(鹿児島県中種子町岩岡梶潟)
7年前の2012年2月に屋久島を歩いた時、海の向こうに横たわる平らな種子島を「あの島のはいつ行くんだろうか」と思いながら眺めていました。そして昨年、口永良部島とともに訪ねる計画を立てていましたが、悪天候のため断念。その後半年以上に渡って種子島島間〜口永良部島を1日1往復する「フェリー太陽」の運行状況を毎日チェックし、どんな天候で欠航するのか見極められるようになりました。そして今回、満を持してのリベンジです。

木曜日の最終便で鹿児島空港に降り空港前のホテルに宿泊。朝一番の便で種子島空港に向かいます。

種子島西之表市の沖合にある馬毛島。今は無人島ですが、戦後はトビウオ漁で約500人が住んでいたそうです。十字のラインは滑走路にしようとしたもの。リゾート開発を目論んだ民間会社が造ったそうです。しかし、政界に金をばらまくなど不正をしたため計画は頓挫。現在、
米空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)の移転候補地として揺れています。
種子島はホント平らだ。全体が農地といった印象。

同じ飛行機に乗っていた若い男女の集団。スーツ着てるので学生じゃなさそうです。言葉が関西弁だから地元薩摩ではない。JAXAの新人研修かな?

種子島空港は細長い島(最大長57.5km)の背骨の真ん中やや北にあります。さて、どうやって周ろうか。種子島宇宙センターJAXAの食堂でランチしてみたいので、一旦最南部の宇宙センターへ向かいます。

中種子町坂井にある重要文化財・古市家住宅に立ち寄ります。建築年は1846年、島内の古民家で現存する最古の類に属するものだそうです。敷地が周囲よりやや高く築かれている。
主屋に突き出し部を持つL型平面で、正面が入母屋、突き出し部が切妻、いずれも桟瓦葺です。復原で桟瓦になっているから、原型から桟瓦ということなのでしょう。
この開放感いいですね。当たり前なことですが、改めて日本建築っていいなぁと実感しました。
南種子町は、九州の最南端佐多岬から南東約40kmにある種子島の南端に位置する町。起伏の多い丘陵地で中央台地は海抜200m程度、極めてゆるい傾斜の畑地が多い。東海岸を中心に大きな河川がそそぎ、河川流域には水田が開けている。天文12年(1543)、日本に初めて鉄砲が伝来した門倉岬と、わが国唯一の実用衛星の打ち上げ施設・種子島宇宙センターが隣接する新旧科学発祥の地である。そのほか日本最古の文字「山」が発見された遺跡や、日本最古の赤米が現在まで栽培されている神社などもあり、歴史と文化が共存する町でもある。最古の文字「山」が発見された遺跡や、日本最古の赤米が現在まで栽培されている神社などもあり、歴史と文化が共存する町でもある。(「シマダス」参照)
↑南種子町に広がる水田。
種子島宇宙センターの施設エリアに入るにはゲートがあるかと思っていましたが、そのままフリーで入っていくことができます(一応ゲートらしきものはあった)。竹崎海岸の周りは高木が伐採されていて芝生が広がり、メッチャいい風景です。

JAXAの主要施設。ここまでフリーで入れてしまうのには驚きです。

JAXAの職員食堂。12:00になると混むそうなので、11:00の開店と同時に入りました。カツカレー美味しかった。

ロケット発射場。世界一美しい発射場だそうだ。
さて、これから島を時計回りに一周します。まずは中種子町の西海岸にある岩岡地区梶潟集落から。梶潟川の河口両側に小さな集落が形成されています。

