっている。

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民宿で食事を終えたら、おかみさんが「月見に行くぞ」とフェリー乗り場の突堤に連れて行ってくれた。常連客と島の方々で夕陽見・お月見をしながら一杯やってる。そこに合流させてもらった。しばらくすると月の明かりだけになる。月や惑星のなんと明るいことか。そして、遠くの宝島の街灯も明るく見える。こういうことは小さな離島でなければ体験できないことである。一生忘れられない時間となるだろう。

# by marunouchi_no1 | 2018-07-24 22:00 | 鹿児島県