中種子町は、鹿児島県大隅半島南端から約40kmの海上にある種子島の中央部に位置する町。東西を海で挟まれ、ゆるやかな丘陵をなし、温暖で多雨な亜熱帯気候に恵まれていることから古くから農林業、水産業などの第1次産業が基幹産業となっている。中でも農業が主で、サトウキビ、サツマイモを中心に畜産・園芸を取り入れた複合経営を営み、農家所得は県上位を占める。熊野海岸のまぶしいほどの白い砂と青い海、太平洋の荒波で浸食された奇岩や洞窟の点在する犬城海岸の景観は抜群。元大関若嶋津関のふるさとでもある。(「シマダス」参照)

港があるから漁村でしょうが、梶潟川に沿って形成された農村集落の一部でもある。

津波が来たらヤバそうなくらい海ぎわ。

入母屋屋根、桟瓦葺、板壁が特徴。

左に見えるは海岸のごろた石を積んだ石垣。

岩岡地区。真ん中の鉄筋コンクリート造は商店。

西海岸を走る国道58号線を北上します。国道58号線は、鹿児島市を起点に種子島〜奄美大島〜沖縄本島那覇市へ通じる海上国道です。西之表のちょい手前、住吉地区の上能野(かみよぎの)集落。

円弧状の岬の海岸線に沿って家々が並びます。
風が強いのでしょう、石垣石塀やコンクリートブロック塀が続きます。

家々の様式は入母屋屋根+板壁縦張り。妻面を板壁で二重に塞いでいます。吹き上げる潮風から守るためでしょう。

塀に妙な落書き、なんでしょう。
北部の西之表市は、古くから南方ルートの港町として栄え、現在は国・県の行政機関の集中する地方都市に成長した。気候は温暖で、農業や広大な海洋を利用した漁業が盛んである。江戸末期に、当時の「赤尾木」から「西之表」に改称、村政施行時は「北種子村」、町政施行時に「西に向かって開ける種子島の表玄関」の意味もあり現在の名になっている。鉄砲伝来の島、宇宙センター基地島として世界的にも著名な島となっている。(「シマダス」参照)
西之表の商店街。木造の古い建物は少ないですが、2、3軒残っています。

比較的大きな二階家のこの建物は旅館かな。

港の商店街の背後は海岸段丘で急坂になっています。丘の先にはかつてお城があった。その前は麓集落でしょうか。

石垣石塀を築いた屋敷。

旧上妻家住宅は国登録有形文化財となっています。非公開なので外から眺めるだけ。

北部東海岸にある湊地区。海岸に大きな丸石がゴロゴロ。

湊集落は、その名のごとく古くからの港町で、とても風光明媚です。湊川の河口は14世紀頃から中国、琉球及び関西との交易の拠点港として利用されました。

島主はこの地に貿易船を監視する番人を置き、湊川上流の太田集落の八幡神社を分社してこのエビス神社を祀ったといわれています。

湊川沿いの民家。
湊集落の町並み。↑の民家はコの字型の珍しい平面形です。
湊川左岸に形成されている集落。

種子島の民家はこの木板縦張りが基本と認識。

天女ヶ倉展望所から島の東海岸南方を望む。広大な農地が広がっているのがわかります。

日が西にかなり傾いてきたところで、幹線道路から旧道に入るといい町並みがあるではありませんか。西之表市現和の浅川集落。

とにかく板壁の連続がとても美しいグレーシュな町並み。

こうした赤壁がまたアクセントとなっていい。

土台を石積みにした板壁の倉。

浅川集落、今回見た中で一番良かった。

再び南種子町に戻ってきました。今宵の宿はビジネスホテルサンライズ。

南種子町は島にある3つの市町村のうちの1つで、なんといっても島で最も注目度の高い種子島宇宙センターがある行政区分の中心集落です。

飲食店が結構あります。JAXAの職員もいっぱい飲む時はこの町に繰り出すのかな?
この焼肉店で夕食をとりました。

3日目の朝の島間港。この港は海上国道58号線の港でもあり、屋久島・口永良部島へのフェリーが発着する港であり、宇宙センターのロケットのパーツが荷揚げされる港でもあります。

さぁ、これから口永良部島へ向かいます。